重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

TENETメモ:『TENET』世界から生還するための「あら探し」

ずっと、『TENET』のことを考えている。

私だけではないようだ。日本での公開から3週間ほど経つが、『TENET』についての記事・ブログが書かれ続けている。「難解」と言われるプロットを解説するもの、科学的視点から面白さや矛盾を指摘するもの、ノーランの過去作を引き合いに出した作品論など。これほどみんなが語りたくなる映画が、近年あっただろうか。

『TENET』を語る人はよく、「この映画で○○は本質じゃないんだよ、本質は××にあるんだよ」という話法を使う。○○や××に入るのは、「物理学との矛盾」や「プロットの辻褄」や「映画表現の追究」や「ノーラン監督の宗教観」など。私もまた、自分なりの角度から、『TENET』に深く魅せられた。

私の『TENET』の見方、私への『TENET』の刺さり方は、広い共感を得られるものではないかもしれない。でも、だからこそ書いてみたい。書かずにはいられない。

ネタバレは控えめですが、これから映画を楽しみたい人は読まないほうが良いかもしれません。

 

映画館を出たあとの、あの感覚

Don't try to understand it, feel it.

――Instinct? Got it.

理屈は後回しにして、まずは感覚から。

『TENET』を観終わって、映画館を出たときの、不思議な現実感。何と表現すればいいのだろう。

――時間が俄かに「濃度」を増したような感じ。

――世界の「粘度」が高まり、足先から頭までまとわりつく感じ。

私にとっての『TENET』の特別さは、この感覚に凝縮されている。そして、今なお、私の身体はその余韻のなかを生きている。

カーチェイスのあと、タリンの倉庫から、主人公(Protagonist)が初めて逆行世界に踏み出すシーンを思い出してほしい。あそこで、映画の時間軸が折り返し、主人公は数分前のカーチェイスを逆向きに体験する。さっきまで流れていた時間が確かに実在し、それが「逆向き」にも辿れる時間であること。過去から未来へと連なる時間が、ひと時も途切れずに、「元通りに」存在し続けていること。……その強烈な「事実」を、あのシーンで僕らは主人公と共に体験する。

その後、主人公たちが順行と逆行を目まぐるしく切り替えながら迎えるクライマックスまで、この「不思議な感覚」はどんどん強化されていく。

その正体は、「異常な時間観念の植え付け」

『TENET』が私の身体に残した「不思議な感覚」。それを私は、「ラディカルな決定論的時間観念の植え付け(インセプション」とでも表現したくなる。

私たちは、「時間とは何か」を知らずに生きている。ただ「時間とはこういうものだろう」という漠然とした「時間観念」、ないしは時間についての「モデル」をもつだけだ。そして時間観念(時間モデル)にはいくつかの種類があり、ときに互いに激しく矛盾する。

哲学者たちは、そうした時間観念に名前を付けてきた。たとえば、現在主義(presentism)/永久主義(eternalism)という区別。神経科学者のディーン・ブオノマーノ氏による説明を見てみよう。

現在主義によれば現在だけが実在し、あらゆる存在は絶え間ない現在の中にのみ存在する(…)。過去とは、もはや存在しない宇宙の形態であり、未来とはいまだ定まっていない形態を指す。永遠主義〔永久主義〕によれば、時間とは開けた次元の形で空間化されており、その次元内では過去も未来も現在も同等に存在する。(ブオノマーノ著、村上郁也訳『脳と時間』p.168、太字はブログ筆者)

時間軸における「現在」の地位をどう捉えるかによって、こうした真逆の時間観念が現れる。

あるいは、時間を過去から未来へと連なる「線」に見立てた際、その線は「分岐」するのか、もしくは「一直線」なのか。「一直線」と答えた場合、あらゆるものごとは、一通りでしか起こらない。次に出るサイコロの目はあらかじめ決まっているばかりか、自分が生まれてから死ぬまで、やることなすことすべてが、一通りに定められている。つまり「決定論(determinism)」だ。時間論の専門とする哲学者の青山拓央氏は、とくに「可能性」ですら分岐しない時間モデルを「単線的決定論」と呼んでいる。

「永久主義」や「単線的決定論」は、頭の中で考えることはできても、それが成り立つ世界を想像することは難しい。まして、自分が生きるこの現実で成り立っていると本気で信じている人は希だろう。しかし『TENET』は、こうした異常な時間モデルに、リアリティを与える。過去だけでなく「未来」も決まっている世界。主人公は、定められた未来に向かって、秘密組織TENETのリーダーとして生きていくことを選ぶ。

それを、『TENET』で初めて感じるわけ

とはいえ、「運命が決まっている」とか「自由意志はない」といったテーマを扱った映画・小説はたくさんある。とくにタイムトラベルが絡むSFのなかには、主人公がタイムトラベルをして過去で行うことを含めて、すべて整合的に(パラドクス抜きで)ストーリーがつくられている作品も多い。「あのとき助けてくれた人影は、未来の自分だったのか!」というやつだ*1

では『TENET』の何が特別なのだろう。それは稠密な4次元ブロックとしての時空モデルのリアリティを、骨身に感じさせる映像体験ではないだろうか*2

従来作品の決定論ではまだ「隙間」があった。たしかに、登場人物たちがタイムトラベルすることなどは「決まって」おり、それ込みで歴史は作られている。でも、タイムトラベルのあいだや、物語にとって重要じゃないところでは、必ずしも決定論が成り立っている必要はなかった。しかし、『TENET』は「一倍速の逆行」により、いわば順行と逆行の挟撃作戦(pincer maneuver)により、あらゆる瞬間での決定論を印象づける。まさに、映画にしかできない表現だ。

時間軸が決定論で充填されることによる、逃げ場のなさ。自由の余地のなさ。これが、『TENET』鑑賞後、私がおぼえた「世界がまとわりつく」感覚の正体だ。

しかも、TENET世界は現実に染み出してくる

まあ、とは言っても、映画のなかの話でしょ? 現実には「時間の逆行」なんてできないんだから、お話として楽しめばいいだけでは? こんな声も聞こえてきそうだ。

しかし私は、時間逆行の想定をすぐには「ファンタジー」として片づけられない。それは本当に可能かもしれない。神経科学的な実現可能性だ。

私たちは、世界の時間をそのまま知覚できるわけでない。私たちが「流れる時間」だと思っているもの、それは脳が「構築」した「心の時間」だ。もう一度、ブオノマーノ『脳と時間』から引用しよう。

脳は時間の知覚を生み出すマシンである。視覚や聴覚とは異なり、我々には時間を検出する感覚器はない。時間とは、物理的測定で検出可能なエネルギーの一形態でも物質の基本的性質でもない。それでも、対象(反射光の電磁放射の波長)に関して色が知覚されているのと同じように、時間の流れも意識上に知覚される。脳が時間の流れの感じを生み出しているのだ。大方の主観的経験と同じく、時間の感じ方も多くの錯覚やゆがみを被る。(ブオノマーノ著、村上訳『脳と時間』p.25、太字はブログ筆者)

「心の時間」は「世界の時間」とは独立している。だから、「心の時間」をどうにかして操作できれば、「世界の時間」と逆行する時間感覚を作り出せるかもしれない。

『TENET』で回転ドアを通った人や物は、時間反転した物理プロセスをたどることになっている。だとすれば、順行視点で見た「逆行人」の脳のなかの生理現象は、すべてが反転しているはずだ。ニューロンの発火の順番から、個々の活動電位の波形に至るまで。

いま、一部の神経科学者は、まじめに「意識のアップロード」の可能性を語る。脳内現象を適切な精度でコンピュータシミュレーションで実行できたら、「意識」が生まれるはずだというのだ。ここにはいくつもの大胆な仮定が含まれているように思うが、仮に彼らの言うとおりだとしよう。では、意識のアップロードができた暁に、そのシミュレーションを逆回しで走らせたら? 逆行人が誕生するのではないだろうか*3

「時間の流れ」が脳が作り出すイリュージョンだとすれば、「逆行する時間の流れ」だって作れるかもしれない。逆行人には、神経科学的なリアリティがある。このことに思い至るとき、私は『TENET』に植え付けられた時間観念に、なおさら慄くのだ。

そして、自由の余地は最後の一滴まで搾り取られる

仮にそうだとしても、別にすぐに「逆行する時間感覚」が実現するわけじゃないし、日々の生活のなかで気にする必要なんてないじゃない。今度はそんな声も聞こえてくる。

TENET世界の万に一つの実現可能性が、私たちの日々の生活に与える影響とは何か。思うに、それは「自由意志」の問題に絡む影響だ。

この世界で起こることすべてが物理法則で決まっているのなら、自由意志の余地はないではないか――古今の科学者や哲学者はこの問題に頭を悩ませてきた。

一部の哲学者は、「決定論か自由意志か」という二者択一を取る必要はないとする、いわゆる「両立論(compatibilism)」を唱える。たとえば哲学者ダニエル・デネットは、決定論が正しくても「私たちが欲するに足る自由意志」の余地は残されていて、それを「エルボールーム」*4と呼んだ。

TENET世界は、デネットの「エルボールーム」すら奪うように思えてならない。決定的なのは、「未来の痕跡」の存在だ。映画のなかでは、「未来の痕跡」としての銃痕が何度も出てくる。これは、逆行するピストルが未来から撃った(あるいは順行世界から見れば、ピストルに「キャッチ」される)弾についての痕跡だ。未来の痕跡としての銃痕は、やがて銃で撃たれることが「決まっている」。

What's happened, happened.

両立論者が言うように、世界が物理法則による決定論に支配されていて、しかもそれを知っていたとしても、人は自由を感じて生きていけるのかもしれない。しかし、TENET世界には、自分がとることになる「未来の行動」についての「痕跡」がごろごろ転がっている。そんな状況では、一段階強く自由意志は剥奪されるだろう。ことさら、逆行人にとっては。

先ほど述べた「意識の逆シミュレーション」により逆行人になった人は、自分が――順行していたときですら――1mmの自由の余地(エルボールーム)も持っていないことを、骨身にしみて知ることになるだろう*5

しかし、本当にTENET世界は成立するのか?

Sailing, or diving?

以上のような具合に、私は『TENET』鑑賞後、その世界に深くダイヴし、現実観まで揺さぶられてきた。

しかし、だ。『TENET』について考えれば考えるほど、「あれ?おかしいな?」というところが出てくる。圧倒的なリアリティを感じた映像の裏に、思いのほか多くの「嘘」が隠されていたことに気づくのだ*6

ここから、『TENET』の嘘を暴いていこう。それも、「そんな細かいところはいいじゃない?」で済ませられないほど大きな嘘を。

嘘その1:逆行視点は映画の逆回しではない

まず再考したいのが「逆行視点」の映像だ。

タリンの倉庫から、逆行世界へと踏み出した主人公。たしかに、鳥は後ろ向きに飛んでいるし、風も逆向きに吹いている。でも、空は青く、逆回しとは言え音も聞こえる。逆行した意識は、本当にあのように世界を見るのだろうか。

良く考えると、あのようにはならない。たとえば、太陽は真っ黒なはずだ。太陽の光を私たちが見るプロセスというのは、

  1. 太陽が光子を放出する
  2. 空間中を伝播して眼に届く

というものだ。これが逆行人にとっては、どうなるか。逆にすればいい。

  1. 眼から光子が放出される
  2. 太陽が光子を吸収する

この過程で、果たして逆行人は太陽を「見る」ことができるのだろうか*7。太陽だけじゃない。あらゆる「光源」と「音源」は、逆行人にとっては光や音を「吸収」する。逆行視点では湧出点(ソース)と吸収点(シンク)が逆転する。もしかしたら、銀河中心のブラックホールがぼやっと光ってみえるかもしれない。

つまり、「逆行視点を生きる」ことは、「順行で撮影した映像を逆回しに見る」こととは、似ても似つかないことであるはずなのだ。しかし、逆行などしたことない私は、「映画の嘘」にまんまと騙されていた。

嘘その2:逆行人の行動は、人間のそれではない

着目したい二つ目の「嘘」は、登場人物たちの行動原理のおかしさについてだ。多くの人が気づいているように、映画が順行しているときの逆行人の行動、映画が逆行しているときの順行人の行動は、よく考えると不可解なものが多い。

たとえば、冒頭のキエフの音楽堂では、「正体を見破られてピンチに陥った主人公を逆行ニールが助けた」ことになっている。しかし、順行人を逆行人が助けるということは本当に可能なのだろうか。状況を単純化して、次の状況を考えよう。

  • 味方の順行人Aが、敵の順行人Bに殺されそうになっている。
  • 逆行人Zが、逆行弾を撃ってBを殺し、Aを助ける。
  • 弾は、Bを貫通して壁に弾痕をつくったとする。

一見問題ないように思える。順行視点ではこのイベントはどう見えるか。

  1. なぜか、壁に弾痕がある。
  2. AがBに殺されそうになる。
  3. 弾痕から銃弾が引き抜かれ、Bの身体を貫通して、Zの銃に収まる。
  4. Bが死ぬ。Aは助かる。

一方、逆行人Zの視点では次のようになる。

  1. Bが死んでいる。Aは生きている。
  2. Bが苦しみながら蘇る。Bには銃傷がある。
  3. Bの銃傷に向けて、Zが銃を撃つ。
  4. 銃弾はBを貫通し、それとともに銃傷は癒えていく。
  5. AはBに殺されそうになる。
  6. 壁に弾痕が残る。

このように、逆行人Zの視点では、彼の打つ銃は敵を倒すのではなく蘇らせる。Zは、「かつてAがZから逆行弾によって助けられた」という「過去」を成就するためだけに、やってきて引き金を引いたように思える。それも、綿密に決められた場所に向かって、1ミリ秒もずれないタイミングで。

一時が万事で、逆行人と順行人が絡むシーンでは、一方が筋が通った行動をとっているときには、他方はおよそ人間の行動とは思えない、不可解な行動をとっている。あたかも、カメラが回っているときだけ「人間らしさ」のスイッチをオンにし、そうでないときは脚本の筋書きを「成就」させるために意思なく動く、まるでオートマトンのようなのだ。

だから、何?

Getting out alive is the problem.

ここまで私は、「『TENET』の嘘を暴く」などと称して、「物理考証」まがいのことをしたり、登場人物の行動原理上の無理を指摘するなどしてきた。『TENET』にケチをつけたいの? 違う。『TENET』の魔力から逃れるためだ。

異常な時間観念を、圧倒的なリアリティで植え付けられるような映像体験。しかしそれを反芻するうちに、「圧倒的なリアリティ」と見えていたものが、「映画の嘘」で塗り固められたファンタジーであったことに気づく。仮に、過去や未来が永久主義に実在していて、あるいは世界は単線的決定論的にできており、あるいは「逆行する意識」が存在しうるとしたとしても、『TENET』の映像体験によってそれを垣間見た気になってはいけないのだ。

もちろん、「嘘」の存在は『TENET』のすばらしさを減じない。むしろ、ここまで大胆に嘘をつき通したことが、この映画の凄さだろう。

TENETの時間モデルのリアリティに一度は幻惑され、世界がTENET色に染まってしまった私にとって、そこから生きて帰って来るために、映画の「あら探し」は必要な作業だった。

未来は開かれているし、変えることができる。再びそう信じることができるようになるために。

あなたは、『TENET』で何を感じましたか?

 

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*1:最近読んだもののなかでは、テッド・チャン『息吹』に収められた「商人と錬金術師の門」が素晴らしかった。

*2:4次元ブロックとは、時間の1次元に空間の3次元に加えた「時空の塊」のこと。

*3:この、シミュレーションの時間と外界の時間をずらすというアイディアをさらに先鋭化させたSF小説として、グレッグ・イーガン順列都市』がある。

*4:肘を動かすことくらいならできるスペース、というニュアンス。

*5:こうした徹底的な決定論を怖いと感じるかどうかは人によって分かれそうだ。たとえば、物理学者の橋本幸士氏は次のような感想を記している。

決定論的世界観になんとなく大学生活で毒された僕には、自由意志を否定したいという感覚が自分の奥底にある。『TENET』では自由意志の非存在と格闘する主人公がそのまま描かれていることが、本当に素晴らしかった。

時間逆行映画『TENET』の謎とは何だったのか? 映画に魅了された物理学者、橋本幸士が反芻する | bound baw

*6:「嘘をつくことはstandard operating procedure(標準的手順)だ」という主人公のセリフがあるが、映画評論家の町山智弘氏は、ここから「映画は嘘をつくのがstandard operating procedureなのだ」というノーラン監督の哲学を読み解いていた。

*7:反論としては、あくまで眼の視細胞は順行していて、視神経に信号を送るところまでは順行プロセスで考えればいいのだ、というものがありうるかもしれない。しかし、逆行人の身体は少なくても全部逆行しているように見えたし、一部の感覚器官だけが順行の状態で生きていけるとは思えない。