”Lost in Math"の待望の翻訳。原書の読書メモを再掲します。Sabine Hossenfelder氏は、物理学者にして科学ライター。中の人にしかできない批判的な科学コミュニケーションを繰り広げる、特異な人物です。
現代の素粒子物理学が陥ってしまっているかもしれない集団思考的な落とし穴に果敢に挑んだ本書は、物理学を志す人だけでなく、広く「科学とは」を今後語るうえで外せない一冊だと思います。
なお、本書を読んで浮かび上がる疑問に「なぜ数学は科学の役に立つのか(もしくは立ってきたのか)?」があります。この謎についての整理を試みたYouTube動画を貼っておきます。
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Lost in Math: How Beauty Leads Physics Astray
- 作者: Sabine Hossenfelder
- 出版社/メーカー: Basic Books
- 発売日: 2018/06/12
- メディア: ハードカバー
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直訳に近い日本語のタイトルをつけるとしたら、『数学に迷い込んで――美の追求が現代物理学を踏み誤らせたわけ』などとなるでしょうか。
著者のサビーン・ホッセンフェルダー博士は、量子重力理論などを専門とする理論物理学者。本書は、彼女の「物理学、このままで大丈夫?」という素朴な疑念から出発し、多くの著名な物理学者への取材を重ねて、現代物理学の陥っている問題点を指摘した一冊となっています。
理論物理は、実はかなり前から行き詰まっていた?
現代物理学の行き詰まり――こう聞くと、まず思い浮かべるのは「実験の大規模化」ということではないでしょうか。日常のエネルギースケールで発見できることは発見し尽くされてきており、これ以上進むにはますます巨大な実験装置を建設しなければならない。人間の作れる装置の大きさや割ける予算には限りがあるので、そろそろ新しい発見が難しくなっている、そうした見方です。最近でも、次世代の加速器のILC(国際リニアコライダー)を日本に誘致すべきかどうかをめぐり議論が熱くなっているようです*1。
しかし、本書で描かれる「行き詰まり」はもっと深刻です。著者によれば、素粒子物理学や宇宙論といった「物理学の基礎(foundations of physics)」の分野で発表されてきた数々の「新理論」は、ここ30年間なに一つ実証されていないというのです。
「え、そんなはずない。ヒッグス粒子は? 重力波は?」と思うわけですが、よく考えると、いずれも20世紀半ばまでに予言されていたものが2010年代になってようやく観測されたものです。一方で、20世紀終盤以降に作られた理論で、実証されたものはないのだそうです。
もちろん、その試みはなされてきました。ヒッグス粒子を検出したLHC(ラージ・ハドロン・コライダー)にしても、もともとは標準模型*2を超える理論(後述する超対称性理論)の検証を主たる目的の一つとしていました。にもかかわらず、この30年、新理論が予言する粒子のようなものは何も見つかってこなかった。本書でインタビューを受けている物理学者たちも、この状況に対してworried(心配)、dissapointed(がっかり)、果てはnightmare(悪夢)だなどと語っています。
つまり、現代物理学の行き詰まりは、今後の装置建設の困難さにではなく、これまでの実験装置で成果が出てこなかったことにあるのです。
ここには、私たち一般人が普段聞かされていることと、専門家たちのリアリティの間に大きなギャップがあると言えそうです。
「美」は理論構築の指針とすべきか?
そもそも、実験事実が何もないところから物理学者たちはどうやって理論をつくるのか? そこで登場するのが「美」という基準なのです。
検証されていない理論の筆頭として「超対称性理論」があります。とにかく大変人気のある理論だそうで、多くの物理学者がその正しさを「確信」しているといいます。その理由こそ、「美しいから」。著者は、物理学者の言う「美しさ」の意味を、次の3つに分類しています。
- simplicity:理論がシンプルであること
- naturalness:理論のなかに恣意的に見える(fine-tuneされた)定数値や、極端に大きかったり小さかったする無次元量が出てこないこと
- elegance:その理論によって、一見無関係な対象/分野が思いがけないかたちでつながること
このような美的基準を満たす理論が「良い理論」とされ、多くの理論研究者に認められていくことになります。
なぜ「美しさ」などいう一見主観的な基準を、物理者たちは採用するのかといえば、これまでうまくいってきたからです。ケプラー、ニュートンの時代から、20世紀の標準模型にいたるまで、物理学は見た目ごちゃごちゃした対象をシンプルで普遍的な法則にまとめあげることに成功してきました。しかも、理論が先にできて、それが時を経て検証されるということも繰り返されてきたのです。ニュートリノしかり、ブラックホールしかり、重力波しかり……。そうした成功体験をもとに、標準理論の背後に「より美しい理論」が控えていると考えるのは合理的である。多くの物理学者がそのように考えてきました。
しかし、著者(1976年生まれ)は、そうした理論的な成功体験をもたない世代です。超対称性理論にしても、まだまだ正しい可能性があるとはいえ、少なくとも当初の「美しい」形の理論は保持できないことが、ここまでの加速器実験から結論されています。こうしたなかで、彼女のなかで疑問がくすぶることになります:
…もはや、「美」に頼る理論構築はうまくいかないのではないか?
(…)aesthetic criteria work until they don’t .
数十年うまくいっていない*3のに、どうしてしがみつくのか? なぜ誰も声を挙げないの? こうした戸惑いを、著者は巧みに表現しています。
Someone needs to talk me out of my growing suspicion that theoretical physicists are collectively delusional, unable or unwilling to recognize their unscientific procedures.
私の中に膨らむ疑念を、誰かに晴らしてもらわないといけない。理論物理学者たちが総体として自己欺瞞的であり、自分たちが非科学的な手続きをとっていることを認めたがらないかその能力がない集団なのではないかという疑念を。
この疑念を胸に、著者は「研究者モード」から「作家モード」へと気持ちを切り替え、取材を開始します。スティーブン・ワインバーグ、フランク・ウィルチェックといった大御所をはじめ、10数人のパイオニアたちへのインタービューを敢行。それぞれが理論物理の現状をどうとらえているか、美的基準をガイドとすることをどう思うかについて、(同業者として遠慮がちに、しかしときには大胆に)問い正していきます。回答者によって少しずつスタンスは違うものの、ほとんどの物理学者は何らかの形で美的基準を使うことを是としていることが明らかになっていきます。
ちなみに、それぞれのインタービューでの話題で出てくるトピック(超対称性理論、ストリング理論、ストリング以外の量子重力理論、宇宙論、量子力学基礎論、多元宇宙論など)については、その都度著者の解説がなされており、(100%理解するのは無理だとしても)勉強になりました。
どうすればいいのか?
著者の問題意識は、「美という非経験的な基準を科学に持ち込むことについて、物理学者たちは無反省すぎるのではないか?」というものです。そしてその感触は、取材を通じてそれはどんどん裏付けられていくことになります。
しかし、著者がやろうとしているのは「王様は裸だ!」と声高に叫ぶことではありません(それもなくはなさそうですが)。なにせ著者自身、現役の理論物理学者です。自らこの分野にコミットしています。むしろ、彼女の関心は、この分野をより効果的に発展させるにはどうしたらよいかということにあるようです。
これ以上理論が現実と遊離しないために、三つの「教訓(lesson)」を最終章で述べています(以下、ブログ筆者なりの表現です)。
- 本当にそれが解くべき問題かを吟味せよ("naturalnessの欠如"は本当の「問題」ではないかもしれない、など)
- どんな基準を用いているのか明言せよ(美的な基準を使っているのなら、それを意識すること)
- 実験事実によるガイドは常に必要(Observational guidance is necessary. Physics isn’t math. It’s choosing the right math.)
そして、著者自身も心情的には「物理法則は美しいはず」と信じており、「美しさ」の言及を追放すべきだという主張もしていません。むしろ、「何を美しいと思うか」は時代とともに変化していくというのが著者の考えで、「旧世代の美的基準にいつまでも縛られること」を最も避けるべきと考えているようです。
最後に・補遺
10年ほど前、たしか小林氏・益川氏らがノーベル賞を取った年に、KEK(高エネルギー加速器研究機構)が主催する公開シンポジウムを聞きに行ったことがあります。会場は日比谷公会堂、立花隆さんがモデレーターという豪華なイベントでした。KEKでこれから予定されている実験なども紹介され、全体として「これから目が離せない素粒子物理学」というトーンだったのを覚えています。
けれど、そうした一般向けの(プロパガンダ的な?)アウトリーチとは裏腹に、理論物理学者たちはこの数十年、落胆しつづけてきたとしたら……。もうちょっと知っておきたかった気がします(一納税者として)。
また、理論選択の場面で「美」のような「非経験的な基準」が、大手を振って(!)使われているというのも、個人的には驚きでした。
現役の科学者がこのような本を書くというのは、とても勇気があることではないでしょうか。とても貴重な一冊だと思います。
以下、個人メモとして、以前のブログ記事との関連を3つほど。
(1)以前、量子力学の解釈問題について、「科学者がどのように世界を理解したいかという『価値判断』が関与している」ということを書きました。素粒子理論・宇宙理論*4ではそれがさらに色濃く現れているのかもしれません。
思考整理メモ:科学コミュニケーションから考える量子力学の解釈問題(前編) - rmaruy
思考整理メモ:科学コミュニケーションから考える量子力学の解釈問題(中編) - rmaruy_blog
思考整理メモ:科学コミュニケーションから考える量子力学の解釈問題(後編) - rmaruy_blog
(2)今回は「物理学と美」という話だったが、むしろよく話題になるのは「数学と美」。その違い・共通点について考えてみるのも面白そうです。
読書メモ:Mathematics Without Apologies(by M. Harris)…数学者のパトスとは? - rmaruy_blog
(3)良いモデル(≒理論)とは何かについては、科学哲学者マイケル・ワイズバーグ氏が詳細に考察していました。ホッセンフェルダー氏も「哲学者との協働は必要」ということを言ったいたので、ワイスバーグ氏がたとえば素粒子物理理論のモデル構築をどう評価するかは興味のあるところ。