重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

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読書メモ:Mathematics Without Apologies(by M. Harris)…数学者のパトスとは?

 

Mathematics Without Apologies: Portrait of a Problematic Vocation (Science Essentials)

Mathematics Without Apologies: Portrait of a Problematic Vocation (Science Essentials)

 

マイケル・ハリス(Micheal Harris)は、アメリカ出身、フランス在住の数学者。専門は数論で、Wikipediaによると「ラングランズ・プログラムに重要な貢献をした」人物だそうだ。本書は、その彼が「数学者にとっての数学とはどんなものか」について、非数学者に向けて説明を試みた1冊となっている。

興味をそそられるテーマだが、私には難しかった。一文が長い英文の読解難度の高さに加えて、起承転結がハッキリとしない書き方や、なじみのない欧米文化の話題(文学・映画・歴史など)がネックで、いくつかの章はまるまるスキップしてしまった。

とはいえ、楽しめる部分もあった。

「書評」ではなくあくまで「メモ」として、感想を書いておきたい。

 

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タイトルは、和訳すれば「弁明なしの数学:数学者という厄介な職業を素描する」などだろうか。20世紀初頭の数学者、G.H. Hardyによる"A Mathematician's Apology"(邦題:『ある数学者の生涯と弁明』)へのオマージュとなっている。

A Mathematician's Apology: 0 (Canto Classics)

A Mathematician's Apology: 0 (Canto Classics)

 

実は、ハリス著があまりに難解だったので、先にこのハーディ著を読んでみた。すると、少しだけ(ほんの少しだけ)ハリス著の文脈が取りやすくなった。

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ハーディとハリスは2人とも、60年以上の時間を隔たりはあるが、「数学者が数学をする理由」を非数学者向けに説明しようとしている。

共通しているのは、数学の弁護に「実利」を持ち出さないことだ。

数学は役に立つ。それは間違いない。でも、ほとんどの数学者(とくに「純粋」数学者)にとって、彼らが数学をやるのは、数学を物理学や機械工学、あるいは金融工学や計算機科学に役立たせたいからではない。では「実用性」以外の何が、数学者を惹きつけるのか。

ハーディは、「良い数学」は「美しい」というようなことを言っている。

自分の人生に価値があるとすれば、美しく、それゆえ永久的な価値をもつ数学の知識を増やすことに、何らかの貢献ができたことだ。それがハーディの「弁明」。

ハリスは、少年時代にこのハーディの『弁明』を読んで、数学者に憧れた一人だそうだ。しかし今の彼は、ハーディの本を「エリート主義的」と皮肉る。

現代の数学者として、ハリスは、もう数学者の人生を「弁明」しようとはしない。「~だから、私の仕事には価値がある」という部分は省いて、たんに「なぜ数学者は数学をするのか?」だけに答えようとする。

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ちょっと寄り道。

「なぜ○○の専門家は、○○の研究がしたいのか?」を知るのは、分野外の専門家とコミュニケーションをとるうえで大事なことだ。

でも、それは簡単じゃない。『学術書の編集者』という本のなかで、長年様々な分野の専門家と本をつくってきた編集者である著者は、各分野には固有の価値観があるという。

〔学問のさまざまな〕分野を探究する学者は、それぞれの分野がもっている考え方や手続きが大切だ、つまり価値があると思って行動しているわけですが、それを、ここではそれぞれの「徳」=ヴァ―チューとして捉えたいわけです。もちろん、この「徳」には、多くの分野を貫いて共通するものもあるでしょうし、比較的限られた、場合によっては、ある特定の分野だけにあてはまる「徳」もあるはずです。(橘宗吾、『学術書の編集者』、p.37) 

歴史学、哲学、物理学、計算機科学、社会学。それぞの分野によって価値観――橘氏の言う「徳」――は違っている。そして、その「徳」の姿が、分野外から一番わかりにくい分野が、数学ではないだろうかと思う。

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ハリス氏は「数学者の『徳』」を説明するために、この本を書いた。彼自身の言葉で言うと、数学者の「『パトス』は何か?」ということになる。

でも、本書では、ストレートで分かりやすい答えを与えてはくれない。私が読み取れたのは、すぐに思いつくような答えは当たっていないということだけだった。

  • 数学は「隠された真理を見つけていく営み」か? ――そうではない。
  • では、数学の魅力とは「パズル解き」の面白さか? ーーそれだけではない。

数学は、隠された真理に向かってまっすぐ進んでいくというよりは、新しい「理解の仕方」の登場により、一気に方向転換をしたりする。その一方で、数学には個々の問題を解くだけでない、何か大きなものという感覚もある("the sense of contributing to a coherent and meaningful tradition")。

ハリス氏は、数学者の動機は「役立つ」でも「美しい」でも「真理を知りたい」でもなく、もっと複雑なものだということを言っているようだった。

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イアン・ハッキングは、「なぜ人は数学を哲学したがるのか」を問うたが、本書の問いは「なぜ人は数学をしたがるのか」。両方とも興味深いが、まったく異なる問いだと感じた。

小説や音楽であれば、それを作っている人以外も、その「価値」がわかる。でも、数学的達成の「素晴らしさ」を味わえるのは、基本的には数学者だけ。

数学者にとっての「数学の価値」(ハリスのいう"internal goods")は数学者にしかわからなくても、いずれ数学者の仕事は何かの役に立つ("external goods")かもしれないのだから、それでいいではないか、という意見もあるかもしれない。

でも、もし数学の"internal goods"が非数学者でも味わえるものになったら、それを伝える数学者にとっても、鑑賞する非数学者にとっても、豊かなことだと思う。

その一歩を踏み出してくれたハリスさんはありがたい。

できれば、もっと易しい本を。