近年の人工知能分野を牽引している研究者と言えばOpenAIやAnthropicなどのスタートアップ、そしてGoogle、Metaなどのビッグテックに在籍する研究者たちだが、「アカデミア」で現役研究者を一人挙げるとしたら、スタンフォード大学のFei-Fei Li教授ではないだろうか。
Li氏は、米国屈指のAI研究拠点であるStanford HAI(Human-Centered AI Institute)を共同代表として率いているほか、AI教育のダイバーシティに関するアドボカシーや、米国のAI政策にも影響力を発揮している、今を代表する研究者の一人だ。
Li氏が三年以上かけて書いたという”The Worlds I See”は、自身の半生を振り返りつつ、この間のAI分野の発展を辿る自伝的ポピュラーサイエンスのような作品となっている。
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著者の半生は、映画の主人公さながらだ。
共産党政権下の中国で暮らし続けることに限界を感じた両親の苦心の計画のもと、16歳のときに米国に移住。英語に不自由な両親を助けながら高校へ通い、学業で頭角を現してプリンストン大学に奨学生として進学。心臓の持病をもつ母親と、移り気な父親の失職で家計が危機に瀕するも、師事した高校の数学教師が融資してくれた資金で一家はドライクリーニング店を開業。プリンストン卒業時に、ウォールストリートから提示された高額な初任給と両親をようやく健康保険に入れられるオプションに心揺らぐも、母親に「あなたがしたいことができるようにするために米国に来たのだ」と諭され、科学の道へ。
アインシュタインに憧れ、学部では物理学を学んだ著者は、次第に人間の認知に興味を持つ。大学院ではCaltechの計算機科学者Pietro Peronaと神経科学者Chistof Kochの二人に師事。貪欲にもAI研究の脳科学を両方の研究を始めた著者は、早くもライフワーク(=北極星)を見つける。
Now, only a couple of years into my grad school education, I believed I was seeing a glimmer on my own horizon—something distant and hazy but bright enough to light my path forward. One way or another, we were going to make the visual world familiar to machines. Surpassing even the standards of a life prone to fixation, I had developed an obsession that was more intense that any I’d ever known. I’d found a North Star of my own. (電子版:位置No. 2034)
人間が持つような高度な視覚処理を機械で実現する、すなわちコンピュータビジョンを研究することに決めた著者は、機械学習用の「データ」に着目する。そして、大規模なラベル付きのデータセットがコンピュータビジョンの分野を変えるのではないかとの見込みのもと、新しくプリンストンで構えた研究室の大学院生とともにプロジェクトを始める。最初は試行錯誤が続き、「このままのペースでいくと19年かかる」という状況だったそうだが、途中で当時出てきていたクラウドソーシングAmazon Mechanical Turkの活用に思い至る。そうして2009年に、1500万点のラベル付き画像を収録したImageNetが完成。
このあたりまで読むと、少しAIの分野に通じている人なら、話がどこへつながるか分かる。今日のAIブームのすべての始まりは、2012年にAlexNetという深層ニューラルネットワークが画像認識コンテストで従来手法から飛躍的に精度を高めたことだとされる。そこで使われていたベンチマークがImageNetであり、そのコンテストを始めたのがFei-Fei Li氏らであった。「枯れた技術」だったニューラルネットワークが計算能力の向上により第3次AIブームが始まったと語られがちだが、その背景にはImageNet構築への信念と挑戦があった。いわば、データの側から見たAIブーム到来の「アナザーストーリー」。これが本書の見所の一つになっている。
ImageNetで一旗揚げた著者は、画像処理と言語処理の融合研究、医療現場におけるAI応用の研究などへと乗り出していく。サバティカル中にはGoogleのChief Scientistの職を得ており、産業界ならではの豊富な計算資源に驚いたそうだ。
この10年で、AIの分野は様変わりした。その実感が以下の一節によく現れている。
My colleagues and I had spent our careers exploring the science of AI, but we were suddenly confronted by something like—I didn’t have precisely the right word for it—the phenomenon of AI. For all the mysteries posed by the technology, its suddenly growing interactions with industries and governments, journalists and commentators, and even the public at large were every bit as complex. After decades spent in vitro, AI was now in vivo.(電子版:位置No. 4277)
「AIの科学」を追求していたはずだった著者は、気づいたら「AIという現象」の渦中にいた。もはやAIの社会的影響に研究者が目をそらすことができない。著者は、AIを社会で役立てる応用研究や、教育、政府との対話などへと活動を広がっていく。
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ここまでのごく粗い紹介文で明らかなように、研究者として超一流であるだけでなく、中国から移住し、家族の病気や経済的逆境を乗り越え、AI研究の一時代を拓く現場にも居合わせた著者。著者は、その原動力を、両親譲りの尽きるところのない好奇心に求めている。
なぜこの方が、米国アカデミアのAI分野のリーダーとして今人望を集め頭角を出してきているのか、本書を通してよく理解できた。