重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

近刊紹介メモ:脳と時間(ディーン・ブオノマーノ 著、村上郁也 訳)…【編集担当による紹介文】

 

脳と時間: 神経科学と物理学で解き明かす〈時間〉の謎

脳と時間: 神経科学と物理学で解き明かす〈時間〉の謎

 

ひょっとすると、来年から「サマータイム」が導入されるかもしれないという。はたしてそれが猛暑対策、省エネ、働き方改革などに有効なのかどうかはともかく、私としては、そのアイディア自体にどこか惹かれるところがある。というのも、もし本当に実施されたら、来年のいまごろ「夏時間の最終日」がくる。その日、私はきっと時計を2時間巻き戻す。その瞬間のことを想像するのがちょっと面白いのだ――終わったはずの2時間がもう一回やってくるように感じるのだろうか? また来年には、時間にまつわるイベントがもう一つある。改元だ。4月30日の夜、平成が終わるその瞬間に、さて、あなたは何を感じるでしょうか?

もちろん、サマータイム改元も、時間の「ラベル」を貼りかえるだけの話。時間が湧いて出たり、時間軸上の何か重大な境界をまたぐような気がしたとしても、それは錯覚だ。地球は自転を続けるし、太陽の周りを公転し続けるし、私たちの感じ方とは関係なく時間は流れ続ける。

……でも、本当だろうか? もうちょっとだけ考えを深めてみたい。たとえば相対性理論によれば、時間は4次元時空の一つの軸にすぎない。その意味では、時間の流れ自体は「物理学的には存在しない」ともいえる。また、周知のように人の感じる時間は伸び縮みする。入社7年目になる私にとっての1年は、今年入社したばかりの新人にとっての1年に比べて(悲しいことに)たぶんずっと短い。人間の脳は時間を「編集」している。だったら、「時間の流れ」そのものも脳が作った錯覚かもしれないではないか?

実はいま、これは真面目な科学上のテーマとなっている。日本でも、2013年に「こころの時間学」*1という研究プロジェクトが発足し、神経科学・認知科学・哲学・言語学など多分野の研究者たちが集い、時間とはそもそも何か、脳はどうやって時間を感じるのか(もしくは「時間という錯覚」を生み出すのか)について日夜研究が行われ、論文が量産されている(2018年9月より後継プロジェクト「時間生成学」*2がスタートしている)。

こうした研究は、時間についてどこまで明らかにしたのだろうか。時間の脳科学をけん引するディーン・ブオノマーノ博士による本書『脳と時間』にはその答えがある。『脳と時間』(原題:Your Brain Is a Time Machine)は、著者の専門の脳科学はもちろん、物理学者や哲学者との人脈も生かして、全方位から「時間とは何か」に迫った力作である。「こころの時間学・時間生成学」の中心的メンバーの村上郁也教授も本書を愛読した一人であり、村上教授に翻訳を快諾いただいたことで、このたび日本語版をお届けすることが叶った。

本書では、脳と時間にまつわるありとあらゆる研究が紹介されている。24時間周期のメカニズムを調べるために人間を洞窟に何か月も隔離する実験、培養皿の上の神経細胞が「リズム」を刻む様子を調べる実験、脳が使っているかもしれない計時機構をコンピュータシミュレーションで再現する研究など、その多彩さ、独創性に驚かされる。個人的に印象深かったのが、「鳥の脳を冷やす」実験。鳥の脳の特定部位の温度を5℃ほど下げると、鳥のさえずる歌が遅くなるらしい。このことは、その部位が脳内の時間進行をつかさどる、いわば「クロック」の役割を果たす証拠だというのだ。

調べれば調べるほど、脳は「時間を処理するためのマシン(=タイムマシン)」に見えてくるとブオノマーノ博士はいう。けれどそのマシンは、コンピュータ内蔵のクロックのような単純なものではない。振り子、デジタル時計、カレンダー、日時計、年表など、あらゆるスケール・精度の時計が、ごちゃごちゃと共存しているイメージだ。「時計を2時間戻す」、「元号が切り替わる」といったことに軽い眩暈(ないし怪しい魅力)を覚えてしまうのも、私の脳が錯覚としての時間を生み出す「複雑怪奇なタイムマシン」であることに由来するのかもしれない。

 

……2018/10/10前後に発売予定です。

 

関連情報

本書に関連するイベントとして、訳者の村上郁也先生が参画する新学術領域「時間生成学」のキックオフシンポジウムが、2018年9月24日に東京で行われます。

時間生成学キックオフシンポジウム “人工神経回路は「こころの時間」を生み出せるのか?”

私も聴講を予定しており、できれば感想をこのブログに書きたいと思っています。



10/11補遺
 本日の感想。まず、「人工神経回路は『こころの時間』を生み出せるのか」というのは趣向を凝らした演題だと思っていたら、それこそが研究領域の本丸のゴールだったことに驚いた。真剣にニューラルネットによる「こころの時間」の再現を目指すとのこと。
深層ニューラルネットの各層の学習過程を脳の視覚野に対応づける研究が成功しているが、それと同様なことを「時間の認識」についても目指すという。作って理解するアプローチ。
神経科学的知見をもとに時間認識をニューラルネットで再現することは、翻って機械学習自然言語処理ボトルネックの突破口になるかもしれない。人間の知能に「時間」がいかに深く関与しているかを思えば、十分ありそうなことに思えてくる。
そして「時間の認識」を哲学的に精緻化しようとしているのもプロジェクトの特徴。青山拓央先生によるマクタガートのA/B系列の説明が始まったとき、会場の空気が少し変わった気がした。青山先生が哲学的支柱となるのであれば、かなりのところまで行けそうという期待を皆感じたのではないだろうか。
さらに白眉はやはり池谷先生の研究。時間認識にまつわる情動的価値と池谷先生が呼ぶもの、すなわち懐かしさ、退屈、ワクワク感、といった感情のメカニズムに挑むという。「退屈を消す薬」という強烈なフレーズも出た。
「こころの時間の研究」というと、「面白いけどちょっと物好きな研究」というイメージがあるかもしれないが、これはもしかしたら、医学的にも工学的にも、人間理解の刷新という意味では人文学的にも、注目すべき科学のメインストリームになるかもしれない。
というふうに感じました。以上です。