重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

読書メモ:『エッセンシャルワーカー:社会に不可欠な仕事なのに、なぜ安く使われるのか』(田中洋子 編著)

 

本書は、日本のエッセンシャルワーカー、つまり「社会に不可欠な仕事をしている人たち」に焦点を当て、その処遇が悪化してきた実態とその背景を、10を超える業種のケーススタディをもとに論じた一冊。労働社会学などの研究に基づく内容ではあるが、一般向けに分かりやすく書かれている。書名に興味を引かれた人なら、誰でも通して読めると思う。

10名強の研究者・実務者が分担執筆しているが、導入と結論部分、ドイツの事例報告など本書の軸となる部分を、編著者である、ドイツ経済史や労働政策を専門とする田中洋子教授が担当している。14年前、ブログ筆者は、田中先生が筑波大学にて主催するゼミを学部外から履修していた。そのゼミでもまさにエッセンシャルワーカー(当時はその言葉は使っていなかったが)の労働環境について扱っていたので、当時の問題意識を再訪するような読書になった*1

まず言っておいたほうがいいかもしれないこととして、本書では「誰がエッセンシャルワーカーなのか」という定義論は問題にされていない。本書で取り上げられるのは、小売・飲食業で働く人々、自治体の相談支援員保育士、ごみ収集作業員介護士看護師教員トラックドライバー建設業従事者、さらに文化を支え手としてのアニメーターの各業種である。この並びを見て「社会に不可欠な仕事」であることに異論を持つ人は少ないだろう。主題の「エッセンシャルワーカー」のラベルは、そうした業種が共通に抱えている問題を扱うために使われている。

一様に悪化した処遇

このような幅広い業種に関して、過去30年、日本では一様に処遇の悪化が進んできたと本書は言う。第1~4部から、そのごく一部をメモ的に抜粋する。

  • 第1部「スーパーマーケット、外食チェーンの現場」:いまでは、飲食店で働く人の約8割が非正規。最低賃金近くで働く学生のアルバイトに、店舗運営の高度なオペレーションを求めることなども常態化。スーパーや外食チェーンにおいては「正社員には過酷な業務量、長い労働時間への責任を求め、それが満たせないと今度は非正規として低賃金を強いられる」という「不幸な仕組み」(p.91)が定着。
  • 第2部「自治体相談支援、保育園、学校、ごみ収集相談支援」:DV、虐待、ホームレス、地域共生などの様々な問題を立法事実として相談窓口を設置を義務づける多くの法令に伴って登場した相談業務を担う職員の多くは非正規。そもそも公務員の非正規の割合は、1997年の7%から、2020年の29%に増加。同じく非正規率の割合が上昇している教員は、年間5000人が精神疾患休職にある過酷な職業に。ゴミ収集を行う清掃職員も、自治体に雇用されるう職員は過去30年で74%減少。
  • 第3部「病院・介護の現場」:医療現場でも、多忙、賃金への不満、責任の重さ、人員不足などの要因で「辞めたい」と答える人が多い状況が続く。介護職の求人倍率は2023年度は15倍を超えるなど、深刻な人材不足状態にあるにもかかわらず、例えば在宅介護の現場は細切れのハードスケジュールをこなす厳しい仕事になっている。
  • 第4部「運送、建設工事、アニメーション制作」:ドライバーは今や「きつくて稼げない仕事」になり、人手不足が深刻化。建設業就業者は、フリーランスの割合の割合が多く、全フリーランスの49%が建設業事業者(「一人親方」)で、その貧困率は2009年に4割強。アニメーターの業界では制作するコンテンツが増えるなかで処遇は上がらず、同業者同士のギルド的な関係性が作りにくくなる中で苦境が続く。

こうした現状を並べてみても、それ自体は特段目新しいものではないかもしれない。「そもそもほとんどの日本人が、エッセンシャルワーカーの低処遇化を当然のことのように受け止めて」いる(p.22)。本書が教えてくれる非自明な事柄は、以下の点であるように思う。つまり、1)過去30年で低処遇化が進んだのか(その度合い)、2)なぜ低処遇化したのか(理由・背景)、3)労働市場のなかでなぜそれが可能であったのか(構造)、そして、4)この状況が決して必然ではないこと(オルタナティブ)、である。

1)については各章のケーススタディに詳しい。2)「なぜ低処遇化したのか」に関して、本書の第5部で詳しく論じられている。そこでは、この30年の「現場の担い手を安く都合よく働かせる新しい仕組みの広がり」が「1990年代以降の平成の長期不況と自由化政策のもとで生まれた」ものであり、従前の日本的雇用制度の内側において「正規・ 非正規という二元的雇用制度を新たに拡大」し、外側において「委託・下請構造の市場化という新しい企業間関係を広げたこと」に起因しているとまとめられている(p.312)。

3)労働市場の中でなぜそれが可能であったのかについては、コストを下げたい産業界と、パートや若者のアルバイトという新しい労働力との「負のマッチング」が実現してしまったという。従来は、「家計補助だから」「単純作業だから」「転勤などをしないから」という非正規職員が低処遇であることの「正当化」がなされてきており、その前提が成り立たなくなっても上述の正規/非正規の二元的な雇用は続いた。しかしさすがにそのマッチング状況は持たなくなり、労働者も退出戦略をとり、企業側も政策側も「働き方改革」に乗り出さなければならなくなったのが近年だという見方が提示されている。

4)エッセンシャルワーカーの低処遇が必然ではないという視点が、本書の最大の特徴だ。人口減少の局面にありながら、より良い労働環境を築いている国として、本書はドイツの事例を取り上げている。

とくに第4章「ドイツのマクドナルド」はインパクトがある。

…ドイツのマクドナルドや外食産業は、低賃金の非正規を雇って安く働かせれば店舗・企業の経営はうまくいく、という日本の飲食業の「常識」が、決して「当たり前」のものではないことを示している。学生アルバイトや主婦パートに低時給で責任をもって店舗運営を行わせるのを「当然」とする慣行が、どれほど多くの人々の経済的・自立的立場を弱め、心身の負担を増やし、学生を学業から遠ざけて疲れさせてきたか。この「常識」は、日本の低賃金社会化を継続させ、日本経済の土台を弱めただけでなく、外食業界の次世代の担い手希望者を減らし、人手不足を招き、業界自らが自分の首をしめるような状況をつくりだしてきたのである。…ドイツのマクドナルドでは、みんなが無期雇用の正社員で、働く時間も自由に選びながら長期のキャリアを形成しているが、特に店舗運営に支障は生じていない。日本の飲食店では、低賃金の有期の非正規雇用を使わないと店がつぶれると考えているかもしれないが、そんなことはないのである。(p.93)

ドイツのマクドナルドでは、正規と非正規の区別がないのだという。飲食業の経営者団体労働組合の協約で決められた給与表に基づき、仕事内容やスキルに応じた給与が得られる。2022年における、マクドナルド含む大手外食チェーンの初職時給は約1,740円だという。また学生アルバイトは1割程度にとどまり、高校生や大学生の正式な職業教育の場として位置づけられている。

マクドナルドでは、15~18歳の生徒から20歳代の大学生・大学院生まで、職業教育プログラムの一環として、生活できる給与を保障しながら学ぶ場を提供している。…日本に見られるような、低賃金の学生アルバイトの利用、あるいは無償か低報酬での学生インターン(…)の利用という、コスト削減のための働かせ方では全くない。p.108

こうした、ドイツにも日本にもある飲食チェーン店での働かせ方の違いから、編著者は日本の「常識」を見直すよう訴えかける。

学生アルバイトや主婦パートに低時給で責任をもって店舗運営を行わせるのを「当然」とする慣行が、どれほど多くの人々の経済的・自立的立場を弱め、心身の負担を増やし、学生を学業から遠ざけて疲れさせてきたか。 この「常識」は、日本の低賃金社会化を継続させ、日本経済の土台を弱めただけでなく、外食業界の次世代の担 い手希望者を減らし、人手不足を招き、業界自らが自分の首をしめるような状況をつくりだしてきたのである。p.113

飲食業界以外でも、たとえば介護職に関してドイツは処遇改善に政策的に取り組み、平均的な給与を超える職種になっているのだという。

どうすればいいのか

社会を支える不可欠な仕事をする人たちが低処遇に追いやられ、それがひいては人手不足や業界や社会全体の活力をそいでいる。そうした状況が決して、しんどいが変えられない、もしくは気の毒だが仕方がない、という問題ではないことを本書は教えてくれる。この「理不尽さ」は、「政策的につくりあげられたもの」(p.374)なのだ。

ではどうすればいいのか。編著者は、根本原因は、日本の社会がより良い社会のビジョンを描けていないことにあるという。

しかし日本が働き方を改革できない最大の理由の一つは、今後どういう方向に自分たちが変わっていったらいいのか、それがよく見えていない点にあるのではないか。変わるべき方向がよくわからないからこそ、問題のある既存の仕組み・慣行もとりあえず維持しようとする。危機的な問題が表面化した時にだけ、過剰なほど対症療法的に対応する。はやりの新しい改革ワードを取り込み、独自に解釈や利用を試みる。しかし、明確な理念がないために根本的改革には踏み込めない。政府も企業も組合も政党もみな似たような状況にあるように見える。p.25

顕在化した問題へのパッチの当て方がことごとく弥縫策であり、全体としてワークしない。これは、ブログ筆者が少し関わっている科学技術政策でも全く同じ構造が見てとれる。博士人材、研究支援人材の必要性が言われ、一時的には支援策にお金が流れるが、支援を受けた人の10年後の未来は闇の中。そのような政策が続いてきたのではないかと思う。

さらに言えば、こういう構図があるのではないか。人口増加局面に繁栄したいろいろな組織を、とくにその「中枢」部分をそのままの形で存続させようとしたときに、人口減少局面では人や資金の獲得競争が生じ、その獲得競争自体が、無駄な書類仕事などの「ブルシットジョブ」を多く発生させる。一方で、そのコストは組織・システムの「周縁」に位置するエッセンシャルワークの費用を切り詰めることで捻出される。肝心の人的エフォートの多くがマイナスサムゲームを戦うことに費やされ、全体としての生産性がどんどん下がっていく…。

本書に戻ると、エッセンシャルワーカーの処遇改善に向けて政策を動かさなくてはいけない。そのときには、おそらくは本書の労働社会学的な視点に加えて、「最低賃金をどの程度まで上げることが日本経済にとって善いのか」といったマクロ経済的な視点、どのようなステークホルダーの利害が絡んでいるのかという政治学的な視点、どうすれば当事者で連帯して声を上げていけるのかという社会運動的な視点などが必要になってくるかもしれない。「社会に不可欠な仕事」に従事する人たちの処遇とその背景を俯瞰する視点を与えてくれる本書は、そうした運動に向けた一つの大きな起点になりうるのではないかと思うし、なってほしい*2

*1:田中ゼミでの活動の一環として、物流倉庫でのアルバイト経験を元に書いたレポートが下記。

このときは現代日本の便利な生活が、恐ろしく非人間的で不安定な労働に従事する人たちの上に成り立っている、くらいの認識だったが、『エッセンシャルワーカー』を読むと、各業界が非正規雇用で人件費を切り詰めてきたことが日本の経済そのものを損ねてきたことが分かる。そうではない道もありえるのだということも(田中先生の専門のドイツの事例)。13年越しに田中先生の視点の全体像(の一部かもしれないが)を知る機会となった。

*2:さらにいうと、本書でも最後の最後で言及がなされていた、今後のAI技術によるホワイトワーカー職への影響は気になるところだ。ちょうど読んだばかりのアセモグル&ジョンソン『技術革新と不平等の1000年史(Power and Progress)がまさにその話。