ケンブリッジ大学の科学哲学者、ハソク・チャン氏による2012年の著書。19世紀の化学史を丹念に紐解き、そこから現代の科学・科学哲学について考えるヒントを得よう、といった内容です。
現在、この本の読書会を開催しています。
2019年4月12日19:00~H2O読書会(@駒場or遠隔)
— R. Maruyama (@rmaruy) March 11, 2019
“Is Water H2O?”(Hasok Chang 2012)の第1章と第2章を読みます。フロギストン説の棄却はなぜ早計だったのか。水の電気分解はなぜ80年間も未解決問題だったのか。次回からの参加も可能です。ご関心のある方はお知らせください。
本書の目次は以下のとおり。
- Introduction
- 第1章 Water and the Chemical Revolution
- 第2章 Electrolysis: Piles of Confusion and Poles of Attraction
- 第3章 HO or H2O? How Chemists Learned to Count Atoms
- 第4章 Active Realism and the Reality of H2O
- 第5章 Pluralism in Science: A Call to Action
本エントリーは、4/12の勉強会の準備を兼ねたメモとして、私(丸山)の担当である第2章の内容を見ていきます。
第2章のテーマは、「水の電気分解」です。
「なぜ今さら19世紀の化学なのか?」や「しかも、なぜ電気分解?」と思うかもしれません。私も思いました。ですが、そういった疑問は一度わきにおいて、かつて勉強した化学の知識を試すつもりで読んでもらえると、それなりに面白いかもしれません。
※勉強会での指摘などを踏まえて書き換える可能性があります。
高校化学の復習:水の電気分解
水の電気分解とは何だったか。高校で化学を履修した人であれば、下図ですぐに記憶がよみがえるはずです。
水*1に電気を流すという、とてもシンプルな実験です。電流が流れると、陰極側では水素が、陽極側では酸素が発生します。高校化学では、各電極での反応は下記だと習います*2。
- 陰極:
- 陽極:
電池が電子を供給し、陰極ではそれを水素イオンが受け取る還元反応、陽極では水酸化イオンが電子を放出する酸化反応が起こるというわけです。
この何ということもない(?)化学反応が、『Is Water H2O?』の第2章の主題です。
電気分解の発見
そもそも、水の電気分解はどのように発見されたか、ということから話が始まります。その端緒となったのが、「電池」の発見です。18世紀末、イタリアの科学者ヴォルタは、鉛と銀を積み重ねた、いわゆる「ヴォルタ電池」*3を発明します。
Volta's original illustation of a Crown of Cups and a Voltaic pile batteries. Published in 1800. 出典: http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Image:Volta_batteries.jpg&oldid=98003642
それまでにも、静電気や生物電気といった現象から、「電気」の存在は知られていました。しかし、電流を生み出す装置を人間が手にしたのは、このヴォルタの発明によってでした。そして、この電池の発明から間もなく、「水の電気分解」は実現されたそうです。下記は、SF作家としてのほうが有名な化学者、アイザック・アシモフの教科書からの一節です。
ヴォルタが初めて彼の業績を発表してから6週間後に、早くも二人のイギリスの化学者ニコルソンとカーライルは逆反応〔「水素+酸素→水」の逆反応〕の実例を示した。彼らは水に電流を通じたところ、水の中にさしこんだ電気伝導性の金属片上に気泡が生じるのを見いだした。一方の金属片に生じた気体は水素で、他方に生じた気体は酸素であった。実際のところは、ニコルソンとカーライルは水を水素と酸素に分解したのであって、電流によるこのような分解は電気分解と呼ばれた。(『化学の歴史』、p.103)
要するに、電池が登場した。水に電流を流してみた。そうしたら、水を酸素と水素に分解できたというわけです。
しかし、『Is Water H2O?』の著者は、本当の歴史はそんなシンプルなものじゃないと言います。教科書では数行で済まされてしまうような事柄の背後にある、歴史の本当の複雑さに目を向けよう、と。とりわけ、この電気分解をめぐっては、解決まで80年も要した未解決問題が存在したというのです。
距離問題:80年間の未解決問題
それは、「なぜ水素と酸素は別々の極で生成されるのか」という問題であり、チャン氏が「距離問題」(distance problem)と呼ぶものです。前述のように、水素は陰極で、酸素は陽極で発生するわけですが、ここに当時の化学では解決できない謎があったといいます。
どういうことか。それを理解するうえでは、当時の前提知識を考える必要があります。
- 「水は酸素(Oxygen)と水素(Hydrogen)という二つの元素からできている」というのは、当時多くの科学者が持っている考えだった。(ラヴォアジェによる「化学革命」によって確立された、当時の支配的な理論。)
- とはいえ、水の組成式H2Oは知られていなかった。
- 原子論(atomic theory)が確立するのはまだまだ先だが、それでも原子のような粒が結合して物質を構成しているのだろうというイメージは共有されていた。
- 電気の正体はわかっていなかった。動物の体や溶液中を流れる流体のようなものだとイメージされていたが、それが水にどう作用するかは不明だった。
この前提で、電気分解の現象を眺めるとどうなるでしょうか。
まず、「電気の効果で、水が水素と酸素に分解されたんだろう」と思うのは自然です。しかし、だとすると、下図のようになりそうです*4。
上図のポイントは、「あらゆるところで酸素と水素がセットで現れている」点です。つまり、「電気の作用で水の粒子が水素と酸素の粒子に分離する」という描像では、酸素と水素が別々に現れる理由が説明できないのです。
もちろん、現代的視点からすれば、ここで見落とされているのはH+やOH-がそもそも「イオン」として存在しており、水のなかを自由に動けるという事実です。しかし、水分子が「電離」しているという前提がない当時、それは知る由もなかったとチャン氏は指摘します。
この「距離問題」は、1880年代にアレニウスが溶液の電離説を確立するまで、実に80年ものあいだ、一致した解が存在しませんでした。にもかかわらず、いや、だからこそ、この間の化学は停滞期とみなされており、科学史では顧みられてこなかった。そこに目を付けたのが本章ということになります。
リッターの「水=元素」説
距離問題をいちばんすっきり解決する説を提唱した人物として、本書が着目するのが、ドイツの科学者、ヨハン・ウィルヘルム・リッターです。電気分解の研究のほか、植物電気生理学を創始したり、赤外線を発見したりと多産な科学者だったそうです*5。
Johann Wilhelm Ritter (16 December 1776 – 23 January 1810) 出典:http://joi.jlc.jst.go.jp/JST.JSTAGE/revpolarography/54.99?from=Google
リッターが提唱したのは、当時のラヴォアジェの影響化にあった科学界からすると異端の説で、それは「水こそが元素なのだ」という考え方でした。とすると酸素や水素は逆に化合物ということになります:
このとらえ方は、ラヴォアジェの説が取って代わった「フロギストン説」に近い考え方であり、今思うほどあり得ない考え方ではありませんでした*6。
リッターによる、水の電気分解の理解を図解すると、下記のようになるでしょうか*7。
リッターの説では、陰極から水素(=水+負の電気)が、陽極から酸素(=水+正の電気)が出てくることが無理なく説明できます。ここで前提とされているのは、水が元素であることに加えて、電池の正負の極からそれぞれ異なる種類の「電気流体」が出ているということです。こうした、理論に整合性を持たせるための追加の仮説は「補助仮説(auxiliary hypothesis)」と呼ばれ、理論選択においては常に補助仮説もセットで考える必要があることを著者は強調します。
リッター説の抑え込み
このリッターの説は、「水=酸素+水素」という世界観を受け入れていた多くの化学者にとっては、受容できないものでした。そこで、いかにして「水=酸素+水素」の枠組みを保ったまま、距離問題を解くかということが焦点になります。
次の二つが有力だったそうです。
- 「見えない輸送」説(invisible transport):水に入っていた電気は、まず水分子の一部をつかみ、残りの部分を放出する。この電気がもう一方の電極まで移動し、掴んでいた水分子の一部を放出する。
- 「分子の鎖」説(molecular chains):水分子を構成する水素と酸素が鎖状に並んでおり、電池をつなぐと、陰極では正に帯電した水素が引き付けられて気体となり、残された酸素が反対側の水素とペアを組むという連鎖が生じ、鎖の反対の端では同様に酸素が気体となる。
これら二つにはいろいろと問題があり、また、その他にもさまざまなアイディアが出たものの、どれも決定的ではなかった。にもかかわらず、リッターの説は棄却され、「水=酸素+水素」説が正しいということになっていきます。
そこには、リッター説の不備というよりも、リッターの科学観の受け入れがたさがあったのではないか、と著者は推測しています。占い棒(divining rod)の研究を手掛けるなど、リッターには神秘主義的な一面があったようです。
理論が確立していなくても、科学は前進した
リッターの説は(著者に言わせれば正当な理由なく)捨てられたわけですが、それでも電気分解の理解をめぐっては、コンセンサスが存在するとは言い難い状況が続きました。
科学哲学者トマス・クーンの理論によれば、科学には「通常科学」の時期と、パラダイムの塗り替えが起こるような「異常科学」の時期があるとされます。それを踏まえ、本書の著者は次のように言います。
19世紀の電気化学に見られるのは、前科学(pre-science)の時代とも〔クーンのいう〕通常科学の間の革命期(revolutionaly spasms)ともいえないものであった。複数のシステムが共存する多元的状況が、長期間にわたって続いたのである。(『Is Water H2O?"』p.107、私訳)
ここで「システム」と言っているのは、電気分解で起こっていることを解釈するための「理論」やそれをもとに行う「実験」などをひっくるめたものを指しています。
具体的に、どんな「システム」が「共存」したのでしょうか。下記のようなものが紹介されています。
- ヴォルタ:力学的な説明にこだわり、電気的流体にかかる張力などで電気分解を説明しようとした。
- デイヴィ―:元素はその種類ごとに異なる電気的傾向をもっており、化学結合は荷電した粒子の相互作用によると考えた。
- ベルセリウス:デイヴィ―と同じく荷電した粒子を考え、その静電気的引力によって化学結合ができると考えた。
- ファラデー:電池の作用がつくる何らかの力の場のなかを「イオン(=移動するもの)」が動くという、電気動力学(electrodynamic)なアイディアで説明した。
- クラウジウス:溶液中の粒子が確率的に運動し、互いにぶつかり合い、任意の個数比で結合するという、運動学的な考え方で説明した。
このように、名だたる科学者が自説をとなえ、決着がつかない状況が続いたというのです。
しかし、こんなふうに理論が乱立している状況のなかでも、科学は前進していきます。たとえば、デイヴィーは、水の電気分解を参考に「もっとほかの物質を分解してみよう」と考えます。そうして、たとえば炭酸カリ(K2CO3)の融解塩を電気分解し、歴史上はじめてカリウム(K)(および、その他のアルカリ金属、アルカリ土類も)の単体の分離に成功しています。
さらに重要なことに、「いくつもの異なるシステムが共存していたからこそ、アレニウスの電離説につながったのだ」という主張もしています。
アレニウスが到来して20世紀が電気化学が形作られたのも、ベルセリウス(:荷電したイオン)、ファラデー(:静電気的な考え方からの脱却)、クラウジウス(:自発的な電離につながる、運動学的な描像)という三つのシステムの生産的な相互作用があったからこそだった。(同前、p.112)
教訓:電気化学の歴史からわかること
第2章では、おもに電気化学の「未解決問題」としての「距離問題」に焦点があてられていて、それがアレニウスらによってどう解決されたのかについては、あまり触れられていません*8。
この章の内容をまとめると、
- 電気分解には、「距離問題」という大きな謎が存在した
- リッターは「水=元素」説を打ち出したが、認められることはなかった
- かといって、「水=酸素+水素」説の中でも、決定的な解は出てこなかった
- にもかからず、電気化学は大きく進展した
となります。
ここからどんな教訓が得られるでしょうか。『Is Water H2O?』の全体としての主張は、科学の異なる理論(システム)の共存を認めることが生産的だとする「多元論のすすめ」ということになっていくのですが、それについては、全体を読んでからまた考えたいと思います。
ブログ筆者自身の暫定的な教訓は下記のとおりです。
- 決定的な理論がなくても、科学は前進する。
- 特段の証拠がなくても、理論が否定されてしまうことがある。
- 電気分解は実は面白い。(高校では化学は嫌いだったけど、勉強してよかった!)
もし最終的に求めるものが全ての面で優れた単一のシステムだとしても、そこにたどり着くには、複数のシステムを認める多元的段階がきちんとサポートされていることが不可欠なのではないか。コンセンサスに至ることを早計に課すのは、その邪魔をするのではないか。(同前、p.113)
参考文献
- Chang, Hasok. Is water H2O?: Evidence, realism and pluralism. Vol. 293. Springer Science & Business Media, 2012.
- アイザック・アシモフ著、玉虫文一・竹内敬人訳『化学の歴史』ちくま学芸文庫、2010年