エントロピーという概念には、好奇心を引きつける力がある。
含蓄のある物理量だ。「時間の本性」、「生命の本質」、「情報と物質の関係性」。そうした深遠な謎の解決が、この概念の正しい理解にかかっているようにも思える。「エントロピーの正体」を見定めたいと思ったことが、物理や情報理論の既習者ならば一度はあるはずだ。
しかし難しい概念でもある。
その原因の一つは、何通りも別の方法で定義されることだろう。エントロピーには、少なくとも熱力学・統計力学・情報理論による三つの定義がある。それぞれは、辛抱強く教科書を読めば、理解できる。しかし、なぜそれらが同じ「エントロピー」なのかが分からない。何かそこには深遠な理由がありそうだが、分からない…。
当然、分からないのは自分の不勉強なせいだと思っていた。賢い人にとっては解決済みの疑問なのだろうと。ところが、じつは専門家の間でも、未だにエントロピーの理解についてはまだ論争は絶えないらしい。この『エントロピーの正体』という本を読んで、そのことを知った。
***
面白い本だった。執筆動機がちょっと変わっている。エントロピーの解釈について書いた著者の論文が査読者に拒絶されて掲載できなくなったので、その論文の内容を膨らませて書籍としたのだそうだ(もちろん、だからといってトンデモな内容だというわけではない)。著者はこれまでにも、エントロピーや熱力学についての啓蒙書を何冊か書いている物理化学者。これまでの啓蒙書とは違い、ある程度物理や数学を学習済みの読者を想定した一冊となっている。
本来なら式を追いながらじっくりと読むべき本だが、数時間で読み流しただけなので、表層的にしか理解できていないが、それでもいろいろと学ぶところはあった。
***
執筆の経緯からして、論争含みであることがわかる「エントロピー」の解釈だが、じっさい何が争われているのか。
「エントロピーという概念に、過剰な意味を負わせてはいけない。」
著者の主張を要約すると、こうなると思う。エントロピーは系の「無秩序さ」を表す量であるとか、「系についての無知さ」を表すとか、気体などの「広がり」であるとか、いろいろな言い方がされるけれど、エントロピーをそういう記述で理解することが混乱の源泉になっている。著者いわくエントロピーはそういうものではない。
著者が出発点にするのが、通常「シャノンのエントロピー」と呼ばれる次の量だ。
H = - Σ p_i log(2) p_i
これは、p_iの確率で事象i(さいころの目など)が生起するような状況の「不確実さ」を定量化する尺度としてシャノンが定義した。このHの解釈は簡単で、「何回のyes-no型の質問をすれば、どの事象iが生起しているかが分かるか」の期待値を与える量になっている。
著者の強調するところによれば、このH(シャノンのエントロピー)は「エントロピー」ではない。著者はHを「シャノンの情報測度(Shannon's measure of information: SMI)」と呼ぶことを推奨している。
この情報測度Hと、熱・統計力学のエントロピーSとあいだの関係は、
S=(k_B ln 2)H_max
となる。カッコ内は単なる係数なので無視する。一方のH_maxは、制約条件を満たす分布p_iのなかでHを最大にする分布のもとでのHである(ここでの分布とは、物理系を構成する粒子の位置や運動量の従う分布)。
この式が意味するのは、Hを最大化するような分布が平衡系においては実現し、それが熱力学的なエントロピーに一致するということ。つまり、シャノンのHのほうが、Sよりも広い概念であるということになる。言われてみればそうなのだが、同じ「エントロピー」という言葉に惑わされ続けてきた身としては、目から鱗の指摘だった。(ちなみに、シャノンのHを「エントロピー」と呼ぶことをシャノンに進言したのは、フォン・ノイマンだったそう。)
本書では、このようにSとHを定義した上で、いくつかの具体的な系(2種の気体の混合など)を例に、計算をSとHをしてみせる。それを通して「無秩序さ」や「情報の欠如」などの意味づけがそぐわないケースもあることを示し、著者のいう道筋でエントロピーを理解することの正当性を論証していく。
なお、最後の章では、「エントロピーが常に増えるのはなぜか」、つまり熱力学第二法則が成り立つのはなぜかという問題にも触れている。ここには深遠な理由はなくて、エントロピーは系の実現のしやすさの確率に対応していて、系は「ほとんどいつも」確率の大きな状態へ変化することから、エントロピーは「ほとんどいつも増大するのだ」という(それ自体はほかの本にも書かれている)説明を与えている。また、エントロピーは「平衡系」にしか有意味に定義されない量であるという立場をとり、非平衡系にエントロピーを援用する議論――たとえば「生命が負のエントロピーを食べて生きている」などという言明など――には意味がない、ということも言っている。
以上、ざっくりとまとめると、本書で展開されているのは、徹底的にエントロピーを「脱神秘化」するための議論だといえる 。エントロピーの出自をたどれば、「無秩序さ」とか「乱雑さ」とか「無知さ」などの解釈が妥当ではない。また、よく言われる「時間の矢」の謎なども見せ掛けのものであることが分かる。ちなみに、著者による啓蒙書の一冊に、まさしく“Entropy Demystified”という書名のものがある。
***
以下は、本書を読んで考えたことのメモ。
本書の議論が正しいとしよう。つまり、エントロピーのどこにも「神秘的」なところはないという著者の議論を受け入れたとしよう。
そのとき、僕らが「エントロピー」が宿していると思っていたもろもろの謎はどうなるだろうか? そうした謎も一緒に解消するかというと、おそらくそうはならない。むしろ、エントロピーの脱神秘化により、謎の源泉がよりピンポイントできるのではないかと思われる。
謎はどこに残っているのか? 浅知恵を絞って思いつくのは、つぎのような論点だ。
- 等重率の原理の妥当性(シャノンのHと熱力学のSは自然に対応づけるが、その対応付けの途中で「等重率の原理」が成り立つことが仮定される。その原理の妥当性は未解決だと聞いたことがある。)
- 観測問題との関係(エントロピーの問題は、ときどき量子力学の「観測」と結びつけて語られることがある。観測問題はどうなるのか?)
- 確率の主観性(確率p_iが定義されれば、シャノンのHは「客観的に」定義できる。では、確率そのものの主観性はどう考えればよいのか?)
- 非平衡系における「エントロピー」(著者のように「非平衡系についてはエントロピーは定義できないし、エントロピーの出る幕もない」という立場をとるならば、僕らがエントロピーという概念で説明したかった事柄を説明するための別の量が必要になってくるのだろうか?)
これらは本当に思いつき程度で挙げたにすぎないが、ともかくも未解決問題は残る。
それでも、本書はエントロピーに関するモヤモヤを一つ晴らしてくれることで、こうした謎への理解を一歩前進する助けになったことは間違いない。