理工系の研究者に本を書いてもらい、出版の手助けをするのが私の仕事である。しかし、理工系研究者*1たちからは、
- 本を書く時間なんてとてもないよ
- 本を書く暇があったら研究をしたい
という声を聞くことが多々あり、その頻度は年々増えているように思われる。それでも無理やり時間を作って本を書いてもらおうと思えば、
- そもそも、今の時代に本(教科書・専門書)を書く意味がどれほどあるの?
という疑問に対して、納得できる回答をしなければいけない。これによい答えを用意できるかどうかは、理工書出版というビジネスの存続においても、その一員としてこの先仕事を続けるうえでも、死活問題だ。
以下は、この件についての現段階での考えをまとめたメモである。
※言うまでもなく、所属企業の見解ではありません。
※下記の記述には、職務上知り得た情報は含まれておらず、一般に公開されている情報だけをもとに書いています。
※とても不完全なメモです。観点の見落とし、議論の不備、別アイディアなどがあればぜひご指摘ください。
研究者が置かれた状況
まず、事実として、日本の研究者は多忙になっている。
たとえば、昨年の文部科学省の調査「大学等におけるフルタイム換算データに関する調査 報告書」によれば、「工学分野における大学等教員」の労働時間のうち、研究に当てている時間は、平成14年の50.3%から平成30年には39.9%になっている*2。ここ15年で10%も減っており、代わりに教育・事務・社会サービス活動が増加している。
また、「競争的環境の強化」による疲弊ということもよく言われる。今の研究者たちは、つねに競争的資金の獲得に時間を割かなければいけない。同じ資料のなかには、
競争的資金等、外部研究資金の獲得に必要な業務の(…)年間の総時間は43時間であり、年間の研究時間に占める割合は5.0%という結果が得られた。
とある*3。無事資金が獲得できた後も多くの報告書を書かなければならないし、何より短期間で成果を出すことへのプレッシャーにさらされる。そのため、書籍執筆という長期プロジェクトにかかわる時間の確保も、書籍にまとめるネタの収集も難しいと考えられる。
このように、「本を書く時間なんてとてもないよ」「本など書く時間があったら研究したい」という研究者の実感が裏付けられる。
進化生物学者の三中信宏教授は、多産な著述で知られる研究者だが、次のように述べている。
大学にせよ国研にせよ、現在の研究者が置かれている状況をかんがみると、学術書を含め「本を書く環境」それ自体はさらに悪化しているようだ。職場としての“糊しろ”や“溜め”を保証する人員あるいは資本(資金)が経年的にやせ細ってきたので、かつてはあったはずの「深いフトコロ」がどんどん埋め立てられている気がする。だから、教員や研究者が「本を書くこと」の代償やリスクは以前よりも格段に大きくなっているのかもしれない。(『大学出版』2019.1、三中信宏「学術書を読む愉しみと書く楽しみ──私的経験から」*4)
少しずれるが、近年、研究機関に属さないで研究活動を行う「在野研究」が注目されているのも、こうした状況を一部反映しているだろう*5。
理系研究者が本を書く意義
一方、「今の時代に本を出す意味があるのか?」という点についてはどうだろうか。こう問う人の念頭にあるのは、何より技術の変化だろう。たとえば、インターネット以前、さらにはDTPソフトの出現以前の、書籍出版の意義を疑う人は少ないと思う。
- かつて:活字を組む技術は出版社・印刷所にしかなかった → いま:DTPで誰でも可能に
- かつて:不特定多数の読者にテキストを届ける手段は書籍しかなかった → いま:ネットを使えば誰でも可能に
かつての「書籍出版の意義」の多くの部分が、もはや他の手段で代替可能になっていることを考えれば、いまのメディア環境を踏まえた「それでも書籍というメディアに残っているメリット」を考えなければいけないと思う。
一口に理工書といっても、
- 教科書
- 専門書(学術書・技術書)
- 啓蒙書
などがあり、少しずつ意義も違うかもしれない。以下では、教科書と専門書について考える。啓蒙書には触れないことにする。
理系研究者が「教科書」を書く意義
まずは教科書。仮想的な「教科書執筆不要論」として、下記の論点が考えられる。
大学出版会の編集者による2015年の著書『学術書を書く』では、現代における教科書の意義については(電子データと組み合わせた活路に言及しつつも)懐疑的な見方が示されている。
筆者は、こと「紙の本」に限定した場合、狭義の教科書つまり大学や大学院の講義と不可分に作られた教科書は、今後、紙の本として発行し続けていくには限界があると思っているのです。
理由の一つは、学術研究のスピードの問題です。(中略)事実、大学では、講義の目的や学生のトレーニングレベルに鑑みた、教員による手作りの教材が広がっています。その結果、「教科書が売れない」というのは、学術出版人の共通した悩みとなっているのです。(鈴木哲也・高瀬桃子『学術書を書く』p.44)
それでも、教科書執筆にメリットがあるとしたらどんなことだろうか。下記が思いつく。
- 自分が直接教えている学生以外の学習に役立つ可能性が(ネットで公開した場合と比べても)高まる
- プロの編集を経由することで完成度が上がる
- あえて可変性の少ない「書籍」の形にすることで参照・引用のしやすさが高まり、分野の共通言語をつくることができる
理系研究者が「専門書(学術書・技術書)」を書く意義
専門書に関しても、教科書とほぼ同様の「書かない理由」を挙げることができるかもしれない。加えて、理工系の場合は
- 書籍執筆が取り立てて業績にならない
- 雑誌の解説記事をよく書いているので、とくに書籍執筆の必要性を感じない
といった意見もありうるかもしれない。学術的なコンテンツが「書籍」の形になっていることの意義とはなんだろうか。真剣に考えだしたら大変なテーマだが、ひとまず、既出の三中論文を引いておく。
専門分野を掘り下げた学術書(その定義が何であれ)は断片的な知識を超えた体系的なまとまりを読者に提示している。レファレンスとして役割を担う学術書をひもとくとき、読者の側にはあるまとまった“知識の体系”について知りたいという動機がきっとどこかにあるだろう。最新の“知識の断片”を知りたいのであれば、専門的なジャーナルの原著論文を参照すれば事足りる。しかし、あえて学術書を手に取る読者はもっとちがうものを求めている。(三中信宏、同上)
ここでキーワードになっている知識の「体系性」は、現状では書籍という媒体でしか読者に提供できない価値といえるかもしれない。ただし、さすがに「専門書を全く読まない」という研究者は少数派だと思われ、「読者として」であれば、誰しも書籍のメリットは感じているのではないだろうか。問題は、専門書に価値があることは自明であっても、それを書くことが「割に合うか」だ。
なお、また少し話題がずれるが、近年、主に企業エンジニアのあいだで流行している「同人誌出版」は注目に値する。その流れをつくった「技術書典」は、いまでは1万人が参加するビッグイベントになっている。技術書典を運営する高橋征義氏は、商業出版と技術書の相性の悪さとして「賞味期限が短い」「制作に時間がかかる」ことなどを挙げる一方で、Webのデメリットとして「課金しにくい」「書き手のモチベーションが保てない」ことなどを挙げて、その折衷的な解として「同人誌」を位置付けている*6。大学研究者にとっての、学会や学術論文誌の存在に近いのかなと思ったりもする。
書籍執筆のインセンティブを高めるために、出版社・編集者ができること/すべきこと
以上をまとめると、
- メディア環境の変化により、書籍出版の意義が変わってきているのは事実だが、
- それでも一定の意義は残っている。
- しかし一方で、研究者の多忙化により「本を書く時間なんてない」という状況が生まれてしまっている。
出版社に身を置く一人としても、一読者としても、これからも良い本(教科書・専門書)が世に出ることが望ましいと考える。研究者の本分が「研究」であることは当然だし、全員が必ず本を書くのがよいとも思わないが、「ぜひこの人には一冊書いてほしい」という方がいる。
そこで、出版社・編集者ができること/すべきことはなんだろうか。答えは、当たり前のことだが、「書籍執筆にかかるコストを下げ、書籍執筆から得られるベネフィットを高めること」に尽きるはずだ。
「コストを下げる」に関しては、すぐに以下が思いつく。
- 企画のアイディア出しで手伝う(0→1のフェーズでの時間短縮)
- 原稿終盤でのブラッシュアップを肩代わり(80→100のフェーズでの時間短縮)
もっと踏み込んで「編集者と研究者の共著」に近い形での出版も考えられるかもしれない(0→100の全工程でかかわる)。また、より抽象的にはなるが、
- 書籍執筆の「孤独」を緩和する
といった効果も実は発揮できるかもしれない。
「ベネフィットを高める」に関しては、まずもって「本が売れる」ことだろう。そのために
- 本の完成度を高める(企画・編集・印刷造本)
- 本を最大限PRする(営業、販促施策)
などを通じて、出版社を介在させる効果を感じてもらえるとよい。また、本が多くの人に読まれることで、
- 発行後の読者からの有形無形のフィードバックにより、自身の研究活動が好転する
という効果も無視できない。
(なお、「金銭的ベネフィット」の考察は今後の課題としたい。残念ながら、印税収入を「ベネフィット」と感じてもらえるほど印税を払えるケースは多くないかもしれない。)
編集者が企画・編集に携わることにより、本の完成度が具体的にどう高まるのかは場合によるし、なかなか言葉で説明しにくいところではある。抽象的な言い方にはなるが、「その本が売れることにフルコミットした立場で、第3者の視点で原稿を読んで改善提案をする人」がいることは、本の完成度をかなり左右するのではないかと思っている。逆にいえば、編集者以外でそのような役割を果たしてくれる同志が見つかれば、それで十分ということになる。
編集者・出版社としては、上記のような自らの役割を著者候補にアピールすること、また、「本を出して良かった」という著者を一人でも増やし、その感想を広く周知していく努力が必要になるだろう。
関連記事
*1:本記事では主に大学に勤務する理工学系の研究者を念頭に置いている。
*2:出典:http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/31/06/1418365.htm 図表5「工学分野における大学等教員の職務活動時間割合の推移」における研究時間の割合
*3:こちらの数字は、工学系に限らない全研究者についてのもの。
*4:http://www.ajup-net.com/wp/wp-content/uploads/2019/02/ajup117_all_190110.pdf
*5:cf:「在野研究」はいまなぜブームなのか? 大学の外から学問する面白さ(荒木 優太) | 現代ビジネス | 講談社(3/6)
*6:2019年5月29日 高橋征義(達人出版会)「技術書典の設計と実装」https://www.jepa.or.jp/sem/20190529/