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読書メモ:イノベーション概念の現代史(ブノア・ゴダン 著、松浦俊輔 訳、隠岐さや香 解説)

イノベーション」という言葉を聞くと、少し身構える――そんな人は多いのではないだろうか。私もその一人。日常会話で使いにくい言葉だと思う。ある事業なり活動なりが「イノベーション」だったかどうかは、後になってからしかわからないから、よく言えば岡目八目、悪く言えば野次馬のための言葉にも思えてくる。吉川浩満さんのエッセイはこの違和感を射抜いている。

とはいえ、「イノベーション」の語を目にする頻度はますます増えている。その理由の一つが、企業経営論、そして科学技術政策の文脈で多用されていることにあるだろう。ちょうど今年、日本では「科学技術基本法」が「科学技術・イノベーション基本法」に改名された。日本だけの話ではなく、「イノベーション」の名のつく立法や政策は、20世紀から世界中で量産されてきている。

いつから、そしてなぜ、そうなったのだろうか? それが、ブノア・ゴダン著『イノベーション概念の現代史』のテーマである。解説の隠岐さや香氏によれば、ゴダン氏は「あらゆることに「イノベーション」の必要性が説かれ、万能の解決策であるかのようにみなされる状況に疑問」をもったために、イノベーションの概念史を研究し始めたのだという。本書はその研究をまとめた一冊だ(著者は2021年に逝去)。

本書のあらまし

ごく粗く、本書の内容をメモしておく。

著者によれば、現代のイノベーション政策につながる「技術イノベーション(technological innovation)」という言葉は、第二次世界大戦後に登場した。1952年、英国学術協会の委託で報告書として発行された。そこには、イノベーションを研究の産業での応用(Science Applied)とする初期のとらえ方が見て取れる(第2章:応用された科学としてのイノベーション)。

1953年、数年前にできたばかりのNSFアメリカ国立科学財団)は、研究開発に関する定期的な調査を開始。「研究開発費とGNPの成長との相関をとるという、その後の数十年ではおなじみの方法」が取られる。ここでも、基礎科学が「経済へのインパクト」へつながっていくという「リニアモデル」の発想がみられる。他方、「ほとんどの兵器システムが基礎研究より応用型の研究に依拠していることを明らかに」した1969年米国防総省の報告書が出され、それに対して NSFは独自の数字で反論するなど、リニアモデルをめぐる攻防も見られた(第3章:成果としてのイノベーション)。

1960年代、設立したばかりのOECDでは、その科学局にて「経済成長への研究開発の寄与」に関する議論が交わされる。Keith Pavittらによる1963年のレポートは、基礎研究をイノベーションの前提条件と位置づけ、経済成長と競争力を重視した内容だった。米商務省の報告(1967年)では、「イノベーションのコストのうち研究開発が占める分は5%から10%にしかならない」とされ、イノベーションを法制や企業活動も含む「過程(プロセス)全体」とみなしていく見方が台頭する。 1968年の英国科学技術中央諮問評議会(CACST)の報告書でも、 技術イノベーションを「商業利用にいたる過程(プロセス)」として定義し、 政府の支援は「技術イノベーションの過程全体に与えられるべき」と結論される(第4章:過程としてのイノベーション)。

この時期に、当時の技術イノベーション観への批判が加えられる。 リニアモデルへの批判、 ②科学は発明に必ずしも必要ないという指摘、イノベーションを牽引するのは研究よりもニーズの牽引力であるという指摘などだ。米商務省やOECDイノベーションを「システム」としてとらえ、国と政策レベルで適用していく(第5章:システムとしてのイノベーション)。

イノベーションを過程やシステムとして表すことで、イノベーション自体を目的とした統合的な政策が考案される余地が生まれた。1970年代にはイノベーションの測定が始まり、 1980年代末までには、大抵の国が少なくとも一度は「産業イノベーションの公式調査を実施」。1991年にはOECDオスロ・マニュアル」が整備される(第6章:イノベーション政策の発明)。

著者によれば、イノベーション・メジャーズ(対策)は1930年から存在していたものの、「イノベーション政策」が始まったのは1980年代である。  1979年、イノベーションでの主導的立場が日本と比較して衰えているという懸念を背景に、米カーター大統領「産業イノベーション構想」発表。1980年の「技術イノベーション法」や、大学の技術移転を促すバイ・ドール法につながる。これが「 政策の検討対象が研究からイノベーションにシフトする契機」になり、今日の多くの国では科学の担当部局と経済の担当部局を合体させ、「研究イノベーション」を推進する体制を取っている(第7章:今日のイノベーション政策)。

今日では、イノベーション概念を拡張した各種の「X-innovation(○○イノベーション)」が多数登場している。1950年代は、「技術イノベーション」「産業イノベーション」などイノベートする対象を付加するX-innovationが主流であったが、1980年~90年代以降、イノベーションを形容詞によって定義する用法が登場する(例:破壊的イノベーション、包摂的イノベーション、持続可能なイノベーション、等々)。著者によれば、 X-innovationは「流用(appropriation)と論争の物語」であり、新しい用語は、「世間の関心の中で、また政策立案者の間で機能し、新しいラベルは進歩の錯覚を生み出す」とコメントする。

日本ではどうだったのか

以上のように、本書は主に米国、英国、OECDの政策文書やシンクタンク報告書のなかで「イノベーション(技術イノベーション)」の概念がどのように扱われてきたか、その変遷をたどっている。  

では、日本ではどうなのか。解説の隠岐さや香氏は、「日本におけるイノベーションの概念史はまだ未開拓の分野」としつつも、1950年代からの日本の状況をまとめており、非常に勉強になる。

日本では、1950年代にTechnological innovationの訳語として「技術革新」が初めて使われ、ゴダンの言う「成果としてのイノベーション」の言説の受容が認められる。当時の日本にとって、「技術革新論は、科学研究の振興よりも技術力の底上げや経済成長の問題に向かう」ものだった。 興味深いことに、1980年代、リニアモデルと距離をとる英米とは逆行し、日本では基礎科学振興を説く論調となる。

日本では技術者視点による「技術革新」のナラティブや、リニアモデルが長い間存在感を持った。その傾向が変わり、いわゆる経済的な言説…が目立ち始めるのは2000年代である。(解説より)

2002年科学技術白書にて、初めて訳語が「技術革新」から「イノベーション」に変わる。また、 日本におけるイノベーションの言説は、技術起点の視点と経済起点の視点とが「いささか分裂した状況にある」と隠岐氏は指摘する。

おわりに

本書は、今日のイノベーション概念(とくに「技術イノベーション」概念)が、学術界ではなく実務従事者(プラクティショナー)側が形成してきたものだと指摘し、その経緯を丹念に描く。なるほどそうかと思う一方で、さらに知りたいことがたくさん出てくる。

イノベーション概念が、政策議論のなかで登場し、便利に使われるなかで人口に膾炙していった経緯があるとして、では、その効果はどうだったのだろうか。実際に政策が意図するイノベーションは実現されたのか。そこでイノベーション概念はどんな有用性、または有害性を発揮してきたのだろうか。また、概念は当然、文脈を越える。政策という文脈を越えて、個々の企業活動や社会、文化や人生の中で「イノベーション」概念はどのように広まり、どのような役割を果たしてきたのか。興味は尽きない。

一個人としては、若干の躊躇を感じながらも「イノベーション」を口にしていくことになると思う。一つには、すでに共通言語として広まっており仕事のなかで使わざるを得ないことがあるし、またより積極的な理由としては、やはりこの言葉でしか表せない意味内容もあると思う*1。ただ、曖昧で便利であるがゆえに要注意なのはゴダン氏の問題意識のとおりだろう。「どのような歴史的経緯が、私にイノベーション”いう言葉を口にさせているのか」を知っていることが役に立つはず。その意味で、日々イノベーション概念と付き合う一個人にとっても、有益な一冊だと思う。

*1:たとえば、W・ブライアン・アーサーの技術進化論などを読むと、技術と経済の発展ダイナミクスをとらえる有用な概念としてやはりイノベーション概念が必要な気がしてくる。読書メモ:『テクノロジーとイノベーション』(W・ブライアン・アーサー著) - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)