重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

読書メモ:意識の神秘を暴く(ファインバーグ&マラット 著、鈴木大地訳)…進化的起源から解明される意識の謎

 

『意識の神秘を暴く(Consciousness Demystified)』は、そのタイトルが示すとおり、 意識現象の科学的解明を目指した一冊である。同じ二人の著者による『意識の進化的起源(Ancient Origins of Consciousness)』(2017年、勁草書房)という大著(A5判で350ページ超)が出ており、本書はそのダイジェスト版(+α)といった位置づけとなっている。

訳者は、前著に引き続き、進化発生生物学を専門とし、意識の科学と哲学への造詣も深い鈴木大地氏。訳文は非常に丁寧で読みやすく、かつ編集にも心を砕かれており(用語集への参照など)、翻訳書のつくり方にもお手本にすべき点が多い*1

***

本書はどうやって「意識を神秘を暴」こうというのだろうか。一口に「意識の謎(神秘)を解明する」といっても、そのアプローチはさまざまだ:

  • 人の脳損傷の事例、精神医学から考える
  • 人における心理物理実験と脳撮像から考える
  • 動物の脳への生理学実験を通して考える
  • 数理モデル情報理論を構築する
  • もっぱら哲学的に考える*2
本書がとるアプローチは、進化生物学、とくに神経系の進化である。動物界を広く見渡し、進化の過程のなかで意識がいつ、なぜ、どのようにして誕生したのか、という問いを立てる。そして、それに答えることによって、意識は完全に、自然科学的に説明できるだろう。ジョン・サールの「生物学的自然主義」を踏まえ、著者らはこの自らの立場を「神経生物学的自然主義」と呼ぶ。

神経生物学的自然主義という私たちの理論では、意識は完全なる自然現象だとする一方で、ほかの生命現象を説明するときとはちがう特別(ユニーク)な説明が必要であるとしています。(p.6、太字は原文)

「意識の進化的起源」を問う以上、私たち人間がもつような高度な意識ではなく、動物がもちうるミニマムな意識が問題になる。それを著者らは原意識(primary consciousness)と呼ぶ。トマス・ネーゲルが「~であるとはこんな感じだ、という何か」(what it is like to be a ~)と表現した主観性のことだ。

原意識には、いくつかの種類に分けられる*3

  • 外受容意識(心的イメージ):外界からの刺激を感知し、主観的に経験すること。
  • 内受容意識:体内(とくに内臓)からの刺激を感知し、それへの「気づき」をもつこと。
  • 情感意識(affective consciousness):感情価をともなう質的な「感じ」。情動や気分を含む。

前半部(3,4章)では、とくに脊椎動物の「外受容意識」と「情感意識」に着目し、どの種がそれらをもっているといえるかを議論していく。

原意識の基準

「外受容意識」を持つといえる条件としては、たとえば、視覚や聴覚などを脳内の細胞で表現する「同型的地図(isomorphic map)」の有無などに着目する。そうした地図表現をもっていれば、その動物は感覚刺激に対する主観的な「心的イメージ」を持てるだろう、というのが著者らの見立てだ。

私たちは「地図で表された感覚イメージを生み出せるなら、どんな脳にも外受容的な原意識がある」という推理をもとに、同型的に地図で表された多感覚的な〔多数の感覚にわたる〕表象をつくる神経アーキテクチャーを備えた脊椎動物のうち、もっとも根幹から分岐している〔もっとも進化的に古い〕系統はどれか調べました。(p.32、〔〕は訳者補足)

この基準でいくと、どの脊椎動物も条件を満たす。哺乳類のように大脳皮質に視覚野をもっているような動物以外でも、たとえばヤツメウナギ(lamprey)なども「視蓋」という脳部位にそうした地図をつくる。

情感意識については、たとえば「大域的オペラント条件づけ」と呼ばれる学習ができることなどをその有無の基準に据えている。レバーを推したら餌が出るといった単純な条件づけを超えて、より柔軟な学習ができる動物は、その状況に対する情感(affect)への気づきをもっているだろう、という見立てである。

神経系のある動物群はいずれも古典的条件づけによる学習ができる一方で、大域的オペラント条件づけや無制約連合学習は脊椎動物節足動物、軟体動物のうちイカやタコといった頭足類でのみ起こることを見出したのです。(p.50)

第5章では、脊椎動物以外の動物に対しても原意識の有無を議論し、次のように結論する。

いまのところ無脊椎動物のなかでは、節足動物と、軟体動物のうちの頭足類が意識を備えている可能性がもっとも高そうです。(p.65)

面白いのは、著者らの「同型的地図による外受容意識」や「大域的オペラント条件づけによる情感意識」といった基準のもとでは、動物群ごとに異なる神経系の仕組みでそれらが実現されているということ、つまり「同じ形質の収斂進化」、あるいは「多重実現可能性」(p.68)として意識の獲得が捉えられているという点だ。

後半の6,7章では、では意識は「いつ」「なぜ」誕生したのかという、進化的シナリオについての著者らの見解が示される。次の主張は、おそらく本書のパンチラインといえるだろう。

脊椎動物節足動物カンブリア爆発の補食軍拡競争の過程で、頭足類はあとから、それぞれ独立に意識が進化した (p.101)

5億6000年前~5億2000年前という比較的短い期間に、当時の動物群が置かれていた環境に適応するかたちで、「意識を備えておらず、反射や運動プログラムだけに頼る動物」(p.109)から、感覚入力を地図としてもち、刺激に「情感を割り当てて」重要度を順位づけしたりできる意識を持つ動物が進化した。それも複数の動物群に独立に。これが、著者らのシナリオである。

主観性の問題はどうなるのか

このシナリオをもって、意識は脱神秘化(demystify)されたことになるのか。意識のハードプロブレム(なぜ主観的な経験は存在するのか、という問題)はどうなるのか。この疑問に、最後の第8章「主観性の問題」は哲学的に踏み込んでいく。

まず、著者らは、主観性の問題が生物学に「還元」されるとか、自然科学によって「消去」されるという立場はとらない。意識は、プロセスであり、創発する現象だ。

私たちの見立てとしては、[ジョン・]サールと同じく、脳や意識に当てはまる創発は他の自然界に見られる創発〔水分子が集まることで水としての流体性を備えるなど〕とまったく同じものなのです。(p.76)

しかし、第一人称的な主観性(クオリアなど)は、第三人称的な記述に「還元」されることはない。二種類の「存在論的還元不可能性」を著者らは指摘する。

  • 自-存在論的還元不可能性(auto-ontological irreducibility):自己の主観的意識からは、自分の経験を生み出す神経プロセスにアクセスできない
  • 他-存在論的還元不可能性(allo-ontological irreducibility):外からの神経現象の観察からは、その脳の意識経験にアクセスできない

要は、主観と客観のあいだには、相互に不可侵な壁がある。だからこそ古今の科学者・哲学者たちは「ハードプロブレム」(あるいは「説明ギャップ」)に悩んできたのだが、著者らに言わせれば「問い」が間違っている。

普通はひとつの問題として扱われているものの、実際にはふたつの問題が俎上に載っていると言えます。クオリアは神経生物学的に固有であるの同時に、 もっぱら一人称的(主観的)でもあります。そして、これらふたつのクオリアの側面は異なっているのです。クオリアの固有性は「なぜクオリアは生まれるのか」という問題にかかわり、意識の特殊な神経生物学的特性で説明できます。またクオリアの主観性は「クオリアはなぜもっぱら一人称的なのか」という問題にかかわり、クオリアと生命の関係、そして、自-・他-存在論的還元不可能性で説明できます。したがって「なぜニューロンは主観的にクオリアを生み出すのか?」という問いに答えようとするのは見当違いなのです。ふたつの答えが必要なのに、ひとつの答えを探し求めているのですから。(p.123)

言われているのはこういうことだと思う。

  • まず、客観と主観のあいだに「なぜ」ギャップがあるのか――「存在論的還元不可能性」があるのか――は、進化論的に説明できる。
  • どのような神経機構が主観的な意識体験――クオリア――を生むのか、についても神経生物学的に説明できる。
  • そして、それ以上に問うべきことはない。

私たちは「物質でしかないニューロンたちの発火パターンが、どうしてこの主観的な経験を生むのだろう?」という謎に悩む。しかし、ニューロンの発火パターンと主観的経験のあいだに《壁》があることには進化論的な機能があり、そしてその《壁》がいつ・どのように生じたかについても、神経生物学的な説明をつけることができる。そして、その説明をもって、意識の謎は解明されたのである。

おわりに

本書のアプローチをもって、意識は完全に脱神秘化(demystify)されたと言えるのか。それは、意識の問題に対してどんな関心をもっているかによるだろう。意識の進化的起源という観点では、本書の内容が一つの完全な回答を与えているかもしれない。一方、

  • 他の動物はともかく、人間の脳で、意識と神経現象はどのように対応しているのか
  • 機械に意識を持たせることは可能なのか
  • 存在論的に還元不可能とされる主観と客観の関係を、哲学的にどうとらえるか

といった問いは、別のアプローチを必要とするように思う。(二つめの「機械に意識がもてるか?」に関しては、カンブリア爆発のような進化的状況をシミュレーションで再現することが必要、ということになるのだろうか。)とはいえ、こうした医学・工学・哲学的な問題に挑むうえでも、多種多様な生物で意識(と見なせるような何か)がどのような神経機構によって実現されているのかについての研究は、今後も示唆を与え続けるだろうし、欠かせない視点になるはずだ。本書『意識の神秘を暴く』は、意識の科学に興味のあるすべての人にとって、押さえておくべき一冊であることは間違いない。

 

関連記事・リンク

出版社サイトから「はじめに」と「訳者あとがき」が読めます:

 

訳者の鈴木氏による、意識にまつわる各種立場をマッピング。意識研究を俯瞰するうえで非常に参考になります:

意識にまつわる本ブログの読書メモ:

 

*1:鈴木氏のnoteも、翻訳出版の実務に携わる方は必読。

*2:直近で読んだ本でいえば、Philip Goff "Galileo's Error:" https://rmaruy.hatenablog.com/entry/2020/03/15/221116など。

*3:以下は、本書巻末「用語集」の記述を簡素化したもの。