重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

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読書メモ:『テクノロジーとイノベーション』(W・ブライアン・アーサー著)

 

長年サンタフェ研究所に籍を置き、「複雑系経済学」の牽引者として知られるW・ブライアン・アーサー氏による著作。原書が2009年、翻訳が2011年に出ている。

テーマは「技術(テクノロジー)の生成と進化」*1。原題は”The Nature of Technology: What It Is and How It Evolves”。

端的に言うと、本書は「技術とはいったい何なのか?」に答えようする。あらためて、技術とは何か。

「科学」からは、技術はその「応用」に見える。「経済」からは、技術は経済活動のための「手段」に見える。しかし著者はいずれの見方にも満足しない。科学や経済に従属するものとしてみるだけでは、次々と新しい技術が生まれてくるダイナミクスがとらえきれないからだ。

テクノロジーの理論――テクノロジーの「学(オロジー)」が存在しないのだ。(p.21)

技術を技術ならしめているものは何か。技術はどのようなメカニズムで生成・進化していくのか。著者は大胆にもそうした問いに挑み、さまざまな技術の発展史を例示しながら、「一般命題の矛盾のないまとまり」としての「理論」を描きだす。著者は学生時代は電気工学を学んでいたことから技術には興味があったとのことで、かなり詳細なケーススタディをもとに書いているらしい。最近のポッドキャスト*2では、本書の執筆に12年かけたと語っている。

「技術(テクノロジー)」を丸ごと考えるなど、一見無茶だ。分野によって、産業によって、時代によって、関わる人によって、事情は全部違うのではないだろうか。しかし、たしかに「総体としての技術」を考えたくなる理由はある。10年後の生活が「まだ見ぬ技術」に左右されるのは間違いない。国や世界の経済は、新しい技術を発明し、「イノベーション」を起こすことに依存している。私たちの生活の前提でありながら不気味に変容していく「技術なるもの」の本質を少しでも捉えたいというのは、少なくない現代人にとって大きな関心だろう。

もちろん、将来現れる技術を予測したり、新技術を生み出すレシピを提示したりすることは無理だ。一冊の本に、そんなことを期待する人はいない。では、本書は、技術なるものを捉えるうえで、何か役に立つ見通しを与えてくれるのだろうか。そこが試金石になるはずだ。

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技術とは何なのか。

まず著者が指摘するのが、技術が「組み合わせ」であることだ(第2章:組み合わせと構造)。技術を構成するパーツもまた技術であるという「再帰性」を持つ。たとえば戦闘機は一つの技術だが、それを構成するエンジンも技術だし、戦闘機の集合からなる飛行隊も――ある種の目的を果たすシステムであるという意味で――技術といえる。だから、「テクノロジーには、特徴的な規模〔スケール〕はない」(p.58)。

では、組み合わせの各パーツはどのようにできているのか。発端となるのは、「現象(phenomena)」である(第3章:現象)。先史時代の「火」や「金属加工」から始まり、光学、化学、電気、量子現象、遺伝作用など、「単なる自然の効果であり、人間やテクノロジーとは無関係に存在」している「現象」を取り込み、ある目的のために利用する」とき、それが技術となる。

テクノロジーとは、目的にかなうように現象をプログラムすることだ(p.69)

技術は、たんなる科学の応用ではない。「動力飛行をはじめてとする過去の多くのテクノロジーは、科学などほとんど存在しないときに生まれた」(p.80)のであり、今日では科学と技術は両者にまじりあい、共進化する関係にある。

そうした技術はグループをなす(第4章:ドメイン)。たとえば「遺伝子工学」では、「DNA精製法やDNA増幅法、放射同位元素標識法、塩基配列決定法、制限酵素による切断、断片のクローン化、発現遺伝子のスクリーニングといったものを構成要素としたツールボックスが形づくられ」る(p.90)。問題解決のための引き出しとしての、「ドメイン」が形成される。ドメインに精通している人は、その引き出しのなかから適切なツールを選び出し、問題を解決することができる。ドメインの中で、与えられた要件を満たすように製品やシステムを設計するプロセスを、著者は「標準的エンジニアリング(standard engineering)」と呼ぶ(第5章:エンジニアリングとその解決法)。 

しかし、ときに標準的エンジニアリングの域を超えた、斬新な解決策(ソリューション)が現れる。ラインプリンターからレーザープリンターへ、プロペラ飛行機からターボジェット機へ、電動式の計算機→電子リレー回路を使ったコンピュータへといったように、同じ目標に対して、新しい「原理」を用いられる。これが「発明(invention)」である。

こうした発明、つまり新しい原理のアイディアは、一つには過去の概念の組み合わせからくる。たとえばローレンスは、荷電粒子の加速(既存技術)を円軌道に沿って行えばコンパクトな装置で高エネルギーの粒子を作れることを思いつき、サイクロトロンを発明した。現象の側から用途が見いだされるケースもある。フレミングは、すでに知られていたアオカビに含まれる物質の効果から、ペニシリン抗生物質を開発した。軍医としての経験が効果の中に「目的を見つけられる状態」をつくっていた。発明とは、手持ちの手段と目的とを関連付けることである(第6章:テクノロジーの起源)。

発明の後には、「性能の向上、環境の変化への対応、幅広いタスクへの対応、信頼性の向上」といった「構造の深化(structural deepening)」が起こる(第7章:構造の深化)。たとえば、1930年代の試作機では数百種類の部品でできていたターボジェットエンジン、現在では22000種類の部品からできている(著者は飛行機が好きらしく、やたら詳しい)。

やがて「構造の深化」では性能があまり向上しない「成熟期」に達する。ここで新しい原理が必要になる。しかしその前には現行の原理への「ロックイン現象」と「適応範囲の引き延ばし」が起こる。本書の例ではないが、FAXをスキャンしてpdfで送るといった行動はFAX技術の「引き延ばし」にあたるだろう。著者は、この技術の発展のパターンと、クーンのパラダイム論との類似性を指摘する。

個々の技術だけでなく「ドメイン」そのものも置き換わっていく(第8章:変革とドメイン変更)。ここで、初めて「経済」を前面に出る。著者は、経済はテクノロジーに「適応」するのではなく「遭遇」するのだという。銀行業とコンピュータが遭遇することで、新しい業務体系が生まれた。経済が技術を使うだけでなく、技術によって経済が変革を被るのだ。テクノロジーの新ドメインが経済を変えるまでは、数十年という時間がかかる。コンピュータとインターネットの衝撃は「今もって経済で十分に実現してはいない」と2009年時点の著者は喝破する。

本書を貫くのは、技術が――科学や経済と絡み合いながらも――自ら創発していくという見方である(第9章:進化のメカニズム)。技術が技術を生む駆動力として、著者は前出の「組み合わせ」のほかに「機会のニッチ(oppotunity niche)」を挙げる。技術は、「機会のニッチ」を見つけると、そこを埋めるべく進化する。このニッチをつくるのは、人間によるニーズと、技術自体によるニーズだという。新しい技術は、必ず改善の余地があるし、また技術自体が新しい問題を生み出す。技術が生んだニーズを「目標」としてさらなる技術が生み出されるという、「自己創出」のループが回っていく(技術は「オートポイエーシス」である)。著者はさらに踏み込み、テクノロジーは「自己再生産」し、「環境に適応」し、「エネルギー交換」を行うという意味で生命体だという*3

テクノロジーと経済の関係はどうなっているのか(第10章:テノロジーの進化に伴う経済の進化)。均衡(equilibrium)をベースに考える伝統的な経済学では、技術とは一時的な摂動や条件のように扱われるが、著者はそのような静的なものの見方はとらない。むしろ、「経済の構造」と「テクノロジーの創出」が循環的に因果を及ぼしあう。経済と技術は「解決策と問題が織りなすダンス」を続け、両者とも「休むことなく変化」していく。

技術は技術の中に組み込まれており、技術同氏は「対話」をする。昨今、その対話のネットワークはどんどん密になっている(第11章:テクノロジー、この創造物とどう共存するか)。固定的なテクノロジーの時代から、「短期にさまざまな目的を再構造化できるように、さまざまな機能性を組み合わせる方向」へと変化していく。

現代テクノロジーの本質は一連の新たな変化を迎えつつある。ビジネス・マネジメントの分野では、生産過程の最適化から、新製品、新機能など、新たな組み合わせの創出へ、そして、合理化から意味形成へ、商品ベースの企業から技能ベースの企業へ、コンポーネントの購買から提携関係の形成へ、安定した運営から不断の適応へ。p.266

こうして加速的に進化する技術が善なのか悪なのかという価値を語ることについて、著者は一貫して抑制的である。そもそも、技術を自律的な対象として描く本書では、人間と技術の関係はスコープ外となっている。ただ、「テクノロジーを手放すことは人間であることをやめること」だと述べた上で、手短に言及を行っている。

映画『スター・ウォーズ』には、テクノロジーの悪の象徴、《デス・スター》が登場する。…ヒーローたち〔ルーク・スカイウォーカーハン・ソロ〕に目を向けると、彼らもテクノロジーの使い手だ。しかし、ダース・ベイダーとは違う。…彼らが操る宇宙船はおんぼろで有機的であり、蹴飛ばさないと発進しない。…テクノロジーが人間に飼い馴らされている。(p.273)

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冒頭に、「本書は、技術なるものを捉えるうえで、何か役に立つ見通しを与えてくれるのだろうか」と書いた。実は、本書を一読した時点では、「わりと常識的な内容だな」という印象が残った。技術が組み合わせできていること、あるドメインが行き詰まったのちに大きな変革が出てくるなど、「まあそうだよな」と思えることも少なくない。

ただ、再読、再再読していくと、本書がかなり注意深く書かれていることに気づく。本書の技術観の斬新さや威力が、おぼろげながら見えてくる。

個人的な気づきを一つだけ挙げるとすれば、「技術」のなかにすでに「目的」が包含されているという点だった。著者の定義によれば、技術とは「目的にかなうように現象をプログラム(ないし統合、orchestrate)すること」である。「目的」はどこから来るかといえば、人間のニーズであったり、別の技術がもたらす課題であったりする。人の「好奇心」とか、「なんかわかんないけどこんなことができそう」というものも「目的」に含まれる。いずれにしても、こうした目的もまた創発する。こう考えると、技術の未来予測が二重に難しいことがわかる。既存の「目的」に対してどのような「解決法(solution)」が登場するのかがわからないうえに、将来の技術発展をドライブする「目的」自体、どのようなものが出てくるか予見できない*4。昨今、科学技術の大きな目標として掲げられる「カーボンニュートラル」や「SGDs」などが、このような技術進化のダイナミクスの中でどのように実質的な効果をもつことになるのかは、興味深い。

最後に、「イノベーション」について触れておく。邦訳ではタイトルに入っている「イノベーション」だが、本書では比較的あっさりと定義され、あっさりと扱われている。イノベーションとは、「これまでにない手段を用いて経済の諸問題を遂行することにすぎ」ず、「決して得体のしれない怪しげなものではない」(p.208)という。

イノベーションを生みだすには?」という問いは本書の主題ではないものの、多少言及がある。

さまざまな事例を研究する中で、私が何度も感銘をうけたのは、イノベーション創発されるのは、人々が複数の問題、とくに十分識別された諸問題に直面したときだ、ということだ。結合できるあらゆる手段――あらゆる機能――に没頭した人々がようやく解決策を思い付いて、イノベーションが生まれるのだ。(p.209)

そのような創発が起こるためには、人々が知識だけではなく「ディープ・クラフト」を持つこと、つまり「廊下に行って誰と話せばことがうまく運べるか、…何を無視し、どんな理論を見ておくべきかを知ること」が必要であるという。

科学で主導権を握る国がテクノロジー大国である理由がここにある。…必要なのは、特定の明確な商業利用が見えていなくても、借り物でない基礎科学を確立することだ。(p.207)

最後の引用は、よく言われることではあるが、本書の「生命体としての技術」論を踏まえた上では、また違った説得力を持つように思われる。

*1:なお訳書では一貫して「テクノロジー」とカタカナで書かれているが、「技術」という日本語でも特段問題はなさそうに思うので、本記事では適宜「技術」も使うことにする。

*2:https://www.jimruttshow.com/brian-arthur/

*3:技術と生命の類似性も面白いが、個人的にはその差異に目を向けるのも興味深い。たとえば、そとから「目標」や「機能」を見出す人間のエンジニアという存在が介在する技術と、そうした意図を持った作用が働かない生物とでは、システムの構成やその理解可能性に越えられない壁があるのではないか、など。

*4:「科学の不定性」にも通じる。読書メモ:不定性からみた科学(吉澤剛)…科学の「暗さ」を見つめ、科学を語り合う - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)