重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

開催記録メモ:2021/1/14『科学とはなにか』(佐倉統 著)オンライン読書会

2021年1月14日に、佐倉統著『科学とはなにか』(講談社ブルーバックス、2020年12月刊)のオンライン読書会を開催した。著者と担当編集者を含む30名弱の方々に参加いただき、個人的にはとても有意義な会だった。

以下、開催の記録・感想をまとめておく。

読書会のあらまし

企画は昨年12月末。発売当日に入手した『科学とはなにか』が大変面白く(私の感想はこちら)、一気に読了した。後述するような理由で読書会をやってみたくなり、Twitterで呼びかけたのだった。

4,5人で読めればよいかなと思っていたところ、少なくない方から「興味あり」との連絡があった。なんと佐倉統先生ご本人からも参加表明をいただく。驚き・喜びとともに、「ちゃんとやらなきゃ」という緊張感が湧いてきた。

慌ててzoomの有料アカウントを取り、日時を設定し、正式な募集要項をつくった。この時点で、参加者には「感想文」の提出をお願いすることに決めた。開催要項には次のように書いた。

課題書の内容が多岐にわたること、また読書会参加メンバーも多彩になりそうなことから、1~2時間の読書会では消化不良に終わることが予想されます。そこで、事前に参加者の皆様に「感想文」を送っていただいたうえで、当日はそれをもとに意見交換ができればと考えています。数千字の本格的書評でも、1、2行のメモでも構いません。「素人っぽすぎるんじゃないか?」とか、逆に「専門的すぎて他の方がついてこれないんじゃないか?」などは気にせず、まずは本書を読んで感じたこと、語りたいことをお寄せいただければと思います。

過去の経験から、この方法には勝算があった。過去に参加・主催した読書会では、読書会では往々にして「時間が足りない」ことを感じており、またオンラインの読書会ではすごい質・量の文章を書いてくれる人がいることを知っていた。

蓋を開けてみると、20名以上の方々が、充実した感想・書評を寄せてくださった。さらに、佐倉先生ご自身が一つ一つに目を通し、「応答」のプレゼンを用意してくれた。

というわけで、当日は次のような時程になった。

  • 丸山からの趣旨説明・感想文のダイジェスト的紹介(15分程度)
  • 佐倉先生からの感想文への応答(20~30分?)
  • 全員でのディスカッション(40分+延長25分)

自分の司会進行は拙かったと思う。あとから録画を聞いてみても、広げそこなった重要な発言がいくつもあり、もったいなかった。そえでも、佐倉先生や参加者の皆さんがしっかり盛り上げてくださっていて、全体としては聞きごたえのあるやり取りになっている。

ふとした思い付きで始まった企画だが、結果的にとても豪華なイベントになった。「結果的に」というところがポイントかもしれない。はじめから著者を招待し、各参加者に感想文執筆を課し、それに対する応答を著者に依頼し…といったカッチリとした企画をすることはそもそも自分の手に余るし、できたとしても参加者が集まらなかったのではないかと思う。むしろ、小さく構想し、様子を見ながら適切な規模に広げていく。コロナ下でのイベントづくりの、一つの方向性かもしれない。(ここ数日流行りだしたClubhouseなどを使い、もっとアジャイルな読書会も出てくるのかもしれない。)

読書会に期待していたこと

少しだけ、読書会の中身についても触れたい。まず、なぜ読書会をやろうと思ったのか。

感想ブログに書いたとおり、私が『科学とはなにか』で一番記憶に残ったのは、「生態系としての科学技術」という見方だった。うんと単純化した「素朴な科学観」と対比するとわかりやすいと思う(下図)。

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左の図から右への移行は何を意味するか。「誰もが生態系の一員なのだ」ということが一つ。加えて、その生態系のなかで各人が果たす「役割」が、左図に比べて自明ではなくなる。科学知を生産する専門家、それを使う社会・市民、間をつなぐ媒介者(いわゆる「科学コミュニケーター」)。そんな単純な図式では捉えられないことがわかる。

この「生態系」のなかで、科学と社会にかかわる自分の役割は何か? その答えは、自分の中からは出てこない。自分の役割、取るべき行動は、生態系の他のアクターに依存して決まるからだ。まずは、他のアクターの話を聞かないといけない。聞いてみよう。そうだ、良い方法がある。『科学とはなにか』についての感想を聞いてみることだ!

…そんな思考回路を経て、読書会の開催を思い立ったのだった。

期待をはるかに超えて、読書会には多様な立場の方々が集まってくれた。大学生・大学院生、大学研究者、高校教員、編集者、「市民科学」の実践家、科学記者、ジャーナリスト。「理系」を自認する人、「文系」を自認する人。感想文で出てきた意見も多彩で、自分が思いもよらない論点も出された。

読書会のなかでは、たとえば次のような点について問いかけがなされた。

  • 「科学」の捉え方は分野によって千差万別。非専門家からは見えづらい科学の多様性をどうコミュニケートするか。
  • 誰が専門家で、誰が専門家でないか。「専門家でない」程度のグラデーションをどう判定し、伝えるか。
  • なぜ科学者は無反省に「科学を知ってもらおう」とするのか。聞き手の側が「何を知りたいか」について知りたいと思わないのか。
  • 分野内でしのぎを削っている科学者に、分野外とのコミュニケーションを取ることを強いるのは酷な面もあるのではないか。
  • 科学や技術の過去の日本における受容をどうとらえるか。現在の日本の特色をどう理解するか。

いずれも、じっくりと考え続けるに値する論点だと思う。

二正面作戦の戦い方

「答え」よりは「問い」を多くもらった読書会だった。それでも、自分なりに考えを深めることができた点もある。その一つが「二正面作戦」についてだった。

『科学とはなにか』では、「尊大な専門家主義と傲慢な反知性主義」のいずれにも与せず、どちらとも戦っていく姿勢を「二正面作戦」と呼んでいる。戦争の比喩を持ち出す著者の気持ちはわかる。それだけ、科学(科学技術)をめぐる対話は真剣なもので、それゆえときにアグレッシブにもなる。

科学技術は、いまや「好きな人だけが考えればいい」ものではない。その理由を自分なりに要約すれば、

  • 科学技術は命綱だから
  • 科学技術は危険だから

となる。本書にも出てくるように、現代人の「人生そのものが科学技術に縁取られ」ている。放射線感染症、気候変動など、科学と技術の力を借りずには対処不可能な事態に脅かされている。一方で、遺伝子治療ビッグデータ活用、ロボット技術などは、私たちの健康だけでなく価値観をひっくり返してしまうような「危険」もはらんでいる。

だから、真剣な議論を通して科学技術を「飼い慣らす」必要性は明らか。問題は、「誰が?どうやって?」だ。

ここで「専門家に任せればいい」と投げ出せば専門家主義に、専門知を顧みず声の大きさで物事を決めれば反知性主義につながる。だから、まともに「科学技術を飼い慣らす」ことを考える人は、そのどちらとも必然的に緊張関係に置かれる。

今回の読書会での佐倉先生の受け答えでは、多方面からの指摘・ツッコミに対して「ぐっと受け止めて、少し押し返す感じ」が印象的だった。専門家からも専門家に批判的な立場からも怒られる、長年の「二正面作戦」の実践を垣間見た気がした。

暫定的な方針

で、自分はどう行動していこう。具体的な活動はいろいろ考えてはいるが、大雑把な方針についてのヒントは得られた。

  • 「科学技術の生態系」のなかでインターフェースとして機能するために、ある程度的を絞った専門分野の勉強は必要だろう。それなしには、誰が科学知(専門知)をもっているのか、どのようなウェイトで専門家の話を聞けばいいのかがわからない。
  • と同時に、勉強を進めるうちにいつの間にか「科学知を持っていること=偉いこと」との態度を内面化しないように注意しよう。たしかに、知識の非対称性は存在する。「科学知をつくる」ことは専門家にしかできない。一方で「科学知を、ある文脈で使うこと」についてのプロは存在しない。「使う」場面では、科学知は必須の材料ではあるものの、「材料の一つ」でしかないことも忘れずにいたい。
  • まずは話を聞くことだ。科学コミュニケーターとしての実践の一番難しいところは、あらかじめミッションが定義されていないことだ。「何のために科学するのか」「何のために科学を語るのか」。その答えは、自分の中には見つからず、あくまで生態系のなかで決まる。だから、私たちは、ミッション自体を誰かと一緒に作るところから始めなければいけない。

以上を、自分なりの暫定的な「二正面作戦」への挑み方としよう。

***

読書会に参加された一人の方が、「こんなところに参加できるのは暇だからですよ」とおっしゃった。読書会という場も、特定の志向性をもつ人だけが集まるところであるのは間違いない。「社会のための科学・市民のための科学」と口では言えても、「市民」や「社会」を見つけることは難しい。佐倉著が言うように、日本には「世間」しかないのかもしれない。

それでも『科学とはなにか』は、人々が「縁側」に集まり、「社会のための科学」を曲がりなりにも立ち上げるための、共通言語を与えてくれているように思う。一歩を踏み出せた感触はある。