今月出た『在野研究ビギナーズ』を読んだ。大学や研究機関に籍を置かない14名の「在野」研究者たちが、自身の日々(生活と研究の両立)について、そして自身の研究観について綴った一冊。
ともかく著者たちは皆、腹が据わっている。自分のやりたいことが明確で、限られたリソースをフル活用して邁進している。この本を私は最高の自己啓発本として読んだ。
『在野研究ビギナーズ』、自分にとって空前の自己啓発本かもしれない。自己肯定感、生活向上の具体的なTips、鳥肌立つアジテーション、立つべき位置を見定めるための高性能地図。章ごとに様々なものが差し出され、ことごとくポジティブ。希望が湧いてくる。研究するにせよ、しないにせよ。
— R. Maruyama (@rmaruy) September 6, 2019
著者たちの生き方に憧れるし、尊敬する。けれど、自分自身が「(在野)研究者」になりたいかというと、その希望はないことに気づく。
以下、同書に触発されて考えたことを簡単にメモしておく。
*『在野研究ビギナーズ』とは関係のない内容になっていますので、ご了承ください。非常に面白い本ですので、ぜひお買い求めください。
今回の思いつきは次の3点。
- 「研究」は探究(勉強)の延長線上にある?
- 「探究者」は四つの類型に分けられる?
- 「研究者」と「勉強者」の互恵的関係がありえる?
「研究」は探究(勉強)の延長線上にある?
『在野研究ビギナーズ』の著者の何人かは、「研究者としてのアイデンティティ」に言及していた。「研究者であり続けたい」という気持ちから、どんな境遇にいたとしても学術論文を書き続ける。格好いい生き方だ。一方、研究とのかかわり方には別のルートもあるような気がした。あくまで「知りたい」という探究心から出発する道筋だ。
何かを知りたい気持ちが芽生えたら、「探究」が始まる。まずは「勉強」。そのテーマについて深く考えてきた人たちの書いたものを読む。それで解決すれば良い。しかし、誰も明らかにしていない問題に気づくこともある。自分なら、これを解けるかもしれない。そう思えたときに、勉強が研究に変わるのではないだろうか。
親しくしていただいている同業者の知り合いが、まさにそんな感じで今年「研究テーマ」を見つけ、学術論文を書き始めた。彼は、「たまたま」研究者になった。
「探究者」は四つの類型に分けられる?
そう考えると、世の中には、自ら「研究」するには至っていない「探究者」がたくさんいるのかもしれない。私自身、仕事と家事育児以外の時間は、ほぼ何かの調べものや読書に当てているので、その一人だと思う。けれど、私はたぶん「研究」をすることはない。なぜなら、「勉強」の末に「研究」に突き当たるほど、一つのテーマを深く探究しないだろうと思うから。
「探究者」が「研究者」になるかならないかは、その人の性格や選ぶ分野の性質によって左右される。自分の探究活動の的を絞り込めること、その分野の研究者人口が比較的少なく、研究に必要なリソースも少ないことなどが、人が研究者になりやすい条件だろう。一方、「生命とは何か」といった大きな問い、「重力と量子力学の統合」といった超難問に取り組みたい人は、「勉強」だけで時間が過ぎていく可能性が高い。
「探究の対象の広さ」と「知の生産を行うか」という2軸を使うと、「探究者」を4類型に分けることができそうだ。
- スーパー研究者:大きな問いや複数のテーマについて、研究レベルの活動ができる人*1。希少。なりたくてもなれない。
- 研究者:自身のテーマを一つにしぼり、知的生産を行う。多くは自身のテーマ以外の「勉強者」でもある。
- 勉強者*2:幅広いテーマや大きな問いについて、自分なりの勉強を行う。
- マニア?:絞り込んだテーマについて、既存の知識を収集する。ひとまず考察しない。
「研究者」と「勉強者」の互恵的関係がありえる?
一見、「勉強者」は「研究者」や「スーパー研究者」たちの研究成果を受け取るだけの「消費者」的な立場にも見える。もちろん、勉強者が勉強の素材とするのは、古今東西の「研究者」たちが築いてきた知の体系だ。だが、「勉強者」が「研究者」に与えるものが何もないわけでない。むしろ、多様な支援が可能なのだ。(ということを、『在野研究ビギナーズ』の酒井泰斗さんの章を読んで強く感じた。同章では、酒井さんがどのような考えのもとでどのような「研究支援」を実践してきたかが紹介されている。研究者とかかわることが多い非研究者の自分にとって、天啓のような内容だった。)
考えうる「支援」としては、
- 研究者の行っている研究が、世間にとってどのような「価値」をもつのかを考えるヒントを与えること
- 研究内容を広く非専門家に伝えるためのメディアを提供すること
- 「勉強者」の視野の広さを生かした、専門分野間の架橋
- 学会や大学という文脈の外で、生き生きとした学術的議論の機会をつくる手助けをすること
などが思いつく。「科学コミュニケーター」ともかなり重なる役回りと言えるが、「勉強者」のほうがもう少しだけ広い概念かもしれない。
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『在野研究ビギナーズ』に勇気づけられた私は、研究者ならざる探究者、「勉強者」として生きていく決意を新たにした。