重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

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読書メモ:数学セミナー(2018年4月号)…人はなぜ数学するのか?

 

数学セミナー 2018年 04 月号 [雑誌]
 

今回は雑誌の感想です。

数学セミナー』の最新号、特集テーマが「なぜ数学を学ぶのか」。

自分で数学をするよりも「数学する人(とそのモチベーション)」に興味がある私にとっては、たいへん惹かれる特集でした。

なにより、執筆陣が豪華。名だたる数学者だけでなく、数学教育・物理学・数理科学・統計学・物理学といった、「数学を使う」立場の諸分野からもビッグネームが集い、数学への想いを綴っています。

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「なぜ数学を学ぶのか」というお題なのですが、ややあいまいな問いかけです。聞かれているのが

  • なぜ大学で数学を学ぶのか
  • なぜ小・中・高で数学を学ぶのか

のどちらなのか、つまり問題とされている「数学のレベル」によって答えは変わってくるはずですし、

  • なぜ「私は」数学は数学を学ぶのか
  • なぜ「人々は」数学を学ぶ「べき」なのか

のどちらの問いなのかという問題もあります。

この特集では、あえてそのどれを聞いているのかを限定しておらず、各寄稿者は好き好きに解釈して回答を寄せています。

誰がどんなことを言っているか、簡単に紹介したいと思います。

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長岡亮介「そう問う君は幸いだ」

トップバッターは長岡亮介氏。今回の特集のなかで、最も広い視点で問いを捉え、包括的に答えているように感じました。長岡氏は、「なぜ学ぶのか」に対して、「常識的な回答」「現代的な回答」「古典的な回答」の、階層の異なる3つの答えを用意しています。

  • 常識的な回答は、数学は「普遍的な言語」であって、「他の領域への応用の可能性」が高い学問だから学ぶに値するのだ、というもの。
  • 現代的回答は、高度に技術化した現代を生きる私たちにとって、「世界の大潮流に飲み込まれてしま」わないために数学の基礎力が必要だから、というもの。
  • 古典的な回答は、数学が古代から「深い教養の鍛錬の舞台」とされており、その意義は現代でも形を変えて存在しているから、というもの。

ただし、冒頭では、「この解答のみが正当であると主張するつもりは、まったくない」と断っています。

「人生とは何か」とか「信念とは何か」、……などは典型的であるが、簡単な正解がたとえ存在しなくても、問い続けること、答えを探し続けることそのものには重要な意味がある。

「なぜ数学を学ぶのか?」――これもそのような問いの一つである。

さながら、本特集を総括するような一節。

こうして「数学をなぜ学ぶのか」を問い続ける態度こそが、数学教育を硬直化させないことにつながるという思いが筆者にはあるようです。

志賀弘典「なぜ数学を学ぶのか? 自問自答」

続く志賀氏は短いエッセイ風の文章。フランスの学習指導要領に「数学的活動とは何かを理解すること」が数学を学ぶ目標の一つとされているのを引きあいに出し、

日本の教育においては、数学という教科を、その学問的手法を内在化して、人の重要な柱にする、という観点はありません。

と言います。それでも、「たかだか150年で、日本の数学研究の水準は世界の最先端に立って」おり、それは数学を「日本的精神」で咀嚼してきた先人たちがいるからだ、というような論旨を展開。「なぜ学ぶのか」への直接的な答えは与えていませんが、「西洋で発祥した数学」という「文化的異物」を自分のなかに取り込みたいというモチベーションが筆者を突き動かしてきたことが窺えます。

竹山美宏「数学科で絶望しないために」

寄稿者のなかでは若手の竹山氏は、日々学生に触れる機会が多いからか、主に大学に入って数学に躓いた学生を想定して書いています。なぜ大学の数学は、高校までとは一変してしまうのか。それは、「具体的な問題を解く」ことから「定義と証明を学ぶ」ことに主眼が変わるから。なぜ「定義と証明」が重要か。それは、数学が正しさを伝達する手段であり、その正しさを支えるのが「定義と証明」だからだ。よく数学は「美しい」とか「役立つ」とか言われるが、まずもって数学は「正しい」から価値があるのだ。私なりに、筆者の「なぜ学ぶのか」への答えを引き出すとしたら、数学は(定義と証明を通して)正しいことを確かめ合う唯一無二のツールだから学ぶ価値があるのだ、となるでしょうか。

原田耕一郎「そこに山があるからだ」

登山好きでもあるらしい原田氏の答えは、端的に「そこに山(=数学)があるからだ」というもの。分数列の無限和があるものは収束し、あるものは無限に発散する例を見せておいて、筆者が数学に対して感じている「畏怖の念」の一端を伝えるエッセイとなっています。

伊庭幸人「データサイエンスを学ぶ理由、もしくはまだ覚醒していないあなたへ」

伊庭氏は主に自身の専門である「データサイエンス(統計学)」について語っています。近年「データサイエンスを学びたい」という人が増えたが、そのほとんどは「ビジネスなどで使いたい」という動機をもっている。しかし筆者はそうした人々とはちょっと距離を置きたい様子です。「役立つから」ではないデータサイエンスへの入門の仕方があると言います。それは、自然科学を真剣にやった末に、どうやら「データの扱い」や「統計」に「本質」があると「覚醒」するというパターンです。統計物理から統計学へ進んだ筆者自身と同様、そうしたルートでもデータサイエンスに入ってきてほしいと筆者は願っているようです。

これが「数学」の話とどうつながるか? データサイエンスが「面白い」と感じるような思考の方向性は、実は「広い意味での数学」なのではないかと言います。

数学の本質のひとつは「抽象化することで、ものごとの本質が理解しやすくなる」という考え方にあると思う。(…)その意味では「ヒストグラムの書き方」のような具体的で身近なことの背後に「データ解析とは何か」「知能とは何か」というような一般的な課題を見るような思考は手法の難易にかかわらず、それ自体が「数学的」といえるのかもしれない

「数学の本質的な良さ」とでもいうようなものがあるとして、それは大学レベルの数学を学ばなくても、統計学などの周辺分野からも触れられるものなのかもしれない。そんな希望を与えてくれる文章でした。

根上生也「数学的人格となれ」

なぜ数学を学ぶか、それは「数学的人格」となるためだ。根上氏の言う「数学的人格」とは「数学を学ぶことで培うことのできる人格」であり、「原理、構造を探究し、意味と価値を理解」し、

 思い込みや勘違いを排するために、お互いの間違いを責めず、みんなで共通の理解を生むように議論していく

ことができるのだそうです。数学的人格は、初等的な数学を学ぶことでも身につけることができ、多くの人が「数学的人格を志向するようになれば、民主主義も次の段階に進める気がする」とさえ言います。

筆者はおそらく、「数学」という場だからこそ、自覚的に極論を言っているのだと思います。それでも、ちょっと言いすぎではないかと感じました。民主主義の合意形成のプロセスには、「数学的な議論」だけでは足りないはず。「定義と証明」では答えの出せない問題がたくさんあるはずだからです。だからこそ、数学以外の様々な学問が知恵を蓄えてきたのではないでしょうか。筆者はそんなこと承知だとは思いますが。

小谷元子「数学はやめられない」

前半では、プロの数学者としての実感を語っています。数学の研究はとにかく「苦しい」。だが、「苦しいなかに本当に稀にではあるが強烈な喜びの瞬間」がある。だから、「数学はやめられない」と言います。

後半では転じて、数学の第3者的意義について述べています。数学を材料科学に応用するための研究機関に勤める筆者は、たびたび数学が思いがけず応用に結び付く経験をしてきたと言い、

しかし、それにしても不思議なほどに、数学が役に立つ

という感想を漏らしています。

甘利俊一「なぜ数学を学ぶのか 数理工学の立場から」

数学者としてではなく、工学のために数学を生かす、「数理工学」の立場から数学に取り組んできた甘利氏。その数学へのスタンスは以下の一節につきていると思います。

数学をなぜ学ぶのか、まさに面白いからである。数学は自由であり、いろいろな可能性がある。数理的に考えることが、人の脳の持つ特質である。数学を学んで本当によかった。

でもそれは「一個人の感想」ですよね? と返したくなる内容ですが、甘利先生に言われると普遍的真理のようにも思えてきます。

安生健一「映像のリアリティとは? CGにとっての数学の役割」

CGを作る際に使われる数学について簡単に解説し、現実をリアルに見せるために数学がなくてはならないツールであることを述べています。

山﨑雅人「論理と抽象のかなたに」

素粒子物理学者として、数学を学び、数学を使ってきた実感を語っています。

直観から出発し、そのことを忘れないこと。しかしその地に安住するのではなく、そこから一歩一歩進んで論理を積み上げ、やがてはその地平線の先に直観を超える世界にたどり着くこと。その地でまた直観と論理をやしない、さらなる旅へと出発していくこと。この絶え間ない営みこそが数学なのではないだろうか。

そうやって論理を積み上げて、高いレベルの直観が獲得される。それが素粒子物理学という、世界の在り方を理解する学問にも役立つのが面白いと思います。

杉原厚吉「数学を勉強するとどんないいことがあるの?」

最後の杉原氏は、おそらく主に中高生あたりに向けて「数学をなぜ勉強するのか」への答えを与えています。それは、とにかく数学が使えるから。ビルをつくるのにも、電気製品をつくるのにも数学が必須。また筆者の専門である「錯視の立体図形」も、その見え方の解析に方程式が使われていることを説明しています。中学や高校の先生が教える以上に数学は使われているんだよ、という内容です。

***

以上、11名の寄稿者の語っている「数学を学ぶ価値」についてざっと見てきました。

その多様なことにあらためて驚きます。

  • 役に立つ
  • 人格を陶冶できる
  • 現代社会を生きるリテラシー
  • 面白い
  • 直観をグレードアップできる
  • 畏怖の念を感じる

今回、「美しい」という観点(cf. G.H. Hardy)を出している人がいなかったのはちょっと興味深いです。

数学ほど、その「価値」の語られ方が多様な学問はないのではないでしょうか。

数学者が、自身が考える数学の良さについて丸ごと1冊を費やして語った本に、Micheal Harrisの"Mathematics without Apologies"があります。

また、数学とは何か、数学者は何をやっているのか、自分が数学に惹かれるのはなぜかを、言語化することで捉えようとした著作として、森田真生さんの『数学する身体』があります。

 

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