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読書メモ:心にとって時間とは何か(青山拓央 著)…性急で、たぶん蛇足な第一印象としての感想と称揚

 

心にとって時間とは何か (講談社現代新書)

心にとって時間とは何か (講談社現代新書)

 

待ちに待った、青山拓央先生の時間本が出た。出たのが今日だ。さっそく読んだ。読み終えて即、感想を書こうとしている。そのことに、後ろめたい気持ちがかなりある。とてもじゃないけど、買った当日に感想を書けるような本ではないからだ。

本当なら、あと5回は読みたい。でも、諸般の事情で明日からは時間が取れそうにないし、時間を空けるほどに感想を書くハードルが上がっていくことが分かっているから、第一印象だけでも書いてしまおう。

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本書のテーマは、時間にまつわる数々の「謎」。

書名に『心にとって~』とついているのが重要だ。時間について「心」を考慮しないで語ることもできる。典型例は物理学。物理における時間にも、多少の「不思議」な点はあり、たとえば相対論では時間に関してかなり直観に反する現象が起こる。でも、たとえば速く動かした時計の遅れを確認するなど実験をすれば、事実としてその現象の存在を知ることができる。その意味で、物理的時間にまつわる問題の多くは――すべてではないかもしれないが――物理学の内部で解決可能なものだろう。

ところが、「心」を登場させると、とたんに時間をめぐる「謎」の種類が変わる。どう考え始めたらよいかまったく分からないような「分からなさ」が現れる。この「分からなさ」のことを、著者は「謎」「未知」「未踏の地」などと呼ぶ。

8章からなる本書では、「知覚」「記憶」「SF(タイムトラベル)」「因果」といった時間と不可分な哲学的トピックスと、「自由」「自殺」「責任」「死(不死)」という人の人生・生活にまつわるトピックスが取り上げられ、各章の主題に紐づいた「心にとっての時間の謎」が照らし出されていく。

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著者は、読者に「謎」の姿を見せるために、SF的な「設定」を多く持ち出す。タイムトラベル、「バーバーポール仮説」、「世界五分前創造説」、グレッグ・イーガンの「塵理論」など。どれも、時間と心の関係が、私たちが何気なく思うのとまったく違ったあり方をしている可能性を指し示すような「思考実験」だ。

ただし、著者の意図は、思考実験を提示して「こんなことも考えられるんですよ、不思議でしょう?」ということにはない。これらの設定は荒唐無稽で、「たしかに、その可能性もあるけど、そういうことを考え始めたら、何も前に進まないよ」で終わるような話だ。しかし、著者の手にかかると、これらの思考実験からは時間に関する非自明な「謎」――「挿話の設定のリアリティとは異なるリアリティ」(第8章)――が抽出される。

そのようにして見出されていく「謎」なのだが、それを本書より的確に説明することは難しい。ごく一部を挙げればこんな感じだ。

  • 今の私が過去についての記憶をもてるのはなぜなのか?
  • なぜ私の記憶は私についての記憶なのか?
  • 「浦島太郎」や、ドラゴンボールの「精神と時の部屋」はどのような意味で「タイムトラベル」と呼べるか?

そして、本書の「謎」の親玉ともいえる、著者を「20年くらい悩ませてきた謎」が下記だ(これだけでは意味が伝わらないと思うが、あとで思い出すためにも引用しておく)。本書を読んでいる最中うっすらと継続していた鳥肌は、この一節で最高潮に達した。

 (…)「ある心のパターンがそれ自身の生滅を感じること」とは、いったい、どのようなことなのか。

もし、それが、ある心のパターンがそれ自身の生滅を感じるような心のパターンであることならば、そのパターンが実際には生滅していなかったとしても、そのパターンは自分自身の生滅を感じるだろう。他方、ある心のパターンがそれ自身の生滅を感じるような心のパターンでないなら、たとえそのパターンが実際に生滅していたとしても、そのパターンは自分自身の生滅を感じないだろう。いずれにしても、真に現在であるような「見かけの現在」の生滅は――真に現在であるものの交代は――任意の「見かけの現在」のなかで感じられる生滅とつながっていない。(第8章)

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著者は、徹底的に「謎」に向き合い、「謎」を言葉にする。でも、「謎」に向き合うことに何の意味があるの?と聞きたくなる人もいるかもしれない。どうせ解けないんでしょ? 解けないことが分かっている謎を不思議がることに、どんな意味があるの?

本書を読んだ私には、3通りの答えがある。

  1. 科学にとって役に立つ。
  2. 人生上・生活上で気になるあれこれについて、ありがちな思考の袋小路の正体をあらかじめ知ることができる。
  3. 謎を直視すること自体に、(私個人にとっての)価値がある。

1.について。物理学ではいざ知らず、こと「心」と接点を持つ科学(認知科学神経科学、生物学)にとって、「心と時間」は科学の探究の対象だ。そのとき、「心と時間」について何が分かっていないのかを明晰な言葉で語ってくれる哲学者がいることは、まぎれもなく「役に立つ」ことだろう。本書でも、ポストディクション、カラーファイ現象、リベットの実験、チョイス・ブラインドネスなど実験の解釈の話が出てくる。現に心理・神経科学者たちと協働している著者は、科学者たちの役に立っているだろう。私が関心のある「記憶」についても、記憶研究には多くの科学者が想定するよりずっと深い概念的問題があることを、本書は教えてくれているように思う。

2.について。自由とは何か? 自殺はどんな条件で認められるか? 責任とは何か? 死んだらどうなるか? …こうした、ふとした瞬間に心をよぎる人生・生活上の疑問の背後には、よくよく考えていくと時間の問題に起因する「分からなさ」が存在することを、本書は教えてくれた。時間の「謎」が解けない限りは、これらの問いにもクリアカットな答えは望めない。そのことを知っておくだけでも、たぶん価値がある。

3.について。私はいつかは死ぬ。生きている間に、何かを分かりたいという気持ちがある。その前提のもと、次のどちらを選ぶか。

  • 自分に分かりそうなことだけをあらかじめ入念にえり分け、分かる部分をできるだけ増やして、死ぬ。
  • 自分に分からないことをできるだけ正しく捉えるために、分からなさの正体を掴もうと言葉を磨き、分からなさの正体をクリアに見据える営みのさなかに、死ぬ。

意地悪な2択にしてしまったが、今の私は後者に惹かれる。

著者の前著もそうだったが、本書は読者の心構えによって何通りもの読み方ができると思うが、私個人が感じた本書の「価値」がこの3つだった。むろん、こんな安っぽい「擁護」を必要としない本であることは明記しておく。

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とにかく、著者の哲学は生きている。著者は、言語のゲームとしてではなく、哲学をしていると感じる。大学の研究室にいる時間だけでなく、人生のすべての時間を使って、「謎」の輪郭を捉えようとしている。そのことが、文章の行間から伝わってくる。その表現の一つ一つに、著者の真剣さを感じ、息を呑まされる。

 

後日書いた精読メモ:

 
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