重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

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掬読メモ:独学大全(読書猿)…独学はブートストラップできる

独学大全 絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法

独学大全 絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法

  • 作者:読書猿
  • 発売日: 2020/09/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

『アイデア大全』、『問題解決大全』の著者として知られる市井の著述家、読書猿(どくしょざる)氏による新刊。前著の二倍近いボリュームの本書のテーマは、「独学」だ。

著者は自身を「独学者」と位置づける。独学者とは、「学ぶことを誰かに要求されたわけでも、強いられたわけでもない」のに、「自ら学びのなかに飛び込む人」(p.8)のこと。私は、昨年あたりから「勉強者」を自認している*1のだが、読書猿さんのいう「独学者」の定義にもばっちり当てはまる。まさに自分のための本だと思った。

『独学大全』は、「独学」という営みを成就させるための技術を、あらゆる方面から記している。独学の傍らにおいておくべきハンドブック的な本なので、現段階で「精読」はしていない。以下は、著者のいう「掬読(きくどく)」を経た段階での、読書メモ。

独学に「大全」は必要なのか?

しかし果たして、独学者に『独学大全』なるものは必要なんだろうか。そんな疑問が出てもおかしくない。誰にも頼まれていない勉強なんだから、自分流に、好きにやればいいのでは? 何もこんな「大全」なんかで武装してまで、肩ひじ張ることないのでは? 

しかし、著者ならそんな素朴な疑問は一蹴するだろう。そんなことでは、独学はままならないのだ。

学び始めるのも、何を選んで学ぶかも独学者の自由だが、その反面、挫折・中断しがちであり、また安易な道や視野の狭い思い込みにも嵌りやすい。p.9

 …独学者には、計画を完遂する技術が要る。そのためにモチベーションを維持する、誘惑に負けないといった自己コントロールについての技術知が必要だ。p.11

これは、感覚としてよくわかる。いくら好きだからやっているとはいえ、安きに流れるままだと、Twitterを観たり、(自分の場合)将棋の対局動画を観たりして時間を過ごしてしまう。少しでも知的探究を前に進めるためには、自分を律する必要がある。

『独学大全』には、弱い心を独学に向かわせるための、様々なテクニックが紹介されている。たとえば、学習計画を他者に伝えることによってコミットメントを高める手法などだ。

もしもあなたの独学を応援してくれるか、少なくとも見逃してくれている人がいるならば、その人にその週の簡単な学習予定を手渡すだけでいい。たったこれだけで「鉄の意志」以上に強力なガードを手に入れることができる。p.176

……独学を「少なくとも見逃してくれている人」といった表現、独学者の端くれとして心の琴線に触れるものがあった。あるいは、独学に割く時間が足りない人への、次のアドバイスは非常に有用だと思った。

…すぐに理解できない難しい個所や解けない問題を、事前に考え抜いておけば、 その後、仕事中など学習に使う余地のない時間を過ごしている間にも、理解は進んでいるのである。言わば学習における「保温調理」だが、これこそブラックである時間〔自分でコントロールできない時間のこと〕を学習時間に変える工夫である。p.123-124

数学者ポアンカレが提唱した「インキュベーション」という手法の応用だという。明日から実践しよう。

まずはモチベーション…それはどこから来るのか

しかし、私にとっての本書の見どころは、「いかに学ぶか」以前の部分にあった。つまり、「何を学ぶか/なぜ学ぶか」についての記述だ。

独学というのはしばしば、「まず、知りたいことある」のではなく、「知りたいことを探すこと」から始まる。でも、そうまでして独学しなければならない理由は何のなのか。 モチベーションをでっちあげてまで勉強する? 何のために?? ここに、「独学」という営みが抱える大きな矛盾があるように思う。この自問自答は、独学者(勉強者)の足をすくませる……自分の経験上。

しかし『独学大全』は、「何を学びたいのかがわからない」ような人を切り捨てない。むしろ、モチベーションの立ち上げ方のところから一緒に考えてくれるのだ。

「探検」の本当に最初の段階では、「どこを探していいか」がわからないだけでなく、そもそも「何を/何のために探すのか」すら不明である。p.220

本書ではたとえば、「学びの意欲と意志を育てメンテナンスする技法」としての「学びの動機付けマップ」を提案する(p.64)。自分の過去を振り返って、現在の興味関心につながる経路を可視化し、学びへの「志」を明確化するツールだ。

何らかの知を根源的に求めている、でも、なぜ/何を求めているのかがわからない。そんなところからでも、独学はブートストラップできるのだと、『独学大全』は力強く教えてくれる。

本とどう向き合うか?

独学者の最大の教材、それは本だ。『読書大全』は数百ページを割いて、本をどう読めばいいかを指南する。まずは本を探すところから。

誇張して言えば、「何を読めばいいか」を知ることができるツールは、人をたちどころにして〈独学者〉に変える魔法の杖(マジック・ワンド)である。〈独学者〉は、大したことを知っているわけではないが、「自分が何をどうすれば知ることに少しでも近づけるだろうか?」という問いには、なんとか自分の力で答えることができる。p.316

 そのための、検索方法や、百科事典や書誌の使い方が解説されていく。次に読み方。

そして本を読むとは、結局のところ、様々な読み方でもって繰り返し再読することだ。本の読み方は一通りではない。それを知るだけで随分読むことが楽になるだろう。p.461

読むとは、いろいろな読み方を駆使して再読することだという。たしかに気が楽になる。その一種として、たとえば「掬読(きくどく)」という読み方が紹介されている。

掬読Skimmingは、読むべき部分と(当面の目的のためには)読まなくてよい部分を見分け、読むべき部分だけを読んでいく技術である。p.470

Skimmingというと「注意散漫な流し読み」といったネガティブなイメージだったが、「掬読」とすると「れっきとした読書技法の一種」というニュアンスに変わる。これは良い言葉を知った。

独学者にとって最大の不安であり、実際にも立ちはだかる困難は「わからない時に質問できる人がいない」ことである。(…)例えば我々が難しい本を読むのをあきらめ、その本を放り出すのは、それ以上「わからない」状態に付き合うことに耐えられなくなるからだ。p.638

そんな、「わからなさ」と対峙する技法も、本書にはふんだんに載っている。わからなくても本は待ってくれる。わかるまでそこにあること、それが「本」という媒体に「約束」されたことだからだ。

…「他の人が知っていることを私もまた知ることができること」「私が知ることを他の誰かもまた知る可能性があること」こそ、書物が蔵する知識に約束されたものである。p.349

独学者のこれから:読書猿×1000人の未来

本書を掬読して、独学者には未来があると感じた。

誰にも頼まれていないのに、隙間の時間に何かを読み、調べ、書く。普通に考えたら「何にもならない」、辺境的な活動だ。しかし、もっとストイックに、システマティックに、プロダクティブにやってみよう。マジの独学ができるぜ。この分厚い本は、そう語りかけてくる。

本書をきっかけに、独学者(=勉強者)が増えるといい。読書猿さん並みの独学者が、1000~10000人、そしてその予備軍が10万人単位で日本語圏に現われたとしたらどうだろう。もちろん、独学者は、ディシプリンのなかで知識生産を行う研究者たちの代替にはならないだろう。しかし研究者たちによって創造された知を、大胆に享受し、拡散し、混合していく、知的空間の相補的な担い手にはなるはずだ。分厚い独学者の層によって、研究者たちは刺激を受けるだろうし、独学者が一時的に研究者になったり、その逆もあるだろう。

そして、「超人でも碩学でもない我々」(p.415)であっても、正しい方法論を選び、自らの独学を磨き続けることで、著者のような独学者になるのも不可能ではない――『独学大全』にはそう思わせてくれる力がある。

 

関連図書

たぶん、合わせて読むと面白い本。千葉著では勉強をすることの「デメリット」に力点が置かれており、(『独学大全』でも一部触れられている観点ではあるものの)独学者が心しておくべきポイントがあると思う。