重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

読書メモ:Innovation in Real Places (Dan Breznitz著)…地域を壊さないイノベーションのために

今日の科学技術は、「イノベーション」と切り離せなくなっている。

イノベーション」とは、技術や知識、アイディアの新しい組み合わせによって、経済活動の前提に変化をもたらすこと。資本主義社会にとって、継続的なイノベーションは必要条件なだけでなく、今世界が直面している気候変動をはじめとした様々な危機に対応するためにも、イノベーションが必須であると考えられている。国として科学技術の研究開発を推進することを正当化する主要な目的の一つが「イノベーションを起こすこと」にある。これは、日本だけでなく世界的な潮流だ。

しかし、「科学」や「技術」がどれくらい、またどのようにして、「イノベーション」と関連するのかは一筋縄ではない。ノーベル賞級の研究成果がでれば、やがてその知識がその国の産業に波及し、ひいては国の豊かさにつながるのか。シリコンバレーのような大学を中核とした起業家と投資家のコミュニティを形成すれば、グローバルなスタートアップが次々とイノベーションを起こすのか。各国や地域がどのようなイノベーションを実現し、どのような発展を遂げていくべきなのかを考えるためには、もう少し丁寧に実態を見なければならないはずだ。

このテーマを考え議論するのに格好の一冊がある。本書は、東大FoundXの馬田隆明先生がブログでご紹介されていたもの。2021年の初旬に発行され、つい先日カナダの公共政策に関するノンフィクションに与えられる「Balsillie Prize for Public Policy」を受賞している。

著者のダン・ブレズニッツ教授は、イスラエル出身、カナダのトロント在住の研究者。これまで、イスラエル、台湾、アイルランド、中国、フィンランドといった世界各国での詳細な研究で知られ、そのイノベーション政策論が世界的に注目されている。著者の研究から見えてきたのは、研究開発とイノベーションの関係は地域ごとに異なること、またイノベーションが起きても必ずしも地域への経済社会的な恩恵がもたらされるとは限らないということ。

そこでブレズニッツ教授は、本書にて、次の問いに挑む:

地域の雇用、産業、税収につながるようなイノベーションを、各地域(国や都市)はどのように起こしていけばいいのか?

まず著者は、今日のビジネスがグローバルに断片化(globally fragmented)しており、新技術の研究開発、既存製品の改良、製品デザイン、製造プロセスといった「ステージ」ごとに、イノベーションの余地があることを強調する。たとえばイスラエルは、ハイテク(とくに情報分野)のスタートアップ育成に力を入れてきた。その効果はめざましく、「スタートアップ・ネイション」と呼ばれるほどになったが、イノベーションの恩恵は一部のエンジニアと、海外投資家にしか行き渡っていない現実がある。対照的なのが台湾で、たとえば公的な研究所である台湾電子工業研究所(ERSO)は、半導体製造という後段のステージのイノベーションを強力に支援し、TSMC社に象徴される台湾経済の礎を築きました。これは「歴史上、世界で最も費用対効果が高いイノベーション政策だったのではないか」とまで指摘する。

本書は、多くの都市や国が採用しているイノベーション政策をあげる。一口にイノベーション政策と言っても、その手法や主眼は様々だ。各国のイノベーション政策を担う機関(エージェンシー)は次の4つに分類してとらえることができるという。

  1.  生産性増進型 (productivity facilitator): 既存産業に対して、小規模でインクリメンタルなプロダクト/プロセスイノベーションを促進。主にステージ3,4のイノベーションに関わる。 例:デンマークGTS institutes、カナダのIRAP(産業研究支援プログラム)
  2. 特定領域アップグレード型(directed upgrader):特定の産業や活動にフォーカスし、やや長期的なタイムフレームでインクリメンタルなイノベーションを促進。リソースは大きいが、産業との緊密性ゆえに変革につながる実験には向かない。例:シンガポールのA*STAR、チリのCORFO(生産開発機構)
  3. 国家牽引ディスラプター型(state-led disruptor) :公的機関が産業的R&Dを手掛け、産業自体を牽引することを志向。民間の経済活動の「ヘッジング」活動ともいえる。例:台湾のITRI、米国のDARPA(※ITRIはステージ3、DARPAはステージ1のイノベーションに主に関与する点で性格が異なる)
  4. 変革実現型(transformation enabler):  シュンペーターの意味での経済への変革をもたらすことを目指す機関。例:イスラエルのOCS(現IIA)、フィンランドのSitra。

このほかにも、各地域が自分の地域に適した、またその地域が本当に求めているイノベーション政策を選び取るうえで役立つ事例や整理に満ちている。シリコンバレーを再生産するだけのイノベーション政策は地域をゆっくりと衰退に向かわせるだろう――傾聴すべき警告だ。

イノベーション政策に関わる方にとって必読なのはもちろん、イノベーションのエコシステムづくりにおいて今後欠かせない文献になるだろう。日本語訳が待望される一冊。