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読書メモなど

読書メモ:科学とモデル(マイケル・ワイスバーグ著、松王政浩訳)

 

科学とモデル―シミュレーションの哲学 入門―

科学とモデル―シミュレーションの哲学 入門―

 

科学者は、ものごとを理解するのに「モデル」(数理モデルや模型)をつくる。あるいは、将来の現象の予測をするために「シミュレーション」を行う。本書はそうした「モデル」や「シミュレーション」について、科学哲学から迫った一冊である。

「モデルやシミュレーションとはいったい何なのか?」という問いは、科学に携わる人にとって核心をつくものだと思う。大学院で理論研究を少しだけ齧った私も、この問いには何度も躓いた記憶がある。

しかし、そう言ってもピンとこないかもしれない。どうして「モデルとは何か」を改めて考える必要があるのか。このことについて、本の中身に入る前に、思うところを少し書いてみたい。

「モデルとは何か」を知りたい理由

世界の仕組みについて「根っこのところから分かりたい」との思いから、私は大学で物理学を専攻することを選んだ。その後、どうやら一番の根っこは宇宙や素粒子の法則よりも「人間の脳」にあるらしいと気づいて(理論)神経科学の研究室へ移ったが、どちらの分野でもたくさんの「モデル」に出会った。物理学では、

などという伝統のあるモデルについて習ったし、神経科学の研究室では、

などに触れた。

これらはどちらかというと現象を「説明する(分かる)」ためのモデルになるが、科学ではもちろん、現象を「予測」するためのモデル・シミュレーションも重要だ。地球温暖化の影響を調べるためのシミュレーションや、構造物の強度を調べるための数値計算などはその典型だろう。

ものごとを「説明」・「予測」するために、数理モデルを作ったり数値シミュレーションを行ったりするのは当たり前のことのように思える。でも、ときどき、「モデルってそもそも何なんだ?」と分からなくなる瞬間がある。少なくとも私にはあった。

たとえば……

  • どんどん抽象的になる理論物理学のモデルに対して・・・大学で習う物理でも、「ゲージ理論」やら「繰り込み理論」が出てくると、私には数学的な抽象度が高すぎてついていけなくなった。「こんな難しいモデルによる理解は自分は求めていない」という気分になった。
  • 仔細な神経回路のモデルに対して・・・神経細胞集団の振る舞いを説明する数理モデルには、たしかにうまく実験結果を再現できているのだが、仮定やパラメータが多すぎて「キレイじゃないな」と思えるものがあった。

こんなふうに、モデルによる説明に「満足できない」という感想を持つことがある。また「予測」を目的にしたモデルについても、「本当にそのシミュレーションの結果を現実世界の意思決定に反映していいのか?」ということは、つねづね問題になる。

人間の全脳をシミュレートするとした欧州のヒューマン・ブレイン・プロジェクトなどは、「説明」に関しても「予測」に関してもその意義に疑義が突きつけられた例と言えるだろう。

こう考えていくと、私たちが何をもってモデルやシミュレーションの「良し悪し」を判断しているのか分からなくなる*1。たとえば、こんなことが疑問として浮かぶ。(以降、「モデルやシミュレーション」という意味で単に「モデル」と書く。)

  • モデルはなぜ役に立つのか。モデルと現実世界はどういう関係にあるのか。
  • 科学者は、何をもって良いモデルとするのか。モデルの「良さ」にいくつか種類があるとするなら、科学者はそれらをどう使い分けているのか。
  • モデルから導かれた予測を、どんな根拠でどれくらい信用すべきか。 

モデル研究は、多額の予算と時間を投入して行われる営みであるのに、それを評価する共通言語を私たちは実はもっていない。そのことに気づくと、「モデルとは何か」についての科学哲学が必要な気がしてくる。

前置きが長くなったが、本書『科学とモデル』は、上であげたような疑問について、「回答」とまではいかなくても、少なくとも「考えるための枠組み」を与えてくれる本だった。

各章の内容を、理解できた範囲でまとめてみる。

章構成

第1章では、本書の目的が提示される。それは、「モデリングという理論的探究行為」について理解することであり、ある種の「モデルに関するモデル」を示すことである。

第2章にて、著者は科学者がつくるモデルを「具象モデル」「数理モデル」「数値計算モデル」の3種類に大別し、それぞれ代表例を一つずつ挙げて説明している。

  • 「具象モデル」:実際に物理的につくられるモデル。その代表例に、20世紀中ごろにサンフランシスコの巨大ダム工事計画の影響を調べるために作られた模型=「サインフランシスコ・ベイモデル」を挙げている。
  • 数理モデル」:方程式で書かれるモデル。代表例として、生態系の被食者と捕食者の数的関係を微分方程式でモデル化した「ロトカ-ヴォルテラ・モデル」を挙げる。
  • 数値計算モデル」:アルゴリズムの形で書かれるモデル。代表例として、トーマス・シェリングによる「人種隔離シミュレーション」を挙げる。

著者は、科学で用いられるモデリングはこの区分でほぼカバーできると考えている。

第3章では、この3種類のモデルに共通する「構成要素」として、「構造」「モデル記述」「解釈」の三つがあることが述べられる。モデルは、物理的構造であれ、数学的構造であれ、アルゴリズムであれ、何らかの「構造」をもっており、それを表現するための何らかの「記述」(図面、模型、式、ソースコードなど)を伴う。ポイントは、そこに「解釈(construal)」が加わることだ。当該モデルが現実世界の何を表しているのか(=割り当て)、モデルのどこまでを現実世界と対応づけるのか(=範囲)、どのくらい現実世界に似ていることを要求するか(=忠実度基準)という、いわば科学者の「意図」が、モデルの「構成」には含まれている。

第4章は「モデルとは何か」、つまりモデル(主に数理モデル)の身分が問題にされる。とくに、「数理モデルとはある想像上のシステムである」とする「フィクション説」という科学哲学上の立場を取り上げ、なぜ著者がそれに反対かが説明される。たしかに科学者はモデルをつくるときに「何らかのイメージ」をもっている。しかし、必ずしもそれは現実に存在しうる対象のイメージ(=フィクション)でなくても構わない。そうした「科学者個人、および科学者共同体が抽象的な数学的対象に結びつける心象」を著者は「慣習的存在論」と呼ぶ。

第5章では、特定の対象を念頭においた「対象指向型」のモデリングのプロセスが検討される。モデリングは、「モデルの作り上げ(方程式を立てる、etc)」→「分析(方程式を解く、etc)」→「モデルと対象の比較」というステップで行われる。ここでモデルに比較されるのは現実世界そのものではなく、世界から恣意的に切り取った一側面(=「対象システム」)だということに著者は注意を促す。

第6章では、モデルの「理想化」について論じられる。モデリングにおいて「理想化」が行われる動機にはいくつかの種類がある。解けない数式を簡略して解きやすくするようなプラグマティックな理由による理想化(=「ガリレイ的理想化」)もあるが、ある現象にどの要因が効いているかを特定するためにあえて要素をそぎ落とす理想化(=「ミニマリストの理想化」)もある。また、予測精度を上げるためにいくつかの異なる理想化をしたモデルを組み合わせることも行われる。

第7章では、特定の対象をもたない抽象的なモデルが論じられる。著者はそうしたモデルを3種類に分けている。

  • 汎化モデリング:普遍性が高い現象を説明するモデル(有性生殖のメリットを説明するモデルなど)
  • 仮説的モデリング:現実には存在しない対象の性質を調べるためのモデル(現実のDNAとは分子構造が異なる「xDNA」のモデルや、熱力学の法則に反する「永久機関」のモデルなど)
  • 対象なしモデル:抽象的な意味でも現実の対象と結びついておらず、単にモデル自体の面白さから研究されるようなモデル(セルオートマトンなど)

ただし、著者によればこれらの区別は動的である。

最後の2章(終章を除く)は、具体的なモデルの話に戻る。第8章は、モデルと現実世界の「類似性」について。モデルが対象と「似ている」とはどういうことか。伝統的な説明は「写像」の概念を使ったものだが、著者はそれはうまくいかないと考え、独自の「モデルと世界の一致度を表す評価関数」を提案している。ミソは、この評価関数には科学者の「意図」を反映する重み係数がいくつか入っているところである。

私が示したいのは、モデル-世界間関係が、いかにモデルに対する理論化の解釈に依存し、さらに研究者共同体の背景知識、行為、そして彼らの研究目的に依存するかということである。

第9章では、モデルが信用できるのはどんなときかについて検討される。モデルをつくって何らかの結果を得たとして、これを実際の意思決定に生かすべきか。このモデルはどれくらい信用できるのか。こうしたことを判断する方法として、この章では「ロバスト分析」が紹介される。これは、パラメータを振ってみる・項を加えたり引いたりする・異なるモデルで結果を比較してみるなどにより、モデルの出力がどれくらいロバストなものかを調べるという方法。ロバスト分析の妥当性に対する批判とそれへの著者の反論が述べられている。

感想

科学哲学のプロ向けの記述も多く、理解できない部分も多かった(科学哲学の分野で本書が置かれている文脈については、「訳者解説」でとても丁寧に解説されている)。それでも、模型作りから数値シミュレーションまでの幅広い「モデリング」を統一的に扱えるような理解の枠組みを作ろうという意欲は感じたし、何より科学者にとってrelevantな本だと感じた。哲学は「科学者の実践には何も影響を与えない」と言われることもあるが、本書に関してはそれは当たらないと思う。

最初に書いたように、「モデルとは何か」について統一理解がないために、齟齬が生まれているケースは現実にあると思う。神経科学のモデル研究でも、「良いモデル」についての基準があいまいなまま、何となくモデルが作られていることもあるように思う。(もしかしたら「良いモデル」の一番の基準は「論文が通ること」ではないのか、という皮肉さえ言いたくなる。だとすれば、「なぜ今のその研究コミュニティでそのモデルがアクセプトされるのか」が、本当は問われないといけないのかもしれない。)今後、とくに脳科学の「意識の情報理論」などにおいては、「モデルで何がしたいのか」が重要になるように思う。これをはっきりさせないままだと、本当は科学者個人の「好き嫌い」が原因の不毛な宗教論争になってしまいかねない。それを避けるためにも、本書のような交通整理が必要と思う。

一つ疑問に思ったのが、モデルと「理論(法則)」、あるいはモデルと「アナロジー」はどう違うのか、ということだった。たとえばニュートン運動方程式は「モデル」とは言えないのだろうか。ニュートン運動方程式はかなりよく物理現象を再現するが、相対論的効果や量子力学的効果がない範囲で正しいにすぎない。その意味で、たとえばロトカ-ヴォルテラモデルと比べて、世界との当てはまりの良さは程度の差しかないとも言えそうな気がする。また、逆に「アナロジー」というものは、対象との対応がかなりルーズな「モデル」とは言えないのだろうか。科学哲学の議論の中で、「理論」「モデル」「アナロジー」に区別がどう引かれるのかということに興味が沸いた。

おわりに

科学哲学者だけでなく、多くの理系の読者に本書が読まれるといいと思う。研究者たちが、「ワイスバーグ式に言うと、君のモデルはここがイマイチだね」などと議論できるようになるのが理想だろうか。

*1:これまで私が読んだ「良いモデル」の説明で一番納得したのは、理論物理学者の田崎晴明氏によるこれだった:

「理論物理学における「優れたモデル」というのは、決して、実際の物質に忠実なモデルのことではない。むしろ、きわめて複雑な現実の系の中から、着目している普遍的な現象が生じるメカニズムそのものを集中的に研究できるようにしたものが、優れたモデルなのだ。これはほしい結果が出やすいような「やらせ」とはまったく違うことを注意しておこう。研究したい「物理」の本質的な難しさをも伝えるのが優れたモデルなのだ。」(『統計力学Ⅱ』(培風館))