重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

2022年を振り返る

今年も「今年一年を振り返らなければ」という強迫観念に駆られる時期がきた。一年を振り返らずになんとなく新年を迎えるのが耐えがたいことのように感じられるのは、自分の生きた時間の流れを「言葉」でパッケージングしておかなければその時間が散逸して無に帰してしまう気がするからであり、また来る一年も同じように通り過ぎていってしまうのではないかと恐れるからだと思う。年々この強迫観念は強くなっている気がする。

仕事のこと

現職にきてから2年が経過した。今年は、産学連携についての報告書執筆、ニューロテクノロジーのELSIに関するワークショップとその報告書執筆、研究データのオープン化についての資料作成、フィランソロピーによる科学助成についての学会報告、科学外交に関するオンラインコース受講、大学での知財活用などについて大学や文科省での発表などを行った。

スーパーマリオなどのビデオゲームで、正規のゲームの間にコインなどのアイテムが取り放題の「ボーナスステージ」のようなものがあったと思うが、なんとなく自分ではこの2年間をそのようなイメージで捉えてきた。とりあえず聞ける話は聞き、議論できる相手とは議論し、目の前の仕事をこなすなかで、あらゆることを吸収してみる。後のことは後で考えることにして。そうこうしていると今度は「コインを取り尽くすこと」自体が強迫観念となり、やらなくていいことにも手を出しすぎて疲弊した感もある。

さすがにボーナスステージは終わり、実質的な貢献が求められる時期に入っている。が、難しさを感じている。自分の能力・経験面での不足ももちろんあるが、「科学技術政策へのエビデンスとしての情報提供と提言」という現職の職務内容が抱える根本的な困難というものがあって、それが少しずつ見えてきた気がしている。詳しくはまた改めてまとめたいが、少しだけ書いておくと、1)科学技術政策の目的の多義性、2)介入による効果の不確実性と時間的遅延、3)対象となるシステムの不均一性と相互連関の強さなどである。これらの要因が重なり、「問題を発見して、エビデンスに基づき解をつくる」という政策形成のプロセスがそのスキームのままでは通用しない。だから、ファクトに基づく議論よりも、一定のナラティブに基づく関係者でのコンセンサスづくりがメインになり、「良い分析が物事をより良く変える」というわかりやすい世界ではなくなる。だからこそ、めまいを催すような「ポンチ絵」にも、一定の必然性が出てくる。

現職の組織は「シンクタンク」ということになっているが、そんなだから、思考や知識を「溜める」ことに意義があるかは少し疑問で、むしろ自分は「タンク」では「ダクト」となって情報・知識をどんどん流していきたいと思う。たまたま自分が持つことになったボールは、一番早く前に運べる人にすぐさまパスしたい。などと思いながらポンチ絵を描く日々である。

仕事以外の活動

仕事以外での活動は低調だったが、振り返るといくつかやっていた。

  • 脳科学プロジェクトを10年間取材したドキュメンタリー『In Silico』バーチャル上映会(映画紹介メモ)を3月に実施した。料金回収などがなかなか面倒だったが、視聴者同士での議論が少しできたのがよかった。いまはストリーミングで観られます(映画)。
  • 電気通信大学の山﨑匡先生の講演で進行役を指名いただいた(動画:山﨑先生の発表のみ)。力のこもった発表で、非常に勉強になった。
  • 人類学者の久保明教さんと、物理学者の鹿野豊さんのYouTube対談(動画)の聞き役を担当した。それぞれの学問の最前線にいるお二人の共鳴する部分に対して、私は「一般人代表」としての疑問を投げかける役回り。これは大変面白かった。

家庭では、長女がいろいろ話をしてくれて楽しかった。突然「数に終わりがないこと」に気づいたり、「宇宙の外」や「言語の始まり」を気にしだしたりして、言葉のやり取りのなかで彼女の中に芽生えるものに畏敬の念のようなものを感じたりもした。

今年出た本のこと

今年は昨年にも増して読みたい本が読めなかったし、読んだ本の感想も書けなかった。

久保×鹿野対談では、私自身の凝り固まったナイーブな科学観に対して、お二人が「いやいや科学の知識産出の実態はそんなんじゃないよ」「もっと自由に考えられるんだよ」と諭していただくような感じに話が進んだ。私にとって、その方向にさらに力強く引っ張ってくれたのが、科学史・科学哲学者Hasok Chang氏の新刊 "Realism for Realistic People: A New Pragmatist Philosophy of Science"だった。Chang氏は、科学哲学における「reality(現実/実在)」を巡る議論への軌道修正を図る。科学は決して科学哲学における「実在論」がいうような真理(大文字のTruth)への接近を追い求める営みではないが、その科学が実際に求めているものこそを「truth(真なるもの)」や「reality(現実/実在)」と呼べるように、概念のほうを作り直すことを同書は提案する(その答えが「truth-as-operational-coherence」)。実在論を手放さずに科学の多元性を認める道筋を提供してくれていることが、私の思うChang著の意義で、これは応用可能性が広いと思う。

David J. Chalmers ”Reality+: Virtual Worlds and the Problems of Philosophy”は、脳科学・AI・VR技術の進展を踏まえ、「現実」とは何か、シミュレートされた他者は「本物」なのか、VRのなかで「良い人生」を送れるのか、などの問いに対して、Chalmers氏流の網の広い議論を展開している。普通に生きるだけでもこれらの哲学(形而上学)的問いに暫定的な態度が必要な時代なんだな、と感じた。

今年は、今後何度も振り返ることになるだろう本が2冊出た。一冊は平井靖史『世界は時間でできている: ベルクソン時間哲学入門』(読書メモ)。もう一冊は下西風澄『生成と消滅の精神史:終わらない心を生きる』。後者はまだ一度しか読めていない。両書とも、一文一文に著者の何年分もの思索が凝縮しているような作品で、「本ってこういうことができるんだなあ」と改めて感動した。

それから、吉川浩満さんの随筆『哲学の門前』が本当に素晴らしかった。

2023年に向けて

来年は、仕事では引き続き目の前のことをやっていく。が、求められていないことまでやらないことが大事だと思う。春には海外での発表もできそうなので、自分なりの良い「パス」が出せるように頑張る。そして、再来年には任期満了となる現職の次をそろそろ考える。

仕事以外では、長女と、もうすぐしゃべり出すだろう次女との日々の”言語ゲーム”を楽しみたい。

またポッドキャストの企画を考えている。月1回くらいのペースで、「記憶」にまつわる様々な学問分野の専門家の方をインタビューしていく計画。協力いただける先生方にも、聴いていただける方にも、何らか得るものがあるものを作れたらと思っている。このプロジェクトに関して、1年後のブログで「企画倒れ」の振り返りをしなくて済むことが来年の最大の目標です。