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読書メモなど

読書メモ:この宇宙の片隅に(ショーン・キャロル 著)

この宇宙の片隅に ―宇宙の始まりから生命の意味を考える50章―

この宇宙の片隅に ―宇宙の始まりから生命の意味を考える50章―

 

またもや物理学者が書いた大きな本が出た。それも600ページ超の大著だ。

まずは『この宇宙の片隅に』というタイトルに目がいく。去年の大ヒット映画をオマージュしたこの素敵な邦題を思いついたとき、訳者(編集者?)はほくそ笑んだかもしれない。

一方、原題は“The Big Picture”。世界のすべてを「一枚の絵」に描いてやろうという、大胆なタイトルだ。

邦題と原題が一見真逆にも思えるが、これから書くように、実はこの「謙虚さ」と「大胆さ」のバランスが、本書の特色になっている。

同じく今年出た『物理学は世界をどこまで解明できるか』(グライサー著、読書メモ)とも似て、本書も、理論物理学者である著者が物理学、ひいては科学の射程を見極めようという内容になっている。ただし、グライサー氏はどこか「考えながら書いている感」があったのに対し、キャロル氏のヴィジョンは練られていて完成度が高い。文章にも迷いがなく明快だった。

 

物理学を究めても、世界のほとんどのことはわからない?

中身を見ていく前に、著者に本書を書かせたモチベーションについて自分なりに少し想像してみる。 

物理学を志す人は、少なからず「世界をすべてわかりたい」という志向を持つ。より根本的な法則、より基本的な粒子や力の理解を求めて勉強を進める。すると、素粒子から宇宙までを記述する一通りの数式を扱えるようになる。一般人が知らないような「波動関数」「エントロピー」「曲率テンソル」といった概念にもなじんでくる。でも、それ以外のほとんどのことは何もわかっていないことにハタと気づく瞬間がある。生命について、人間の心について、社会について、経済について、「人生の意味」について、物理学が言えることはなさそうだということに、唖然とするタイミングがくるのだ(私自身は、物理学科の卒論を書き終えて出かけたインド旅行の最中にこの感覚を味わった)。

自分が知りえた物理法則と、それ以外の非物理学的だが「重要な(matterする)もの」の間の関係はどうなっているのか? 世界のことがわかりたくて、物理学の門を叩いたはずだった。この問いに答えを出しておかないと、物理学に人生をささげた自分が浮かばれない。……と著者が思ったかどうかはわからないが、それに近い気持ちで本書を書いたとしても不思議ではない。

 

…などと、「ビッグ・ピクチャー」を描きたくなる気持ちをシミュレーションしてみたところで、本の中身へ。

 

本書の内容

本書は6部構成になっており、各部が6~10章からなる。すべての話題を拾うことはとてもできないので、印象に残ったことを中心に取り上げたい。

第1部:「適宜自然主義」で宇宙を描く

第1部では、本書で著者がビッグ・ピクチャーを描く「方法」について説明する。最初のほうで、世界の記述の仕方の大きな3つの区分が示される。

  • (1)最も根本的な記述
  • (2)発現的*1(emergent)、実効的(effective)な記述
  • (3)人間の価値観が入る記述

これら3つに、それぞれ異なるレベルの「実在」が対応する。(1)には物理の最も根本的な法則で記述される「素粒子(ないしは量子場)」が対応し、(2)にはそこから「発現(創発)」する「温度」「エントロピー」などの高次の実在が対応する。(2)には「生命」「意識」といった生物学や心理学の概念も入る。そして(3)は「道徳」「目的」「意味」といった、人間の価値判断が関係する概念が含まれる。

(1)~(3)をすべて包括するような、「世界の整合的な記述」は可能だろうか? 一つには、すべてを(1)に、つまり物理法則に「還元」するという大胆な(横柄な?)やり方が考えられる。しかし、21世紀の物理学者として当然かもしれないが、著者はその道はとらない。そのかわりに提唱するのが、"poetic naturalism"と著者が名づけるスタンスだ。これに訳者は「適宜自然主義」の訳を当てている。自然主義、つまり「世界には観測できるものしかなく、すべては自然法則に従う」という考え方*2を取りつつも、その記述の方法は対象の種類ごとに「適宜」変えるべきだ、とする立場である。

これは一見、物理学の特権的な「守備範囲の広さ」を放棄しているようにも聞こえる。生物は生物学に、社会は社会学に任せよう、というふうに。しかしそうではない。この立場では(2)や(3)は、あくまで(1)から出てくるものだからだ。出てくるものであっても、「還元」はできない。人間の知識が有限だからだ。

たとえば、「自由意志」という概念がある。もし、現在の粒子の状態についての全ての知識(いわゆる「ラプラスの悪魔」の知識)を持っていたら、未来は100%予測できることになって、そこには人間の自由意志に基づく(と思われている)行動も含まれる。よって、自由意志が存在する余地がなくなる。しかし、現実にはラプラスの悪魔の知識を得ることはできない。だからこそ、「自由意志」という(2)のレベルの概念が「有用」になるわけだ。

人間の行動を決定されていると考えるかどうかは、私たちが何を知っているかによっている。(p.58)

個人的に面白かったのは、「記憶」や「因果」も創発的(発現的)な概念だとの主張だった。記憶についてだけ少しメモする。物理学的に考えると、「記憶」というのは「過去の宇宙の状態の推論を可能にするような『現在の』系の状態」のことにある。記憶から過去の推論が可能になるのは、「エントロピーが増える」という事実によっている。一方、根本的な物理法則のレベルでは「エントロピー」という概念は存在しない。ゆえに(1)のレベルには「記憶」も存在しない。なるほど。

ちなみにそこでは「時間の方向性」も存在しない。なぜ宇宙に時間の向きがあり、エントロピーは必ず増えるかと言えば、「宇宙が始まった時点のエントロピーが低かったから」という事実に行き着く(=過去仮説)。おお、そうか。

この議論にはハッとさせられた。因果律エントロピーと結びつけて考察するこのアイディアは、20世紀の物理学者、渡辺慧が『知るということ』という本に書いていた議論に通じるものを感じた。

第2部:それは確実か?

根本の物理法則があり、そこからすべては「発現(創発)する」。それはわかった。でも、なぜそう言えるのか? 適宜自然主義で知識の確かさはどう担保されるのかが、第2部のテーマとなる。

著者の結論としては、「確実」な知識にたどり着くことは永遠にできない。確固とした基礎のうえに知識を積み上げるというモデルは放棄して、信念の総体(本書の言葉で言うと「信念の惑星」)をより確かなものにしていくことしかできない。

「根本の物理法則」にしても、他の選択肢に比べて圧倒的に確からしい(ベイズ的な意味で大きな信念が持てる)から採用される、というところまでしか物理学者には言えない。この、「科学はベイズ的に前進する」という点の強調は、得られる実験データが少ないダークマターを研究テーマとする著者ならではの実感がこもっているかもしれない。

第3部:根本理論の姿

第3部から、「ビッグ・ピクチャー」の中身に入っていく。まずは、起点となる物理の根本法則とは具体的に何か。それは、著者が「コア理論」と呼ぶものだ。いわゆる素粒子の標準理論かと思いきや、ひとひねりがあって、「一般相対論」も加えた理論だという。

え、素粒子(量子物理)と一般相対論は統合されていないのでは? ……そうなのだが、日常的なスケールのエネルギー領域では、両者を取り入れた「実効理論」が作れるのだという。本書の付録には(物理学者ウィルチェックが提唱したという)コア理論の数式が示されており、そのシンプルさにちょっと感動する。

コア理論を手に、著者は「日常生活の根底にある物理学法則は完全に知られている」(p.249)と豪語する。

これは大胆であると同時に、実は著者にとっては謙虚な主張でもある。というのも、これが含意するのは、いま物理学者が追い求めている最前線の物理、たとえばダークマターや量子重力理論は、日常生活には一切関係ない(たとえそれが見つかったとしても「実効理論」に影響を与えない)という主張でもあるからだ。

有効場の理論はエネルギーがある限度より低く、距離が下限より上である限り、一定の場の集合に起きるすべてのことを記述する (p.266)

この人間スケールの「領域」では、もはや新しい粒子や力が見つかる可能性はない。その根拠を、量子場理論の"cross symmetry"という性質で説明していて興味深かった。

第4部:「複雑なもの」はコア理論からどうやって出てくるか?

以降、話題はより高次の記述、つまり物理法則から「発現(創発)するもの」に移る。第4部の冒頭ではまず、宇宙に複雑なものが生まれる理由を、エントロピーの概念を使って解説する。 宇宙は、ビッグバンという最小エントロピー状態から、いわゆる「熱的死」の最大エントロピー状態へ向かう途上にある。一般に、系はエントロピーが増える途中で「複雑性」を最大化させる(ミルクとコーヒーが混ざる途中で複雑な模様ができるように)。今の宇宙は、まさに複雑さを生成しつつある段階ということになる。

時間が経過してエントロピーが増えるとともに、宇宙にある物質の配置がいろいろな形をとり、いろいろな高次の語り方ができるようになる。(p.398)

後半では「生命の誕生」を取り上げる。ニック・レーンの『生命、エネルギー、進化』(読書メモ)で解説されていたような様々な学説を引きながら、いかに生命の誕生と進化にまつわる理論が、「複雑性の発現」という枠組みで語れるかを示していく。

第5部:「意識」はビッグ・ピクチャーにどう収まるか

適宜自然主義にとって、「意識」は最大の難関となる。意識だけは、コア理論とは別の、何らかの存在論なり第一法則が必要になるとする議論もある(チャーマーズやトノーニ)。しかし結論としては、著者はあくまでコア理論の範疇で意識が発現するという考え方をとる。ポール・チャーチランド心の哲学の教科書『物質と意識(第3版)』では、この立場を「相互作用二元論」などと呼んでいたように思う。その説得力の是非はともかく、この考えをとれば、著者の「ビッグ・ピクチャー」は意識のために新しい絵具(実在)を用意しなくて済む。

第6部:「価値」については何が語れるか

最後の第6部では、世界記述の3番目のタイプ、つまり「価値」が絡む事柄が話題となる。人生の「意味」やら、どう生きるべきかの「道徳」やらは、適宜自然主義ではどんな扱いになるのか。

著者はまず、「『である』と『べし』を混同するな」というヒュームの警告を紹介するところから始める。科学は価値の問題に白黒つけることはできない。とはいえ、だからといって「価値について何も語らない」とはならない。

適宜自然主義は倫理について言うことは(…)ほとんどない。しかしメタ倫理について言うことはある。(p.552)

「何をするべきか」は科学で答えを出せる問題ではないが、「メタ倫理」、つまり複数ある倫理体系の違いについての考察には、科学の出番がある。このあたりは若干歯切れが悪い感じもしたが、著者は何とかして「~べし」と言わずに、道徳に関する教訓を引き出そうとしている。すごく雑にまとまると、その主張は「(適宜)自然主義をとる者にとって、無条件に与えられる『人生の意味』や絶対的に正しい『道徳法則』などはない。それは自分で見つけなければならない」といったところだろうか。この部での著者のメッセージは、わりと宗教を意識したものだと感じた。

 

感想:ビッグ・ピクチャーを描く意義

意地悪な言い方をすれば、本書は様々な学説を寄せ集め、自分の気持ちに沿うものを選んで並べた本、とも言える。とくに第4~6部は著者の専門外のため、その感がある。しかし本書の凄いところは、その寄せ集めが整合する世界観(=ビッグ・ピクチャー)をなしているということにある。

著者がこの本を書いたのには、冒頭に書いた「物理学者としてすべてを知りたい」という個人的な動機もあると思う。けれどそれ以外にも、敢えて自分の専門を超え出て「ビッグ・ピクチャー」を描くことの意義はいくつかありそうだ。一つには、文字通り「すべて」について整合的な語り方を用意しておくことで、「価値」が絡む事柄など、科学者が沈黙を決め込んだり逆に口を滑らせたりがちなテーマについても、「科学者として言える範囲のことを言う」ための準備ができるという効果がありそうだ。もう一つは、アメリカなどに特有の事情ともいえるかもしれないが、「宗教」との対抗軸をつくるという意味があるかもしれない。科学とは相いれない「世界観」を提示する宗教に対抗するには、ニュートリノブラックホールだけについて語っているだけでは十分ではなくて、「すべてについての科学的語り方」を構築しないといけないという側面もあるのだろう。この2点については「訳者あとがき」での整理が分かりやすかった。

本書は、理論物理学者によってとても緻密に描き込まれた「ビッグ・ピクチャー」である。ただし教科書ではない。この本自体から知識を吸収するというよりは、読んだあとに「著者の構図にほころびはないか?」とか「自分ならどう考えるか?」とかいろいろと考えるきっかけとすべき本だろう。

個人的には、もしかしたらこのビッグ・ピクチャーに収まらないかもしれない一つの疑問が気にかかっている。それは、「何が特定のレベルの記述を『有用』にするのか?」という疑問だ。そしてその答えをあくまで自然主義的に、たとえば人間の脳の性質に求めるとすると、「じゃあ人間の脳を記述するのに『有用』な概念は何か?」が問題になって、議論がぐるっと一周する。ここには、著者の「適宜自然主義」という刷毛で描かれた「ビッグ・ピクチャー」のほころびの気配がありそうだ……などと思ったりするが、まだまだ考えが熟さない。

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以下は著者がGoogle社で行った講演の動画。英語ですが、本書のエッセンスが1時間にまとめられています。

www.youtube.com

*1:創発的と訳されることも多いが、翻訳書では「発現的」の訳が当てられている。

*2:本書での「自然主義」という言葉の使われ方、『自然主義入門』(植原亮、読書メモ)などで解説されている哲学的な立場としての「自然主義」がどれくらい一致しているのかは、ちょっとわからないが、ちゃんと考えてみるべきことだろうと思う。