(追記)本記事公開後、ベルクソン研究者の平井靖史先生と議論をさせていただきました。平井先生のブログもぜひご覧ください。
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「探究メモ:脳科学は記憶の仕組みをどこまで解明したのか」シリーズ、「番外編その3」です。
前回の更新はこちら:探究メモ:脳科学は記憶の仕組みをどこまで解明したのか〈番外編2:論文紹介 Science 2018, Tanaka et al.〉 - rmaruy_blog
今回は、脳から少し離れ、「物理学にとっての記憶」というテーマで考えてみたいと思います。
「物理学」と「記憶」、一見無関係に思えるかもしれません。ですが、物理学者の中には「記憶とは何か」ということを論じている人がいます。物理学的に記憶というものを位置づけようとすると、かなり興味深い問題が浮上するようなのです。
当初、そうした物理学者たちの「記憶」についての見解を調べて紹介しようと思っていました。しかし、ちょっと勉強してみた限りでは、自分が納得できるような説明に出会うことができませんでした。そこで、方針を変え、今回は私自身の現時点での理解を書くことにします。まだまだ頭が整理しきれていない部分もあり、うまく書けているか分かりません。結論も、結構モヤモヤしたものになってしまっていると思います。
内容の妥当さは読まれた方に判断いただくとして、私としては、まずはこの「物理学と記憶」というテーマに意外と深い謎が隠れていることを知ってほしいと思います。そのうえで、いつか専門の方がバシッと解説してくれることを強く期待します。
出発の問い:なぜ未来のことは覚えていないのか?
突然ですが質問です。
- Q:なぜ私たちは過去のことを思い出せるのに、未来のことは思い出せないのでしょうか?
意表を突く問いかもしれません。「なぜ人の『記憶』は、過去の情報をもっていて、未来の情報をもっていないのか?」と言い換えてもよいでしょう。
答えは自明に思えます。
- A:未来は過去で決まるが、未来は過去に影響を与えないから
ではないのでしょうか? 「因果律があるから」と言い換えてもいいです。昨日の自分の行動は、今日の自分の脳のなかの状態に影響を及ぼし、それが「昨日の記憶」となっている。一方、明日の出来事は今の自分の脳に影響を及ぼしうるはずがないのだから、「未来の記憶」なんてものは存在しない。言うまでもないことのように思えます。
しかし、物理学者からすると、冒頭のクエスチョンは意味のある問いです。なぜなら、「因果律が存在する」ということが、物理学では自明ではないからです。
物理学の根本的な法則のなかには、因果は存在しない
物理学は、法則を使って世界を記述します。もっとも基本的な法則として、ニュートンの運動方程式、あるいは量子力学のシュレディンガー方程式などがあります。これらのいわゆる「第一原理法則」は、よく知られたこととして、過去と未来について対称な形をしています。「時間反転に対して対称」という言い方をしたりします。
たとえば、惑星の運動を考えてみます。惑星の位置と速度は、太陽の間の万有引力とニュートンの運動方程式によって説明することができます。そこで、ある瞬間の惑星の位置と速度がわかれば、その1日前の惑星の位置も、1日後の惑星の位置も、まったく同じように予言できます。
複数の物体を集めてきても、基本的には同じです。それらは、どんな複雑に相互作用したとしても、第一原理の法則にしたがっているのだから、現在から未来と過去を同じように「推測」できてもおかしくないのです。つまり、基本法則のレベルでは、過去が未来を一方的に決めるという意味での「因果」は存在しない。この見地に立てば、現在の脳のなかに「未来の記憶」があってもよいという考えは、それほど荒唐無稽ではなくなります。
因果は「創発」する:時間の矢の問題と、その熱力学的解答
しかしもちろん、現実には「過去←→未来」の二つの方向には歴然とした違いがあります。
惑星の運動では、太陽を右回りに周る運動も、左回りに周る運動も、物理法則的には許されます。それが「基本法則は時間反転に対して対称」という意味です。一方、たとえば「机に落とした卵が割れる」とか「コーヒーと牛乳が混ざる」などの身の回りの現象や、「隕石の衝突がクレーターをつくる」のような現象については、決してそれらの「逆回し」は起こりません。
物理法則は過去と未来の方向性に対して対称なのに、多くの現象は非対称である。これは「時間の矢(time's arrow)の問題」としてよく知られます。そしてそのよく知られた解答は、熱力学第二法則によるものです。「(孤立系の)エントロピーは増大する」とする熱力学第二法則を法則と認めることで、「コーヒーと牛乳は混ざるが、カフェオレがコーヒーと牛乳に戻ることはない」といったことが説明できます。
熱力学第二法則自体は第一原理法則ではなく、「起こりやすいことが起こる」という確率的な解釈によって理解されます。コーヒーの成分と牛乳の成分がたまたま分離している状態よりも両者が混ざっている状態のほうが圧倒的に起こりやすい、だからそうなる、という理解です。この意味で、物理学的には「因果」というのは、第一原理法則に従う対象が「たくさん集まったときに現れるかのように見えるもの=創発」なのです。
起こりやすいことが起こるからエントロピーが増える。多くの教科書ではこの説明で終わっているのですが、実はもう一つ大事な前提があります。それは、「最初はエントロピーが低い」ということです。最初からエントロピーが最大だったら、それ以上何も起こりません。「エントロピーが増える」が「法則」であるためには、過去のエントロピーが低いという前提が必要となります。これは究極的には「初期宇宙のエントロピーが低かった」という仮説に帰着し、これは「過去仮説」(past hypothesis)などと呼ばれています*1。
物理学的に記憶とは何か:ショーン・キャロル氏の説明
さて、ようやく本題です。
以上を踏まえ、最初の問い「なぜ、記憶は過去の情報しかもっていないのか?」を考えることができます。
宇宙物理学者のショーン・キャロル氏は、著書『この宇宙の片隅に』(原題:The Big Picture)のなかの1章を、この「記憶」の問題に割いています。
キャロル氏は「割れた卵」を例にとっています。少し長めに引用します。
街を歩いていて歩道に割れた卵が落ちているのに気づくとする。この卵にどんな未来が待ち受けているか考え、直近の過去と比べてみよう。未来には、卵は嵐で洗い流されるかもしれないし、犬がやって来てなめてしまうかもしれないし、何日かしてただひからびるだけかもしれない。いろいろな可能性がある。しかし過去については、基本的構図ははるかに制限されている。
私たちは実際には卵の過去を直接参照するわけではない点で未来と変わらない。しかし私たちは自分がそれがどこから来たかについて、これからどこへ行くかよりも知っていると思う。結局、私たちはそれを認識していないとしても、私たちの自身の源は、エントロピーは過去の方が低かったという事実だ。私たちは割れていない卵が割れることには慣れている。それがものごとの自然のなりゆきだ。原理的に、未来の卵が収まりそうな事象の集合は、それが情報の保存の結果として現在の状態に達しえた場合の集合とぴったり同じ大きさになっている。しかし私たちは過去仮説を使って、過去についてのそうした可能性のほとんどを排除する。
卵の話は私たちが抱きそうなあらゆる「記憶」の原型だ。(『この宇宙の片隅に』p.91、松浦俊輔訳、太字はブログ筆者)
これが、キャロル氏が考える「記憶」の正体です。(さらに、下記スライドの27~28枚目にこの箇所を説明する図があります。)
Why do we remember the past and not the future? Because, as entropy increases, we develop correlations between the external universe and our brains; if our universe was in a state of maximum entropy (thermodynamic equilibrium), we wouldn’t be able to remember the past or the future. (キャロル氏ブログ*2より引用)
つまり、キャロル氏によれば、記憶というのは熱力学第二法則と過去仮説(低エントロピーな初期状態)で説明できる、ということになります。この世の中には、「割れた卵」のように、過去の出来事の痕跡と言えるものがある。なぜそれが過去の出来事の痕跡になるかといえば、過去の出来事は未来の出来事に比べて可能性が絞られるからである。なぜ絞られるかといえば、過去のエントロピーは低く、そして必ず増えることを知っているからだ、というのです*3。
これで問題解決?
私は、以上の説明を初めて読んだとき、「お?……おお!……ん?」となりました。なんだかスゴい説明を聞いた瞬間もありつつ、どこかおかしいような気もします。最後に、上記キャロル氏の説明に疑問を投げかけて終わりたいと思います。
割れた卵や割れたワイングラスを見て過去を推測できるのは、本当にキャロル氏が言うように私たちが「過去のエントロピーが低かったことを(暗黙に)知っているから」なのでしょうか? 違う気がします。
むしろ私たちが使っている情報は、もっとシンプルに「この世の中に卵とかワイングラスがあるという知識」なのではないでしょうか。試しに、ワイングラスというものを一度も見たことがない、たとえば旧石器時代の人を考えてみれば、彼が割れたグラスを見たとしても、「ワイングラスが落下した過去」は推測できないはずです。むしろそのグラスの破片が風で飛ばされていく未来のほうをこそ、彼はよりよく予想できるでしょう。グラスが割れるプロセスも、風で破片が飛ばされていくプロセスも、エントロピーの増大を伴います。どちらをよりよく推測できるかは、その人のもつ知識に依存するのではないでしょうか。
もう一つ別の例を挙げるならば、私たちは月などに空いた「クレーター」を見て、そこに隕石が衝突したことを知ります。その意味でクレーターは痕跡(=記憶)です。でもクレーターが痕跡でありうるのも、宇宙空間を小惑星等が飛び交っていることを私たちが知っているからこそのはずです*4。
「ワイングラス」や「宇宙を飛び交う小惑星」が存在していた可能性が高いこと(ベイズ推論でいうところの「事前確率」)を使って、私たちは「痕跡」をもとに過去を知ることができます。
というわけで、「記憶(痕跡)から過去を知ることができるが、未来はわからない」ことの理由を、熱力学だけですっきり理解することは、できそうにないように私には思えます。宇宙が低エントロピー状態で始まったことは、記憶(痕跡)が存在する必要条件ではあっても、十分条件ではないのではないでしょうか。むしろ、記憶というものを捉えるには、「何かを記憶(痕跡)とみなす主体」を含めて考えなければならないように思えます。
鶏が先か…?
こう見てくると、問題が入り組んでいることがわかります。
- ある痕跡(脳内のエングラムにせよ物理的な痕跡にせよ)が過去についての情報をもつのは、それを観測する人があらかじめ過去についての情報をもっているからです。
- しかし、なぜ人が過去の情報を持っているのかといえば、脳内や外界に記憶や記録といった「痕跡」があるからです。
こうして、問題は「鶏か卵か」状態になってしまうように思えます。たしかに、「過去←→未来」の非対称性は、物理学的には熱力学第二法則で説明できます。しかし、「記憶」をその同じレイヤーで説明してよいのかがわからなくなったのでした。
そうすると結局、「なぜ私たちは過去のことを思い出せるのに、未来のことは思い出せないのか?」という疑問は、再び謎に戻ったように思えるのですが、いかがでしょうか?
まとめます。
「物理学にとって記憶とは何か」に対して、一つの回答は「過去の状態の推測を可能にするような痕跡であり、その推測は熱力学第二法則の存在によって可能になる」となります。でも私としては、それは完全なアンサーではないと思います。記憶は、観測者の事前知識といった、物理学を超えた枠組みでしか捉えることのできない概念ではないでしょうか。なので私なりの答えは、ここまで読んでいただいた方にはとても申し訳ないのですが、「記憶は、物理学だけで記述できる概念ではなさそうだ」というものになります。
「脳と記憶」に戻ると…
過去の本シリーズで見てきたように、記憶科学者は、脳の中にエングラムという「過去の痕跡」を探しています。でも、いったい「過去の痕跡」とは何でしょうか? そう考え始めると、「クレーターが隕石衝突の痕跡といえるのはなぜか?」という、物理学者が直面したのと同じ問題に直面するはずです。「クレーター」の問いの場合は、「無数の天体が宇宙空間を飛んでいる」という「知識」が絡んでいると考えられましたが、それに相当する事前知識を、記憶科学者は脳のなかに探さなくてよいのでしょうか。ここには、記憶の脳科学がまだまだ詰め切れていない、物理学的、哲学的な難問があるように思えます。
参考文献
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Thermodynamic Asymmetry in Time (Stanford Encyclopedia of Philosophy) https://plato.stanford.edu/entries/time-thermo/
- 『エントロピーの正体』アリー・ベン=ナイム(著) 読書メモ:エントロピーの正体(アリー・ベン=ナイム著) - rmaruy_blog
- Rovelli, Carlo. "Why do we remember the past and not the future? The'time oriented coarse graining'hypothesis." arXiv preprint arXiv:1407.3384 (2014). https://arxiv.org/abs/1407.3384
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『この宇宙の片隅に ―宇宙の始まりから生命の意味を考える50章―』、 ショーン・キャロル(著)松浦俊輔(訳)読書メモ:この宇宙の片隅に(ショーン・キャロル 著) - rmaruy_blog
- 『知るということ―認識学序説』渡辺慧(著) 読書メモ:知るということ――認識学序説 渡辺慧(著) - rmaruy_blog
*1:過去仮説自体も、さらに「なぜ?」を問えるとする立場があります。参考文献に入れたRovelli氏の論文では、「過去のエントロピーが低いのは、人間にとって自然なエントロピーはそのようなものだからだ」というコペルニクス的転換のような議論を展開しています。ちなみに、昭和の物理学者の渡辺慧氏も、著書でRovelli氏と同じような議論を展開しているのを見つけました。30年くらい議論を先取りしていたのではないでしょうか。
「因果律の成立は変数のとり方に非常に依存するのです。普通の熱力学の教科書または一般のエントロピーの話などにおいては、そのことをはっきりさせないまま、初期条件よりも終期条件においてエントロピーがふえるといいますが、エントロピーというのは変数のとり方によって変わるものであって、普通の熱力学的な変数でとれば、エントロピーがふえる現象において因果律が成立するのです。(渡辺慧『知るということ』p.171-172 )」
*2:http://www.preposterousuniverse.com/blog/2004/03/11/why-do-we-remember-the-past/
*3:キャロル氏はエントロピーという言葉を気軽に使っていますが、熱力学的なエントロピーは熱平衡状態にしか定義できないから誤用だという批判も(この後の私の疑問とは別の批判として)あり得ます。
*4:実は、記憶に関して主体の事前知識が関与することだろうことはキャロル氏の著書でも触れられています。が、それが「過去仮説+エントロピー増大が記憶を可能にする」という論とどう整合しているのか、私には読み取ることができませんでした。