重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

2021年を振り返る

2021年を振り返りたいのだが、とにかく頭がごちゃごちゃしている。今年はたぶん人生でいちばん家にいた(去年を更新)。なのに、むしろだからこそ、大量の情報に触れた。書籍、YouTube動画、podcast、ツイート、Clubhouse。受け止め切れない量の情報が自分を通り過ぎていった。完全にオーバーフローなのだが、それでいて、自分なりの解釈をつけないと気がすまない。当然処理が追いつかない。オフラインでも考え続ける。そんな一年だった。

晦日の今日も同じだ。脈絡が全然ついてない。それでも、今年をpunctuateしないといけない。全部は書けない。書かないものは忘れてしまう。全部を無に帰さないために、この時間で書けることを、書く。

頭の混沌の中から、3つのスレッドをかろうじて見出すことができる。

①仕事:科学技術政策のこと

新しい職場に来て約一年。科学技術政策の各種トピックについて、まずは目につく資料を読み漁った。イノベーション、産学連携、研究評価、SDGs。気づいてみたら、そんなesotericな言葉の数々も口にするようになった。興味を保つのに苦労したが、たまに視界が開けるような優れた文献に出会うこともできた*1

分かってきたこと。まずは、日本の科学技術政策がとことん「うまくいっていない」ということ。そして、みんなそれがわかってはいても、改善のための打ち手の議論をすることがすごく難しいということ。「科学に税金を使うことをどう正当化できるのか? 科学に税金をどう使えばいいのか?」――これらの問いに「私こそが答えを出せる」という人がいたら、たぶん信じないほうがいい。科学の目的や帰結には、本質的に不定性が伴うからだ(吉澤剛不定性からみた科学史』、読書メモ)。この不定性を自覚すること。そして粘強く対話すること。それができない限り、状況は好転していかないのだと思う*2。あとひと月ほどで今年度の報告をまとめる。この業界でやっていけるのかどうかの試金石になると思う。自信なし。

②私的探究:計算、記憶、脳、言語のこと

個人的な勉強テーマについても、大事な本がたくさん出た。とくに心して読んだのが森田真生『計算する生命』(読書メモ)と、三村尚央『記憶と人文学』(読書メモ)。脳をどう理解するかについては、1月に文献レビューの発表をした(スライド)。脳を理解するためには、そもそも脳を理解するとはどういうことかについて合意がなければならず、脳を理解したいと思う私たちの問いへの社会的、心理的、生物学的背景に興味が及ぶ(cf.宮野公樹『問いの立て方』)。自分なりに考えてたどり着いた一つの展望が、脳やAIの「受注者モデル」だった*3。自分としては一つのブレイクスルーだったのだが、あまり伝わった感じはしないので、まだ考えが浅いか、ずれているのだろう。

「記憶」に関しては、自分が考えていきたいことを、ポンチ絵の形で整理することができた。

また、読書会でウィトゲンシュタイン哲学探究』と、ベルクソン物質と記憶』(濱田明日郎さんが講師を務める講義を聞きながら)に触れることができたのは大きかった。コロナ禍で、コミュニティをつくって勉強をする環境は格段に良くなった*4

③私(たち)はどう生きるのか

①と②で明らかなように、仕事でもそれ以外でも、多くの時間を本やPC画面やスマホ画面を見て過ごした。そのことが、同居する家族(特に子ども)に及ぼす影響はプラスではないかもしれない。せめて、父はいつもあれだけ本を読んでいるから、あんなことをするのだろうと思ってもらえるくらいの、自分の勉学から行為へのスピルオーバーがあるとよいと願う。都合がよすぎるか。

別の意味での「どう生きるのか」問題も、ずっと心に引っ掛かっている。今年は、体感としてはSDGsサステナビリティという言葉が、じわじわと生活に浸透してきた。自分は、いつまで肉を食べるのか。使い捨てのマスクを使い、週に6つのゴミをビニールに入れて出す生活はいつまで続くのか。もし2050年が本当に「ゼロエミッション」の世界であるなら、自分の「生活」はその間に変わっているはず。コロナ禍で言われだした「新しい生活様式」なんかとは比べ物にならないほど劇的に。

ただ、ここで問題なのは、未来のことではなく今のことだ。自分の行動で未来は変えられない。「変革が必須、さもなくば生存できない」というような言説がデフォルト化したこの時代に、子どもたちとどんなコミュニケーションをとっていけばよいのか。これが課題だ。幸いにも、この問題に気づき、先陣を切って言葉を発している人たちがいる。

未来からこんなに奪っていると、自分や、子どもたちに教えるより前に、今こんなに与えられていると知るために知恵と技術を生かしていくことはできないだろうか。――森田真生『僕たちはどう生きるか』p.163

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以上、切れ切れな思考から3つの支流を捉えて、メモにしてみた。

何も解決していないし、来年の目標なども見えてこない。

ただ一つ言えることとしては、私はとにもかくにも「言葉」で勝負するのだろうということ。洪水のような情報を身体に流して、そこから選んで誰かに届ける。ぎこちないながらも、自分なりの言葉の運用をすることを通じて、科学技術政策の世界でも、脳の理解や記憶の分野横断的考察のなかでも、生活のなかでも、多少でも貢献ができるニッチを探す。自分にはそれしかないと思う。

自戒として:

ぺらぺらしゃべれることや、間髪容れずに話を切り返せることは、必ずしも美徳ではない。むしろ私たちは、秒単位のタイムスタンプが押された言葉がネット上を無数に流れ続けるこの時代だからこそ、言い淀む時間こそを大切にし、言葉をゆっくりと選び取りながら語る実践に意識的に向かうべきではないだろうか。

――古田徹也『いつもの言葉を哲学する』 (2021年12月、朝日新聞出版)

 

*1:ブノア・ゴダン『イノベーション概念の現代史』(読書メモ)、Dan Breznitz『Innovation in Real Places』(読書メモ)、W・ブライアン・アーサー『テクノロジーイノベーション』(読書メモ)、Wang&Barabási『The Science of Science』(読書メモ

*2:1月の読書会は、そのささやかな実践となった。開催記録メモ:2021/1/14『科学とはなにか』(佐倉統 著)オンライン読書会 - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

*3:思考整理メモ:「受注」する脳 ~「発注モデル」から考える「AIの自律性」と脳の計算パラダイムの向こう側~ - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

*4:平井靖史先生らがClubhouseで主宰された『動物意識の誕生』の読書会も濃密だった。