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読書メモなど

読書メモ:騙し絵の牙(塩田武士 著)

 

騙し絵の牙

騙し絵の牙

 

主人公は、大泉洋が扮する敏腕編集者。自身が編集長を務める雑誌の廃刊を食い止めるべく、八面六臂の活躍をするというストーリー。

大泉洋が扮する」と言っても、ドラマや映画の原作というわけではなくて、あくまで小説としての「あてがき」ということらしい。テレビドラマなどで少しでも大泉洋さんを見たことがある人なら、主人公の描写とせりふ回しに、彼の表情や声色をばっちり当てはめることができるように書かれている。従来の「映像化」や「ノベライズ」では、活字の主人公と俳優が演じる主人公の「ズレ」も含めて楽しむものだと思うが、本作では初めから「主人公=大泉洋」のイメージで読める。新感覚だった。

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斜陽の出版業界を舞台にした社会派小説。

組織内での駆け引き、次々と巻き起こる事件、浮かび上がる登場人物の意外な一面…。どこを楽しむかは人それぞれだと思うが、私には出版業界の描き方が印象深かった。

「斜陽と言われて久しい出版業界」という言葉自体、常套句になって久しいような出版業界。だが、どれくらい「ヤバい」のかが伝わってくることは少ない(業界の中にいても、自社が危機的状況にないかぎり、なかなか実感できない)。

『騙し絵の牙』では、低迷にあえぐ大手出版社を、「そんなマニアックなところまで?」と思うほど、ディテール豊かに描いている。たとえば、黒字化しない限り廃刊を告げられた雑誌を立て直すため、主人公は部員たちにノルマを課す。ただしそれは「部数を伸ばせる特集企画の考案」などではなくて、「雑誌からの二次利用商品の発行数と売上高」。つまり、雑誌連載をもとにした単行本などの商品で、売り上げを出すことだ。なるほど、そっちのほうが、雑誌黒字化の方策としては早いのか。説得力がある。

そこで、主人公たちは、小説の映像化の売り込みに、テレビ局に行く。映像化してもらうためには本が流行っているという実績が必要なので、営業部を説得してあらかじめ重版をかけてもらう。あるいは、大物小説家に新連載を頼みに行く。でもそのためには、上司を説得して、何とか「取材費」の工面をしなければならない。そういう「鶏が先か卵か先か」的な資金繰りの苦しさ、どこかが一個おかしくなると破局がいっそう近づくという状況の描写が、リアルだ。

そして、いかに才能豊かな編集者たちがどう頑張っても、これまでのビジネスモデルは維持できない。数字だけを見ている上層部には、「不採算な雑誌はなくせばよい」と簡単に言われ、現場の士気はさらにくじかれる…。

出版業界にいる人ならば、「ああ、これが数年後、自分の周りで起こることかもしれない」と、身をもって感じることができるかもしれない。

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組織のなかで、主人公は完璧に立ち回る。でもあるところで、組織の限界を悟り、業界に風穴を開けるような一手に出る。

本書は、著者が、出版業界に身を置く立場として、「このままではまずい」という問題意識をもとに書いたに違いない。主人公ほどでないにしても、この本自体が、「あてがき」という新手法も含めて、一つの風穴を開けているように思った。

【再掲】読書メモ:アルゴリズム思考術(B. クリスチャン、T. グリフィス著)

 アルゴリズム思考術:問題解決の最強ツール

 

アルゴリズム思考術:問題解決の最強ツール

 

邦題と原題が結びつかず見逃していたのですが、"Algorithms to Live By" (Brian Christian,Tom Griffiths)の邦訳が出ていました。

情報科学をいかに自分の「人生」に活かすかという面白い本です。日本語版の推薦文を野口悠紀雄氏にお願いしたのは大正解だと思います。さすが早川書房

原書を読んだときの読書メモを再掲します。

***

 

 

Algorithms to Live By: The Computer Science of Human Decisions

Algorithms to Live By: The Computer Science of Human Decisions

 

 

タイトルを素直に訳せば、「生活のなかのアルゴリズム」などとなるだろうか。 「ライフハック情報科学する本」と言ってしまっていいかもしれない。

日々の家事や仕事をどんな順番でこなすか、本や書類をどのように収納すべきか、アルバイトや賃貸物件をどう探すか……。こうした日々の意思決定の場面に、「アルゴリズム」の考え方を適用することの有用性を、本書は提起する。

たとえば、書類整理の仕方。

一度使った書類をどのように収納すべきかについては、「グループごとにまとめておく」「使う頻度が高い順に並べる」など、いろいろな「整理術」がある。本書的視点でみれば、これは「キャッシュメモリをどうつくるか」というコンピュータサイエンスの問題と同じとみなせる。計算を高速に行うために一時的に記憶をためておく「キャッシュ」には、その運用の仕方にFIFO(first-in-first-out:最初に入った要素を追い出す)やLRU(least recently used:もっとも使われた頻度が少ないものを追い出す)などが知られているが、こうした知見を、書類ファイリングの問題に応用することが考えられる。

本書4章によれば、将来どの書類を使うかについて情報がないケースでは、LRUの方式をとることが「最適である」(つまり書類を探す時間を最小化できる)ことが「証明」されているのだそうだ。面白いことに、これは野口悠紀雄氏が『超整理法』で紹介している手法と合致するらしい(英語圏の著者が『超整理法』を知っていたことを含め、野口氏おそるべし…)。

自分のデスク周りの問題であれば少し我慢すれば済むかもしれないが、コンピューティングの世界ではわずかな非効率さが致命的になる。そのため、アルゴリズムに関する理論は、数学的に突き詰められているという特徴がある。そこで、その成果を構造が似た日常生活の問題にも応用することが考えられる。すると、経験則として知られていた「○○メソッド」に対して「××アルゴリズムに対応し、△△という条件のもとでは最適な方法となる」というお墨付きが得られる。

章構成は次のようになっている。

  • 最適なやめ時(optimal stopping):いつ決断を下すか。
  • 探索と活用のトレードオフ(explore/exploit):どこまで未知の可能性を探るか。
  • 並び替え(sorting):どうやって、どれくらいの手間をかけて順序をそろえるか。
  • キャッシング(caching):ものや情報をどのように管理するか。
  • スケジューリング(scheduling):何から手をつけるべきか。
  • ベイズ則による未来の予測(Bayes' rule):未来の出来事をどう予測するか。
  • 可適応(overfitting):現状の環境への過適応をいかに避けるか。
  • 通信(networking):どのような頻度と量のコミュニケーションをとるか。
  • ゲーム理論(game theory):他人とともに解決すべき問題をどう解くか。

それぞれの章で、豊富なアナロジーがでてくる。

よく聞くアナロジー(「秘書選び」と「optimal stoppingの問題」の関係など)もあるが、「そうくるか!」と思わされる意外なものも多かった(「スポーツ選手のランキング法」と「ソーティング」の関係など)。また「これはあれに使えるな」というふうに、明日から仕事・生活に生かせそうなアイディアがいくつも得られた。本書の全部を咀嚼するのはなかなか難しかったが、分かるところだけ読んでもいろいろと日々の生活のヒントが得られる本になっている。

書き手は、科学系ライターと認知科学者のコンビで、いずれも30歳代の若手だそうだ。どうしてこのような本を書くにいたったのかは分からないが、すばらしい本だと思った。

著者らによれば、生活のなかに「アルゴリズム」を見出すことには、深度の異なる三つの意義があるという。

  1. 目前の問題をとく指針とすること
  2. 日々の生活で起こっていることを、より抽象化して語るためのボキャブラリーを得ること
  3. 人間の思考様式を捉える理論的枠組みとなること

1点目はいわば「ライフハック」としての意義、2点目は「思考法」としての意義だといえるだろう。

ここに3点目を加えているのが、認知科学者ならではだ。

そして、本書が単なる「理屈に裏付けられた自己啓発本」を超えている理由もこの点にあると思う。

人間は、目的を持って生きる存在なので、もともとアルゴリズム的な存在なのだろう。でも、「アルゴリズム」という概念を発明したあとでないとそうした説明はできない。実は私たちがやっている「○○」(整理、記憶、人間関係の構築、etc)は、実は「××アルゴリズムなのだ」という説明の仕方が本書の随所で出てきたが、コンピュータの発明・普及によってアルゴリズム的語彙が出揃ったいま、人間知能の捉えなおしをしようという著者らの高い意欲を感じた。

情報科学の面白さ、重要性を痛感できる一冊だった。

マージソートの計算量がO(n log n)であること」や、「ベイズ則による推論は事前分布に大きく依存すること」などは、誰もが知っておいて損はないと思う。本書を読めば、その理由が納得できるはず。

読書メモ:最近読んだビジネス書5冊

最近、企業経営に関する数冊の本を読んだ。

何冊も読むつもりはなかったのだが、一冊目が思いのほか面白く、芋づる式に買ってしまった。

今回分かったのが、経営の本というのは、いっかいの会社員が読んでも相当面白いということ。とくに、10年以上前のビジネス書で今も書店に残っているものというのは、それなりの理由があると思わされた。

 

備忘録として、簡単にメモしておく。

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「経営の定石」の失敗学 傾く企業の驚くべき共通点

「経営の定石」の失敗学 傾く企業の驚くべき共通点

 

「現場主義」「ワイガヤ」「モチベーション経営」など、「定石」「セオリー」と呼ばれるような経営方針が間違って使われるとどんなひどいことになるか、そして「定石の誤用」で苦境に立っている企業はどう対処すればよいかを、経験豊富な経営コンサルタントが事例を交えて解説した本。

「経営のキーワード」というものは、「帰納によって導かれたものか、演繹的に導かれたものか」、「分析のためのものか、経営方針のためのものか」の2軸で4種類に分けられるという説明には納得感があった。いわゆる「経営の定石」は「帰納による✖経営方針のためのキーワード」であって、上手くいくかどうかは状況に依存する。当たり前だけど、それはそうだ。

経営者向けの内容が多いが、一介の社員に向けた「現場の人へ」という項目も設けられている。著者が一社員に向けて繰り返し書いているのが、「一度は本当のことを言って怒られろ」ということ。上に何かを報告・提案するとき、最初は忖度せずに本当のことを言い、否定されたらその後に「魂を売れ」という。有益なアドバイスだ。

 

組織戦略の考え方―企業経営の健全性のために (ちくま新書)

組織戦略の考え方―企業経営の健全性のために (ちくま新書)

 

日本企業の問題点を指摘した組織論の名著として知られる本。社内の意思決定のプロセスや人事制度などの問題点を、「権力」という観点で分析する。もし、大企業などに勤めている人で「なんかうちの会社、ダメな気がするなあ」と思っている人がいたら、この本を膝を打ちながら読めるかもしれない。「だからどうしろ」という具体的なアドバイスはあまりないが、閉塞感の正体を知ることで、少し立ち回りやすくなるかも。

  

衰退の法則

衰退の法則

 

 産業再生機構などで様々な企業の再建に関わってきた著者が、あえて博士課程に入学し、学術研究として「日本の企業が衰退するメカニズムは何か」をまとめた本。破綻した企業の社員・元社員・社外スタッフへのインタビューから、「衰退」の時期の企業の共通点、それが日本人の特性にどう関係しているか、そしてその特性を衰退に結び付けないためにどうすればよいかを考察している。以前『デスマーチはなぜなくならないのか』を読んだときにも思ったが、実務のなかで浮かんできた「疑問」なり「仮説」を、地道な学術的アプローチで解明しようという意欲はすごいし頭が下がる。

「衰退サイクル」 に入ってしまった企業の共通点とは、雑にまとめてしまうと、非オーナー系企業の場合は「社内調整にばかり労力が割かれるようになってしまうこと」、オーナー系企業の場合は「オーナーに意思決定力のすべてが集中していて、かつその決定が外部環境から逸れ始めること」。インタビュー調査や、その統計分析での裏付けは説得力があるように思えた。しいて言えば、研究の結果のなかに著者の最初の「仮説」をはみ出るサプライズ的要素がなかったのは、ちょっとだけ物足りなかった。

個人的に本書で一番インパクトがあったのは、多くのオーナー系企業では「オーナーの頭のなかだけでPDCAが回っている」という指摘だった。

 

 

ざっくり分かるファイナンス 経営センスを磨くための財務 (光文社新書)

ざっくり分かるファイナンス 経営センスを磨くための財務 (光文社新書)

 

 経営の本を読んでいるうちに、会計やファイナンスについて何も知らないことに気づいて読んでみた。「ざっくり分かる」とあるが、割と骨太な内容だと感じた(自分がまったく無知だったこともあると思うが)。損益だけを見ていてはダメ、キャッシュフローの視点が大事。資金調達が主に「銀行から」なのか「株主から」なのかによって、その企業の経営戦略も全く変わってくる。そうした基本的なことがいちいち勉強になる。

 

ロジカル・プレゼンテーション――自分の考えを効果的に伝える戦略コンサルタントの「提案の技術」
 

ビジネスパーソンがいかに「提案」を作り上げるべきかを指南した本。現場の社員向けに書かれたものなので、5冊のなかで実用性は一番高かった。「提案を通す」ためには、まずは論理をしっかりと組み立てること。そのうえで相手に合わせて、プレゼンを設計すること。論理構築・プレゼン設計の両方について、かなりわかりやすく解説される。

提案を受けた人が懐疑的になる理由は、「本当にそうなの?」と「それだけなの?」という二つの疑問しかないという。そのためには、「縦の論理」(因果関係)と「横の論理」(重複・漏れのなさ)が担保されていなければならない。そういわれるととてもシンプルで、目からうろこだった。

ビジネスの提案だけでなく、ブログの構成を考えるときなど、どんな表現をする際にも役に立つ汎用的な本だと感じた。

新刊紹介メモ:数学はなぜ哲学の問題になるのか(イアン・ハッキング著)

 

数学はなぜ哲学の問題になるのか

数学はなぜ哲学の問題になるのか

 

仕事で関わった書籍です。

発売日に合わせ、ここでも紹介させてもらいます。

 

興味のある方は、まずは訳者の大西琢朗先生の解説をぜひご覧ください。

イアン・ハッキング『数学はなぜ哲学の哲学の問題になるのか』 - Takuro Onishi

 

以下、一読者としての、メモ程度の紹介です。

***

本書の原著が出たのが3年前。

ハッキング氏の本を読んだことはなかったのですが、そのころ「数学の哲学」に俄かに興味が湧いていたこともあり、読んでみました。

 

数学の哲学。

この分野になじみがなくても、「数学を哲学したい気分」になったことがある人は多いはずです。私もその一人でした。

 

理由の一つは、「なぜ数学は役立つのか?」問題。

これは、よく「理屈に合わない有効性」というフレーズでも表現されます。頭のなかだけで出来る数学が、どうして実世界を相手にする「科学」や「工学」に使えるのかという不思議です。

 

もう一つは、「数学が分かるってどういうこと?」問題。

定理を証明したなどときの「なるほど、そうだよね、それしかあり得ないよね!」という感覚があります。

数学の専門家でなくとも、中学や高校レベルの数学でも味わえるものだと思います。私自身は、中学生のとき、はじめて自分で三平方の定理を証明できたときの、「おお、わかった!」という体験を、いまでも不思議と覚えています。

 

本書でハッキング氏は、主にこの二つの不思議、つまり「応用」と「証明」という二つの謎をめぐって、数学の哲学が存在してきたといいます。

 

プラトンに始まる古今の哲学者から、親交のある現代数学者の見解まで、ありとあらゆる哲学者・数学者を登場させ、紹介・論評をしてゆきます。

 

「○○主義」「××主義」などと、考え方の系譜は一応区分されるのですが、○○対××の論争が気づいてみたら△△対××にシフトしていたり、いつの間にか○○主義の人が××的な主張をして××主義の人が○○的な主張しているアベコベな状況になっていたりと、とにかく「数学の哲学」の展開が一本道ではないことがわかります。

 

ハッキングさんの語り口も独特です。

「そもそも証明って言っても、ライプニッツ的証明とデカルト的証明があってね」「数学の応用というけれど、それには7種類くらいあってね」などなど。私たちが無自覚に使っている概念のもつ複雑さを暴いてみせます。

 

それにしても難しい本です。

1章ずつ、気になるところから読むのがいいかもしれません。

本書を読み終えても、決して「数学を哲学したい気分」の原因となった「謎」は解消しません。人間の知性の最もピュアな部分の真相に触れることを期待して本書を手に取った私は、いかに事態が入り組んでいるかを知り、眩暈を覚えました。

ただ、これはちょっとおかしな感想かもしれませんが、本書を読んで、ちょっと安心しました。本書で登場するような錚々たる数学者・哲学者たちが議論を重ねてきたにもかかわらず「数学の謎」は、謎のまま残されている。本書の言葉でいえば、「数学の哲学は永続的である」。自分が素人として持っていた「数学を哲学したい気分」は、決して自分の無知ゆえだけでないことがわかり、ちょっとほっとしたところがありました。

 

「数学の哲学」について、もう少し体系的に整理することを指向して書かれた解説書としては、下記がおすすめです。本書と合わせて読まれるとよいかもしれません。 

数学を哲学する

数学を哲学する

 

 

 

思考整理メモ:科学コミュニケーションから考える量子力学の解釈問題(後編)

中編からの続きです。

量子力学の解釈問題について、いまの専門家たちは何と言っているか(続き)

●「うまくいっているのだから、認めよう」派

筆者は、大学2年生のときに、はじめて量子力学の講義を受けました。

その講義の先生は「量子力学にはいろいろと不思議なことがあるけれども、慣れるしかありません」ということを言っていたように記憶しています。私の周りの友人たちは、この言葉に忠実に、量子力学に「慣れる」ことを競うようになりました。自然と、「解釈問題を気にするのは未熟」という空気が醸成されていました。

こうした態度は、もっと明け透けに「Shut up and calculate!(黙って計算せよ!)」と表現されたりもします。量子力学が正しいのは間違いない。解釈問題など気にせず先へ進もうよ、ということです。

ところで、リチャード・ファインマンの有名な言葉に、

“It is safe to say, nobody understands quantum mechanics”
量子力学を理解している人なんていないと言っていいだろう。

というものがあります。これだけ聞くと「量子力学には人知を超えている」と言っているように思え、実際そのような文脈で引用されることも多い言葉です。しかしYouTubeで実際の発言を観てみると、むしろファインマンのポイントは「直観的に理解できないのは諦めて、皆さん勉強を進めようね」ということにあるようにも聞こえます。

www.youtube.com

もっと洗練されたかたちで表明する人もいます。

たとえば、物性物理学者の田崎晴明氏は以下のツイートをされていました。

また清水明氏の教科書『新版 量子論の基礎』(サイエンス社、2004年)にはこうあります。

量子論は、実験事実や理論的要求からの論理的必然として出てきたものではないのだが、今のところ、なぜか驚異的にうまくいっている理論体系なのである。(p.15)

両先生の書き方に共通しているのは、「人間のもつマクロな直観とのズレがあること」や「理論に論理的必然性がないこと」は担保しつつも、「それはそれとして、量子力学を受け入れよう」という立場だと思います。

以上のように、言い方の丁寧さ・雑さには違いがあっても、「うまくいっているのだから、認めようよ、先へ進もうよ」という立場は、かなり多くの物理学者に共有されているようです。

●「今後の解決に期待」派

その一方で、解釈問題は「未解決」であることを前面に出した解説も見かけます。解釈問題を、量子力学の成立以来続く「未解決問題」と捉える立場です。

つい最近、物理学会誌の付録として公開された「物理学70の不思議」という小冊子があります。34番目の不思議(物理学の未解決問題)として、「量子力学の不思議を実験的に検証する」が取り上げられています。

最後に残された未解決問題は,1935年にアインシュタインポドルスキー,ローゼンが提起したEPRパラドックスに代表される「観測問題」であろう.このパラドックスベルの不等式によって,局所実在性が正しいかという問題に還元され,実験で検証できることが示された.そして1982年,レーザーで励起した原子からの発光を観測したアスペの実験によって,局所実在性が否定され,量子もつれエンタングルメント)が実証されることになった.

次なる目標は,「波束の収縮」を理解することであろう.近年めざましく発展している量子情報理論と実験の進展によって,射影仮説,つまり波束の収束ではなく,観測するたびに世界が分岐するというエベレットの多世界解釈に収斂するかもしれないが,議論は分かれている.

ここでは、「波束の収縮」を「理解」することが、これからの「目標」に位置づけられていることがわかります*1。注目したいのは、「射影仮説」(=コペンハーゲン解釈)か「多世界解釈」かは、実験で白黒つけるべき問題という立場で書かれている点です。

なお、先日読んだ『物理学は世界をどこまで解明できるか』(読書メモ)の著者のグライサー氏は、かつて量子力学の基礎論の研究をやってみたくてジョン・ベル氏に師事を望んで断られたそうですが、当時の彼のモチベーションの背景にも、「量子力学の解釈問題は『科学の問題』として今後解決しうる」という考え方があったのだろうと思います。

●「説明を洗練させよう」派

最初の「認めよう」派や、後で出てくる「新しい解釈」派にも近いのですが、量子力学は正しいし実験的に何か白黒つける必要もないが、それでも「モヤモヤ」してしまうのは説明の仕方がまずいからだと言う人がいます。たとえば、吉田伸夫氏は『量子論はなぜわかりにくいのか』(技術評論社、2017年)で、「場の量子論」まで学ばないと量子力学は本当には理解できないという主張をしています。

このように、「量子力学の解釈に関する論争が絶えないのは、理解の道筋が整備されていないからだ」と考える立場です。

●「量子力学は未完成」派

ごく少数、というか思いつくのは一人だけですが、量子力学はまだ不完全だと考える人もいます。ロジャー・ペンローズ氏です。

近著"Fashion, Faith and Fantasy"では、「量子力学は現状の理論とコペンハーゲン解釈で完成している」というのは物理学界が共同でもっている「信念」(faith)に過ぎないのではと主張します。

I have not refrained from pointing out that there appears to be a fundametal inconsistency between the two bedrock procedures of quantum theory, namely unitary evolution (i.e. Shrodinger) evolution U and the state reduction R which takes upon quantum measurement. To most practitioners, this inconsistency is regarded as being something apparent, which is to be removed by the adoption of the right "interpretation" of the quantum formalism. (...) However, I am very dissatisfied with this subjective viewpoint, (...) I have argued that the quantum state (up to proportionality) should actually be given a genuinly objective ontological status. (Ch.2より)

ペンローズは量子状態は「真に客観的な存在論的身分」をもっているべきだと考え、果敢にも量子力学に重力の作用を取り入れた独自理論を構築しています。

●「理論・解釈を見直そう」派

既存の解釈に満足せず、新しい解釈を作ろうとしている人々がいます。これは、2番目の「今後の解決に期待」派とは違って、「実験」による解明ではなく、「理論」の変更に主眼を置きます。

量子力学の「理論」を、より理解しやすい形に作り替えるという方向です。

量子情報を専門とする物理学者の木村元氏は、2013年の日経サイエンスでこのように書いています。

実験で直接検証できる命題を「物理原理」と呼ぶ。例えば光速度不変〔という相対性理論〕の原理は物理原理だが、「物理量が演算子である」という〔量子力学の原理〕(…)は物理原理ではない。
(…)
目標は「この世界は、かくかくしかじかの情報技術が可能である/不可能であるようにできている」という実験で確かめられる物理原理から、今の量子力学の出発点となっている数学的な原理を導くことである。そうすれば、量子力学の全貌を、直感的に理解することができるはずだ。
(木村元,2013年,「情報から生まれる量子力学」)

情報の原理から、量子力学を作り直そうという方向性です。

別のアプローチとして、「QBism」の学派があります。QBismとは「量子ベイズ主義」のことで、彼らは量子力学波動関数を「ベイズ確率」を表すものとみなします。客観的な物理量という観念を手放すことと引き換えに、量子力学の奇妙さのいくつかを解消するという方向性です。

量子力学の解釈問題について、どんな「科学コミュニケーション」の課題があるといえるか

なぜ意見が分かれるのか?

以上、いろいろな考え方があることを見てきました。ここにあるのは、A陣営 vs B陣営のような単純な図式ではありません。誰が誰と、どの点で対立しているのかがとても分かりづらくなっています。

何がこのような立場の違いを生み出しているかと言えば、結局は、科学者個々人の「価値観」ではないでしょうか。

そもそも科学の価値とは何か? この質問への答えには、いくつかありえます。

  • 未来の現象を正しく予測する (ex. 何時何分に太陽フレアからの磁気嵐が到来する、など)
  • ものを作ったり制御できるようにする (ex.この素材の半導体を組み合わせれば、何Hzの電磁波を放出するLEDが作れる、など)
  • 物事を、深く、直感的に理解できるようにする

最初の二つを目指すのであれば、現状の量子力学で基本的には問題なく、「解釈」すら必要がないかもしれません。3つ目の「深い、直感的な理解」を目指すからこそ、論争が生まれます。

そして、何が「よりより理解か」というところで意見が分かれるために、様々な解釈が登場します。

どんなコミュニケーションを?

今回、いろいろな文献を読んでいて感じたのは、複数の立場を見比べることの大切さでした。

一つの文献を読んでいる限りでは、その著者の立場が唯一のものであるかのような印象を受けます。「みんなわかってないけど、実はこうなんだよ」というスタンスで書かれているものが多いからです。

でも、もし、量子力学をめぐる立場の違いの大部分の理由が「価値観」の違いなのだったら、もうちょっと違う言い方ができる気もします。「Aという価値観を大事にするなら、αが妥当だけど、Bの価値観ならβです」など。あまりこういうスタンスで書かれたものは見ませんでした。

ただ、もちろん、あるのは見かけ上の対立で、まともな科学者から見たら正しいのはどっちかだ、という可能性もあります。「地球温暖化懐疑論」「インテリジェント・デザイン説」などの例があります。しかし、私が見たところ、量子力学にはそれらの「疑似論争」と比較すれば、リアルな対立があるように思います。

以上、長々と書いてきましたが、要点をまとめておきます。

まとめ

  • 量子力学の解釈問題には、「どの解釈をとるか」とは別のレベルで、意見の不一致がある。
  • その意見の不一致は、科学者の価値観の違いによる
  • 量子力学の解釈をめぐる論争は、価値観とセットで考えたい

 

佐藤文隆さんの言葉を、もう一度引用しておきたいと思います。

〔私〕は、解釈問題には大事なものがあるという立場だが、それで量子力学の数理理論そのものが変わるというよりは、端的に言って科学を外から位置付ける話に関係しているというものである。それは、自然科学の専門的研究とは何をやっているのか、あるいは、社会の様々な営みのなかで科学は何を担っているのかといった、こういう科学のメタ理論に関係するという立場である。『佐藤文隆先生の量子論』より

時代ごとに、量子力学がどんな語られ方をするのかは、その時代の「科学観」を反映しているのかもしれません。今後も、5年後、10年後と定点観測する価値はありそうです。 

参考文献

Penrose, Roger. Fashion, faith, and fantasy in the new physics of the universe. Princeton University Press, 2016.

Fuchs, Christopher A. "QBism, the perimeter of quantum Bayesianism." arXiv preprint arXiv:1003.5209 (2010).

Von Baeyer, Hans Christian. QBism. Harvard University Press, 2016.

「物理学70の不思議」日本物理学会誌付録,2017.

デヴィッド・リンドリー.『量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ』,松浦俊輔 (訳),青土社,1997.

デヴィッド・リンドリー.『そして世界に不確定性がもたらされた―ハイゼンベルクの物理学革命』,阪本芳久(訳),早川書房,2007.

吉田伸夫.『量子論はなぜわかりにくいのか 「粒子と波動の二重性」の謎を解く』,技術評論社,2017年.

清水明.『新版 量子論の基礎』,サイエンス社,2004.

森田邦久.『アインシュタイン vs. 量子力学: ミクロ世界の実在をめぐる熾烈な知的バトル』,化学同人,2015.

佐藤文隆.『佐藤文隆先生の量子論 干渉実験・量子もつれ・解釈問題』,講談社ブルーバックス,2017.

佐藤文隆.『量子力学は世界を記述できるか』,青土社,2011.

木村元. "情報から生まれる量子力学 (特集 量子の地平線)." 日経サイエンス 43.7 (2013): 46-53.

*1:ちなみにこの文章は「物理学会編」となっていて起草者の個人名が特定できません。

思考整理メモ:科学コミュニケーションから考える量子力学の解釈問題(中編)

前編からの続きです。

はじめに、「量子力学の解釈問題」のあらましを簡単に振り返っておきたいと思います。

量子力学では、なぜ「解釈」が必要になったのか?

前編にも書きましたが、量子力学には「解釈」があります。

考えてみれば不思議です。物理学の「理論」に「解釈」が必要なのは量子力学くらいではないでしょうか。

なぜ量子力学にだけ「解釈」が必要とされるようになったのでしょうか。

以下、その経緯を、ざっくりと整理してみます。

 

1.20世紀初頭、従来の物理学では説明のつかない現象がいくつか出てきた。とくに、当時明らかになりつつあった原子内の構造の理論としては、従来の物理はまったく使えないことが分かってきた。

 ↓

2.プランクアインシュタインやボーアなどの物理学者が、「系のエネルギーは離散的な値しか取れない」など、いくつかの大胆な仮定を置いて法則を作ってみた。すると、それらは実験結果を忠実に再現した。

 ↓

3.シュレーディンガーハイゼンベルクがそうした法則群の背後にある運動方程式を導いた。これが1925年~26年くらいのこと。ここで、ニュートン力学を置き換えるものとしての「量子力学」が成立した。

 ↓

4.ところが、そのように生まれた量子力学には不可解な点が残った。「波動関数」や「演算子」という、現実世界と直接対応づかない概念で理論が作られていたことや、実験結果を「観測」するときに起こるはずの状態変化を、運動方程式が記述できていなかったことなどである。

 ↓

5.そこで、何らかの「解釈」が必要になった。波動関数は粒子の状態の「確率」を表すとみなす「コペンハーゲン解釈」が提唱され、ボーアを中心に広められていった。

 

ここまでが、「解釈」が必要とされるようになったあらましです。

その後の流れも見ておきます。

 

6.主流派解釈に納得できない人もいた。彼らは、量子力学が導く様々な奇妙な現象を指摘した。「粒子と波動の二重性」「シュレディンガーの猫」「神がサイコロを振るか」など、奇妙さの表し方がいろいろと編み出された。

 ↓

7.量子力学への疑念は、アインシュタインらの1935年の論文(EPR論文)により、「量子力学は『局所実在論』を保持できない」という表現に集約されることなった。量子力学が正しければ、瞬時に離れた場所に作用が及ばない(=「局所性」)か、すべての物理量は常時客観的な値を持つ(=「実在論」)というそれまでの物理学の大前提のどちらかが破れてしまう。よって、量子力学は不完全ではないかとアインシュタインらは考えた。

 ↓

8.20世紀後半、実際に「局所実在論」は破られていることが理論と実験(ベルの不等式とアスペの実験)によって証明される。これで、アインシュタインたちの批判は当たっておらず、量子力学が正しいことがわかった。

 

そして今にいたる、ということになります。

 

 解釈問題について、いま専門家たちは何と言っているか

では、ここから現代の「解釈問題」を見ていきたいと思います。

20世紀後半の展開により、アインシュタインの目指した「量子力学の不備を暴く」試みは潰えました。そして「コペンハーゲン解釈」は健在です。

ならば、現代の物理学者たちは、「量子力学の解釈問題は終わった」と思っているのでしょうか。

そうでないことは分かります。というのは、「多世界解釈」を筆頭としたその他の解釈があって、物理学者によって採用する解釈が分かれるからです。ですが、より興味深いのは、前編で書いたように、量子力学の解釈問題そのものに対する温度差があるように見えることです。

ここではそうした異なる立場を分類して、以下のように名づけてみたいと思います。

  • 「うまくいっているんだからこれでいいのだ」派
  • 「解釈問題は未解決、今後に期待」派
  • 「説明のテクニックを洗練させよう」派
  • 量子力学が間違っている可能性を追求」派
  • 「新しい解釈を求める」派

次回、それぞれに当てはまる(と私が考える)事例を紹介します。

思考整理メモ:科学コミュニケーションから考える量子力学の解釈問題(前編)

ノーベル物理学賞が発表されたばかりで、世間的には「重力波」がトレンドなのかもしれませんが、今回は「量子力学」がテーマです。とくに「量子力学の解釈問題」について、近頃考えたことを書いてみたいと思います。

量子力学について、みんな違う意見を持っている?

先日、ふと思い立って、こんなアンケートをtwitterで流してみました。

回答者は30人。自分の拡散力の乏しさを思い知る結果になりましたが、それはともかく、票が割れたのは面白いと思いました。

もちろん、これはたった30人の、不特定の方の意見でしかありません。きちんと量子力学の専門家たちの間では、もうちょっと一致した見解があるのかもしれません。いま物理学界では、「量子力学の解釈問題」はどうなっているのか。それを知りたくて、いくつか本や論文を読んでみました。

分かったのは、どうやら専門家のなかでも、というかむしろ専門家のなかでこそ、議論が収束していないらしい、ということでした。

ちなみに、量子力学には、よく知られているように、いくつかの「解釈」があります。

…等々。

どの「解釈」を採用するかで意見が分かれているというのは周知のことです。先のアンケートでも、解釈が分かれていること自体は前提として、どれを支持するかはあえて問いませんでした。

今問題にしたいのは、それ以前の部分です。つまり、

  • (どの解釈をとるかはともかくとして)量子力学は物理理論として完成しているといえるか、いえないか
  • 量子力学の納得いく解釈が(少なくとも一つ)あるか、まだないか (≒奇妙さの有無)
  • 上二つをまとめて、量子力学の解釈問題は解決済みか、未解決か

というところでの、見解の相違です。もしその部分で見解が分かれるのなら、プロの物理学者を呼んできて先ほどのtwitterアンケートを取ったとしても、同じく票が割れることになります。やってみなければ分かりませんが、そうなる可能性は高いのではないか思います。

これは面白いです。

もちろん、科学者の意見が一致しないのは珍しいことではありません。「言語は人間の脳に生得的か後天的か」など、何でもいいですが、専門家の間で意見の一致を見ていないトピックはたくさんあります。というかそちらのほうが普通でしょう。

ですが、思うに、量子力学のケースは次の2点で特殊です。

  • 理論が完成してから90年も経っているのに、まだ議論が収束していないこと
  • 「科学観」「実在観」といった、量子力学に留まらない、科学者個人の根幹をなす「価値観」を反映しているように見えること

だからこそ、意見がどう一致していないのか、それはなぜなのかについて、考えてみる価値があるように思います。

量子力学については、膨大な数の一般向け解説書が出版され、いまでも出続けています。でもそのわりには、上記のような「専門家たちの立場の違い」は、一般人には伝わってこない印象があります。一般人の量子力学像と専門家集団内でのそれとにはギャップがあると言え、しかも、そのギャップには、物理学の一分野を超える示唆がどうやら隠れていそうです。このような考えから、量子力学の解釈問題というのは「科学コミュニケーション」の課題として面白いのではないかと思うにいたりました。

なお、宇宙物理学者の佐藤文隆氏は、表現は若干違うものの似たようなことを著作のなかで述べています。私もその影響を受けています。とくに先月発売の『佐藤文隆先生の量子論』は、このブログを書こうと思うきっかけにもなりました。

 

さて、前口上だけで前編が終わってしまいました。

後編では、次のような流れで書いていく予定です。

  • 量子力学にはなぜ「解釈」が必要か。
  • 量子力学の解釈問題について、専門家たちはどう考えているか。
  • 量子力学の解釈問題について、どんな「科学コミュニケーション」の課題があるといえるか。

 

注:筆者の立場

重要な注意として、今回の記事は量子力学のそれぞれの「解釈」や「立場」の妥当性を評価しようというものではありません。また、私は量子力学の中身を正確に理解しているわけではないことも明記します。

やりたいのは、あくまで「量子力学について専門家が何と言っているか」を、素人の立場から眺めること。そして、ときに相反する主張を突き合わせることで素人として受ける印象を整理することです。そこから、どんな量子力学にまつわる「科学コミュニケーション」がなされると嬉しいかについて、いち物理ファンとして、何か言えるとよいかなと思っています。

読書メモ:時間とはなんだろう(松浦壮著)

 

 

現役の素粒子物理学者による、講談社ブルーバックスの新刊。「時間」の話が軸にはなるものの、高校レベルの物理から最先端の量子重力理論まで、幅広い物理学のトピックを易しく解説した本になっている。

著者は、時間をめぐる素朴な実感・疑問からスタートする。

水や空気などよりも遥かにありふれた存在のはずなのに、その正体を捕まえようとしても実体が見えず、スルスルと手を逃れていくようなもどかしさがついてまわります。(p.5)

そんなとらえどころのない「時間」というものを、物理学はどのように扱ってきたのか。まず大事なのが、物理学にとっては、「時間」も「力」や「質量」と同じ一つの経験的な量だということだ。なので、新しい実験事実や新理論が出てくれば、その捉え方(=「時間観」)は変わっていくことになる。

そこでこの本では、これまで人類が知り得た「時間」の本質を、ものの動きの理解、運動法則の理解の中に求めながら、時間観の変遷を追体験していこうと思います(p.9)

各章では、物理学の運動法則が、ニュートン力学、マクスウェルの電磁気学アインシュタインの特殊/一般相対論、最先端の量子重力理論と進展していくなかで、どのように時間概念が変化していったかが紹介されていく。

まずニュートン力学では、時間というのはx(t)のような形で物体の位置を決める一つのパラメータであり、時間は「絶対時間」として扱われていた(第2章)。ニュートン力学の方程式は一見「時間の一方方向性」を説明できないのだが、このいわゆる「時間の矢」の謎はカオスと確率的な見方によって解消できる(第3章)。その後ニュートン力学アインシュタインの力学によって乗り越えられる。特殊相対性理論ができると「時間の問題は時間だけでは閉じず、空間も合わせた「時空」という構造物の一部として考えてみなければならなく」(p.109)なる(第4章)。さらに、慣性系を特別扱いしない一般相対論(第5章)は、時空が重力によってゆがめられることを明らかにした。(著者は「重力は時間経過そのものである」(p.134)という言い方をしていて、個人的には第5章のこの主張が本書のハイライトだった。10回くらい読み直してようやく「時間とは重力だ」の意味が理解できた。)

一般相対論までで、物体の運動と時空と「重力」の関係がわかったことになる。それ以外の力(電磁力)などを扱うために、第6、7章では、いったん時間の話題を離れて、電気磁気学から、量子論・場の量子論までの概説がなされる。その後、いよいよ第8章にて、場の量子論と重力の理論を統合するために、現在建設中の「量子重力理論」が登場する。それが描く時間観はまだ見えてこないのだが、「時間でも空間でも量子場でもない何か」が時間を生み出しているはずだという。

感想

物理学がバージョンアップするにつれて、「時間」の理解がダイナミックに変わっていく。そのさまが生き生きと描かれていて、たいへん勉強になった。

そのうえで、「時間とはなんだろう?」というタイトルの疑問に改めて戻ってみたい。

本書は、その疑問にどれくらい答えられているだろうか。

たしかに、物理学が進歩するなかで時間の概念は変わってきた。それは時間を「よりよく理解すること」には違いない。前書きには、次のように書かれている。

人間が見出した自然法則は、絶対不変の真実ではありません。むしろ、観測された自然現象を合理的に説明するために、時代とともに変化するものです。それは運動法則も同じで、この300年余りの間にもアップデートされ続けています。

そして時間が運動とセットである以上、このアップデートは時間観にも及びます。(…)

とくに20世紀に入ってからの進展は飛躍的で、私たちが素朴に描いていた自然観を大きく塗り替えるような発見がいくつもありました。そして21世紀を迎えた今、最先端の物理学は、人類史上初めて、時間の真の正体を捉えつつあるという静かな興奮の中にいます。(p.8、太字は付加)

おおむね同意できる。ただ、太字にした結論部分には、あえて疑問を呈してみたい。

疑問は二つある。

一つは「21世紀の物理」がそれほど特別なのか、という点。仮に「量子重力理論」が完成したとして、それがもたらす時間像が「最終回答」なのかという疑問だ。22世紀以降も、まだまだ新しい現象が見つかって、物理学の理論もアップグレードされていくと考えるのが自然ではないだろうか。ただ、これについては著者が本気で21世紀の物理が特別だと思っているかはわからない。読者に対するサービスの面もあるかもしれない。

二つ目のもっと本質的な疑問は、「時間の『真の正体』を明らかにするのが物理学なのか?」というものだ。物理学は、本書で解説されているように、「時間」の概念をどんどんリファインしていく。しかし、そうして得られた「時間」概念は、もともと「時間とはなんだろう?」と思ったときに念頭にあった「時間」概念とは別物になってはいないだろうか。確かに、時間を、たとえば特殊相対論のなかで整合的な物理量にするためには、それは「ミンコフスキー空間の一次元」として捉えなければならないというのはわかる。でもそれは、時間の「真の正体」に近づいたことになるのだろうか。むしろ、私たちが「時間」と呼んでいるものの一つの側面を、特殊相対論という物理理論(=モデル)に当てはまるものとして理解した、ということなのではないだろうか。「時間とは、実は○○なのです」と物理学に言われても、「いや、それは私が知りたいと思っていた時間とはちょっと違います」と言いたくなる感覚は残るのではないか。

もっとも、本書のなかでも、時間の問題は生物学や心理学や哲学からもアプローチすべきものだということは繰り返し言われているので、著者自身も「物理学ですべてがわかる」とは思っていないと思う。ただ、それだけに、「真の正体」という言葉づかいに、少し引っかかってしまった。

以上のことは、「『物理学的な時間』の真の正体」という言い方であれば何の問題もなく、著者の意図もそうであった可能性が高いので、本書の価値・面白さとは関係がない。ただ、個人的には、科学者の書く啓蒙書のなかに滲み出る、「実在観」や「科学観」に興味があるので、この点について、ぜひ著者の考え方を聞いてみたいと思った。

読書メモ:佐藤文隆先生の量子論(佐藤文隆 著)

 

突然ですが、量子力学の解釈問題についてどう思いますか?

 

……と聞かれて、もし、言いたいことが山ほど脳裏を駆け巡ったなら、これはあなたのための本です! ぜひ『佐藤文隆先生の量子論』を読みましょう(笑)。

量子力学の解釈問題についてあれこれ悩んだことがある、数冊本を読んだことがある、それでもどこかでモヤモヤと気になり続けている、そういった人のための本になっています。逆に言うと、「量子力学の解釈問題などもはや存在しない」という境地に達していて、かつ、冒頭の質問をされても心拍数が一切上がらなかったような物理学者のかたには、読む必要がない(著者の問題意識が理解できない)かもしれません。

著者は、宇宙論相対性理論を専門とし、分野を率いてきた理論物理学者の佐藤文隆氏。2001年に京都大学を退官してからは、科学史や哲学的観点も取り入れた広い見地から論筆をされており、とくに量子力学については著書が多くあります。私も『量子力学イデオロギー』『量子力学は世界を記述できるか』(2冊とも青土社)などを読んで佐藤先生のファンになっていたので、本書も迷わず買いました。

 

さて、今回は横書きのブルーバックスというフォーマットです。目次は次のようになっています。

第1章は、量子力学がいかに成立しアインシュタインがどう反論したかという、よくある黎明期の歴史紹介。第2章では量子力学の入門的内容をコンパクトにまとめ、第3章にて量子力学の奇妙さを実証した数々の実験を紹介していきます。第4章では様々な「解釈」の整理し、著者の本書における中心的主張がなされます。第5章では、量子力学の解釈問題を語る上で重要な概念を多く編み出したジョン・ホイラー(Wheeler)について触れ、終章にてさらに主張を展開するという構成になっています。

このように、著者がのびのびと書いたことを思わせるユニークな一冊です。途中でホイラーへの追悼文が丸々掲載されていたり、1930年代生まれの著者だからこそ知りうるエピソードが挿入されていたり、写真や図表が多いのも楽しいです。第2章~第3章の物理の解説の部分も、他書にないわかりやすい説明がなされていて、量子力学の勉強をするうえでも役に立つのではないかと思います。

とはいえ、やはり一番の見どころは本書の「中心的主張」の部分になります。

それはどんな主張なのでしょうか。

佐藤先生が量子力学を語る動機が重要です。前提として、

  • 量子力学の解釈問題など、いまさら悩むべき問題か?

という論点があります。これに対する多くの物理学者の答えは、私も学部のころ物理学科で学んでいたのでわかるのですが、「NO」のようです。「たしかに量子力学の理論には、われわれの頭には理解しがたい不思議な点があり、理論のなかには「解釈」で埋めなければいけないようなギャップがあるのも事実。しかし、量子力学はできてから90年間、間違っていると証明されたことはないし、ますます多くの実験が正しさを証明している。ならば自然はそういうものだと認めて、その先の応用などに進むべきではないのか?」という見方です。

それに反して佐藤先生は、「解釈問題を考えるのは大事」という立場をとります。ただしその理由は、かつてのアインシュタインや現在のごく少数(ロジャー・ペンローズなど)の物理学者のように

  • 量子力学は不完全であり、より完全な理論を求めるべきだから

でもなければ、多くの解釈問題関連の本の著者が目論むように

  • 量子力学の奇妙さを少しでも解消するようなよりよい「解釈」があるはずだから

でもありません。

では何が理由なのか。こんなふうに書いています。

本書は、解釈問題には大事なものがあるという立場だが、それで量子力学の数理理論そのものが変わるというよりは、端的に言って科学を外から位置付ける話に関係しているというものである。それは、自然科学の専門的研究とは何をやっているのか、あるいは、社会の様々な営みのなかで科学は何を担っているのかといった、こういう科学のメタ理論に関係するという立場である。(p.154)

かみ砕くと、量子力学は「科学そのもののイメージを変える」ポテンシャルをもってもおり、イメージが「どう変わるのか」を理解するためにこそ、「解釈問題」について一度深く考えておくことは役に立つ、というようなことだと思います。具体的に量子力学を通して科学のイメージがどう変わるかということについては、本書では

など、佐藤先生ならではの言葉遣いを駆使して語られています。これらの意味を解説することは現時点の私の力に余るのですが、まさにこの意味するところを行間から読み解くのが、本書の読者の宿題となっていると感じます。

量子力学の解釈問題については、いま関連書籍を読んで勉強中でもあるので、もう少し頭を整理して、あらためてブログに書きたいと思っています。

 

読書メモ:物理学は世界をどこまで解明できるか(マルセロ・グライサー著)

 

物理学は世界をどこまで解明できるか―真理を探究する科学全史

物理学は世界をどこまで解明できるか―真理を探究する科学全史

 

「このまま物理学の勉強(あるいは研究)を続けて、自分はどこまで知ることができるのだろうか?」

これは、物理学を本気で勉強したことのある人なら、誰しも突き当たるであろう疑問だ。

「宇宙の誕生の様子を知りたい」「最も基本的な素粒子の姿を見定めたい」といった好奇心で物理学を志したのはいいが、しばらくすると、しだいに雲行きが怪しくなってくる。

たとえば、実験装置の限界。

カミオカンデ」が「スーパーカンデ」になったように、物理学の実験装置はどんどん大規模になっていく。このままいくと、物理学で何か新しい発見をすることは、リソース・コスト的に難しくなっていくのではないだろうか。

あるいは、自然界に内在する、原理的な限界。

光の速度で到達できる範囲外の出来事(いわゆる事象の地平線の向こうの出来事)については、どんな手段を使っても知りえない。まして、「多宇宙(マルチバース)理論」など、仮にあったとしてもその存在は検証できない。直接的な検証が不可能な領域に、現代物理学は入っているのではないか。

さらには、人間の理解の限界がある。量子力学に象徴される、 感覚的には受け入れがたい「奇妙な理論」を、直観的理解をあきらめて「慣れる」しかないという状況が生まれる。

こうした様々な「限界」に思いいたるとき、物理学とは、日々の勉強・研究の手を一度止めて、あらためて問いたくなる。「我々人間は何を知りうるのか?」と。

本書は、超対称性理論などを専門とする理論物理学者が、その疑問に向き合った一冊である。

***

副題に「科学全史」とあるように、スコープは広い。

第1部ではギリシャの自然哲学から、最近の「多宇宙(マルチバース)理論」に至る、おもに「時間・空間の性質」「宇宙の姿」などをテーマにした科学の進展を概観する。

第2部では、こんどは主に物質の探究に焦点を当て、同じくデモクリトスのころの物質観から、現代の量子力学の問題までを取り上げる。

第3部では「人間の認識の限界」にまつわる、数学や哲学の議論を取り上げている。

「全部盛り」「総花的」と言ってよい内容で、その分、一つ一つのトピックの解説は短い。そのため、宇宙論なり量子力学なり、何らかの学びを求めて手に取った読者には物足りないかもしれない。

その一方で「で、結局私は何を知ることができるのか?」という疑問に一人の物理学者がどう答えを出したのか、という観点で読むと興味深い。著者の回答はそれほどクリアカットなものではないが、不確定性原理不完全性定理などによって「限界」はあり、量子的現象や事象の地平線の外側のことなど、「知りえない」こともある、というのが著者のひとまずの結論のようだ。

本書の原題は“Island of knowledge”。人類の知識を海に浮かぶ「島」にたとえ、著者は科学の前進を「知識の島」が少しずつ形を変えながら大きくなっていくイメージでとらえる。

***

この本は、読者を啓蒙する体裁で書かれてはいるが、本当のところは著者が著者自身の頭を整理するために書かれたのだろうと思う。自分のやっていることの意味を感じ取るために「そもそも人類は、いかにして〈知識の島〉を開発してきたのか」に関心が向かうのは自然だが、それをここまでのボリュームの科学書に仕上げられる人はなかなかいないだろう。

物理学を志している高校生・大学生に、ぜひ読んでみてほしい。もしかしたら、物理学への信頼、楽観的な期待は揺らぐかもしれない。それでも「知識の島」を少しでも広げてみたいと考えたならば、その人を心から応援したい。