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読書メモ:地球に降り立つ(ブルーノ・ラトゥール著、川村久美子訳)…気候変動に政治的に立ち向かう私たちの「敵」

地球に降り立つ: 新気候体制を生き抜くための政治

地球に降り立つ: 新気候体制を生き抜くための政治

 

年始から、気候変動のことを考えてしまう。

テレビを見ていても、いろんなことが気になる。台風やゲリラ豪雨などの「異常気象」のニュースを伝える際、「これも温暖化の影響なんでしょうか」とか「気候変動との関連も指摘されています」などと、気候変動と気象の関係があたかも「可能性」の段階であるかのように伝えられていること。「今年は災害がない年になるといいですね」などと言いつつ、東京オリンピックでの「日本人のメダルを期待」したりしていること。

一つ一つは正確で善意に基づいた発信であることは分かるのだが、全体として受ける印象はとても奇妙だ。温暖化の影響はもはや自明だし、気象災害が起こらないと思うほうが不自然だ。東京オリンピックを成功させることが大事だとしても、日本に住む僕らにとって、もっとはるかに大事なことがあるだろう。石炭火力発電の新設を食い止めること、とか。

つくづく思う。なぜ私たちは、気候変動という問題について考えるのがこんなにも苦手なのだろうか。

ブルーノ・ラトゥールの新刊、『地球に降り立つ』は、この疑問に答えてくれる一冊だった。

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ラトゥールといえば、独特で難解な哲学を展開している哲学者・人類学者という印象で、昨年出た『ブルーノ・ラトゥールの取説』(久保明教)は面白かったが、彼の著書をじかに読んで理解できるものではないだろうと思っていた。しかし意外にも、本書はすらすら読めてしまった。もちろん、ラトゥールの科学論や社会論はすっ飛ばした、いちばん表面的な読み方なのだが、それでも大事なメッセージが受け取れた。私は本書を、「気候変動時代に推奨される、新しい政治的スタンスを提示する一冊」として読んだ。

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なぜ私たちは、気候変動という問題について考えるのが苦手なのか。この謎に答えを出すうえでカギとなる象徴的人物として、著者はトランプ大統領を持ち出す。

地球環境について日々伝えられるニュースは私たちの心理に一体いかなる影響を与えているのか。そう思わずにはいられない。対処法がわからない不安から、私たちは心のどこかで万事休すと思い込んでいるのではないか。個人的なこの不安こそが、トランプを当選に導いたものである。(p.21)

たしかに、パリ協定からの離脱など、トランプ氏は気候変動対策に逆行する行動をとり続けている。とはいったって、国境の壁や北朝鮮外交などと同じ例の気まぐれでしょ?と思いがちだ。しかしラトゥールによれば、気候変動へのこのスタンスこそが「トランプ主義」の中心にある。

トランプを後押ししたのは、アメリカ第一主義が響くような層だけではなく、グローバルに活動する「エリート層」も含まれていた。彼らは、地球環境が全人類でシェアできる状態にはもうないことを理解し、つまり「パーティーは終わったとずっと感じてきた」。しかしそうしたエリート層にとって、その他大勢の人々がそのことに気づくのは困る。

タイタニック号の使い古された比喩を用いて説明しよう。支配層は難破の事実についてよく認識していた。だから自分たちだけ救命ボートを差し押さえ、オーケストラには子守歌を演奏させ続けた。まもなく船の傾きが増して一等客室以外の客が難破に気づくだろう。でもその前に自分たちは夜闇に紛れて船を後にすることができるだろう。(p.39)

こうした「蒙昧主義のエリート」によって、トランプ主義が生まれたと著者は見立てる。

 

トランプの陰に隠れる人々はあと2,3年だけでも米国が夢の国を浮遊していられればと願っている。そうすれば、地球(Earth)に降り立つのをしばし先延ばしすることができる。(p.21)

ここで本書のタイトルでもある、「地球に降り立つ(down to earth)」という表現が出てくる。対義語は「浮遊」。つまり、蒙昧主義のエリートたちは、自分たち「だけ」が浮遊していられるように、トランプ主義を利用する。「世界中の人々と地球(Earth)を分かち合う素振りは今後いっさい、たとえ夢のなかでも見せ」ず、「気候変動を脅迫的に否認」(p.45)する。

このプロジェクトの成功の鍵は、「新気候体制」に対する人々の絶対的無関心が少しでも長く維持できるかどうかにかかっている。(p.61)

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従来、人々の政治的スタンスは、進歩主義か反動主義か、右か左か、保守かリベラルかなどで語られてきた。ラトゥールによれば、これらは「グローバリゼーションとローカル」という二つの極のあいだの一つの軸上でマップできる。

しかし、トランプ大統領はその軸に乗らない別の極(「アトラクター」)を編み出した。ラトゥールはその極を、「地球の現実と手を切った人々が目指す地平」と表現する。ラトゥールによれば、このような現状認識を持つことで、気候変動に立ち向かう私たちが立つべき政治的スタンスが明確になる。つまり、トランプの逆を行くこと、つまり右でも左でもない、「地球に降り立つ」だ(本書ではこの極に「テレストリアル」というラベルが貼られる)。

ラトゥールによれば、これまでの「緑の党」などのエコロジー運動は、従来の軸にとらわれていたためにうまくいかなかった。

エコロジー政党は右派と左派のあいだのどこに自分を位置づけたらよいのか戸惑い続けた。(…)そのうち現実感覚を失い、最後はもぬけの殻となった。(p.87)

その理由の一端は、エコロジー的な思想が大事にする「自然」という概念が、人間など預かり知らぬ「宇宙としての自然」を想起させてしまうことにあった。

「宇宙としての自然」を階級闘争において動員しようとすることは、抗議デモを仕掛ける一団がコンクリート壁に向かって足を踏み出すようなものだ。(p.114)

 

一方で、トランプ主義の「逆」という仕方で「テレストリアル」という極を手にした私たちは、今度は目指すべき方向を見失わないで進むことができる。

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以上は、私が本書から読み取れた限りの、ラトゥールの主張だ。本書で書かれていることの(内容の量的にも、内容の深さ的にも)ごく一部にすぎないが、ここだけでも私にとっては学びと納得感があった。

当然、本書の後半は「地球に降り立つ」=「テレストリアル」の思想がどんなものかが説明されるのだが、まだ自分の言葉で書けるほど理解できていない。

「人として生きる能力」と「自分の居場所を記述する能力」はコインの裏表である(p.149) 

ラトゥールは、とにかく「自分の居場所を記述せよ」という。自分が今いる場所で自分が何に依存して生きているのかを明確に捉えよう、ということだろう。私の想像力では、たとえば、火曜日に出した不燃ごみがその後どうなるのか知ろう、くらいのことにとどまってしまうのだが、知らないよりはよいかもしれない。

(ただしラトゥールは、居場所を構成するものとして、物質だけでなく、そこに住む人々、さらには今後自分たちの土地にやってくる移民や難民も想定している。)

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本書を読んで、とにかく「敵」は明確になった。

それは、気候変動の問題に気づいていながら「逃走」する「蒙昧主義のエリート」であり、自分たちだけ「浮遊」しようとする人々を先導するトランプ大統領であり、自分自身のなかにも確実にある逃走・浮遊への誘惑なのだ。

 

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