重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

思考整理メモ:科学コミュニケーションから考える量子力学の解釈問題(後編)

中編からの続きです。

量子力学の解釈問題について、いまの専門家たちは何と言っているか(続き)

●「うまくいっているのだから、認めよう」派

筆者は、大学2年生のときに、はじめて量子力学の講義を受けました。

その講義の先生は「量子力学にはいろいろと不思議なことがあるけれども、慣れるしかありません」ということを言っていたように記憶しています。私の周りの友人たちは、この言葉に忠実に、量子力学に「慣れる」ことを競うようになりました。自然と、「解釈問題を気にするのは未熟」という空気が醸成されていました。

こうした態度は、もっと明け透けに「Shut up and calculate!(黙って計算せよ!)」と表現されたりもします。量子力学が正しいのは間違いない。解釈問題など気にせず先へ進もうよ、ということです。

ところで、リチャード・ファインマンの有名な言葉に、

“It is safe to say, nobody understands quantum mechanics”
量子力学を理解している人なんていないと言っていいだろう。

というものがあります。これだけ聞くと「量子力学には人知を超えている」と言っているように思え、実際そのような文脈で引用されることも多い言葉です。しかしYouTubeで実際の発言を観てみると、むしろファインマンのポイントは「直観的に理解できないのは諦めて、皆さん勉強を進めようね」ということにあるようにも聞こえます。

www.youtube.com

もっと洗練されたかたちで表明する人もいます。

たとえば、物性物理学者の田崎晴明氏は以下のツイートをされていました。

また清水明氏の教科書『新版 量子論の基礎』(サイエンス社、2004年)にはこうあります。

量子論は、実験事実や理論的要求からの論理的必然として出てきたものではないのだが、今のところ、なぜか驚異的にうまくいっている理論体系なのである。(p.15)

両先生の書き方に共通しているのは、「人間のもつマクロな直観とのズレがあること」や「理論に論理的必然性がないこと」は担保しつつも、「それはそれとして、量子力学を受け入れよう」という立場だと思います。

以上のように、言い方の丁寧さ・雑さには違いがあっても、「うまくいっているのだから、認めようよ、先へ進もうよ」という立場は、かなり多くの物理学者に共有されているようです。

●「今後の解決に期待」派

その一方で、解釈問題は「未解決」であることを前面に出した解説も見かけます。解釈問題を、量子力学の成立以来続く「未解決問題」と捉える立場です。

つい最近、物理学会誌の付録として公開された「物理学70の不思議」という小冊子があります。34番目の不思議(物理学の未解決問題)として、「量子力学の不思議を実験的に検証する」が取り上げられています。

最後に残された未解決問題は,1935年にアインシュタインポドルスキー,ローゼンが提起したEPRパラドックスに代表される「観測問題」であろう.このパラドックスベルの不等式によって,局所実在性が正しいかという問題に還元され,実験で検証できることが示された.そして1982年,レーザーで励起した原子からの発光を観測したアスペの実験によって,局所実在性が否定され,量子もつれエンタングルメント)が実証されることになった.

次なる目標は,「波束の収縮」を理解することであろう.近年めざましく発展している量子情報理論と実験の進展によって,射影仮説,つまり波束の収束ではなく,観測するたびに世界が分岐するというエベレットの多世界解釈に収斂するかもしれないが,議論は分かれている.

ここでは、「波束の収縮」を「理解」することが、これからの「目標」に位置づけられていることがわかります*1。注目したいのは、「射影仮説」(=コペンハーゲン解釈)か「多世界解釈」かは、実験で白黒つけるべき問題という立場で書かれている点です。

なお、先日読んだ『物理学は世界をどこまで解明できるか』(読書メモ)の著者のグライサー氏は、かつて量子力学の基礎論の研究をやってみたくてジョン・ベル氏に師事を望んで断られたそうですが、当時の彼のモチベーションの背景にも、「量子力学の解釈問題は『科学の問題』として今後解決しうる」という考え方があったのだろうと思います。

●「説明を洗練させよう」派

最初の「認めよう」派や、後で出てくる「新しい解釈」派にも近いのですが、量子力学は正しいし実験的に何か白黒つける必要もないが、それでも「モヤモヤ」してしまうのは説明の仕方がまずいからだと言う人がいます。たとえば、吉田伸夫氏は『量子論はなぜわかりにくいのか』(技術評論社、2017年)で、「場の量子論」まで学ばないと量子力学は本当には理解できないという主張をしています。

このように、「量子力学の解釈に関する論争が絶えないのは、理解の道筋が整備されていないからだ」と考える立場です。

●「量子力学は未完成」派

ごく少数、というか思いつくのは一人だけですが、量子力学はまだ不完全だと考える人もいます。ロジャー・ペンローズ氏です。

近著"Fashion, Faith and Fantasy"では、「量子力学は現状の理論とコペンハーゲン解釈で完成している」というのは物理学界が共同でもっている「信念」(faith)に過ぎないのではと主張します。

I have not refrained from pointing out that there appears to be a fundametal inconsistency between the two bedrock procedures of quantum theory, namely unitary evolution (i.e. Shrodinger) evolution U and the state reduction R which takes upon quantum measurement. To most practitioners, this inconsistency is regarded as being something apparent, which is to be removed by the adoption of the right "interpretation" of the quantum formalism. (...) However, I am very dissatisfied with this subjective viewpoint, (...) I have argued that the quantum state (up to proportionality) should actually be given a genuinly objective ontological status. (Ch.2より)

ペンローズは量子状態は「真に客観的な存在論的身分」をもっているべきだと考え、果敢にも量子力学に重力の作用を取り入れた独自理論を構築しています。

●「理論・解釈を見直そう」派

既存の解釈に満足せず、新しい解釈を作ろうとしている人々がいます。これは、2番目の「今後の解決に期待」派とは違って、「実験」による解明ではなく、「理論」の変更に主眼を置きます。

量子力学の「理論」を、より理解しやすい形に作り替えるという方向です。

量子情報を専門とする物理学者の木村元氏は、2013年の日経サイエンスでこのように書いています。

実験で直接検証できる命題を「物理原理」と呼ぶ。例えば光速度不変〔という相対性理論〕の原理は物理原理だが、「物理量が演算子である」という〔量子力学の原理〕(…)は物理原理ではない。
(…)
目標は「この世界は、かくかくしかじかの情報技術が可能である/不可能であるようにできている」という実験で確かめられる物理原理から、今の量子力学の出発点となっている数学的な原理を導くことである。そうすれば、量子力学の全貌を、直感的に理解することができるはずだ。
(木村元,2013年,「情報から生まれる量子力学」)

情報の原理から、量子力学を作り直そうという方向性です。

別のアプローチとして、「QBism」の学派があります。QBismとは「量子ベイズ主義」のことで、彼らは量子力学波動関数を「ベイズ確率」を表すものとみなします。客観的な物理量という観念を手放すことと引き換えに、量子力学の奇妙さのいくつかを解消するという方向性です。

量子力学の解釈問題について、どんな「科学コミュニケーション」の課題があるといえるか

なぜ意見が分かれるのか?

以上、いろいろな考え方があることを見てきました。ここにあるのは、A陣営 vs B陣営のような単純な図式ではありません。誰が誰と、どの点で対立しているのかがとても分かりづらくなっています。

何がこのような立場の違いを生み出しているかと言えば、結局は、科学者個々人の「価値観」ではないでしょうか。

そもそも科学の価値とは何か? この質問への答えには、いくつかありえます。

  • 未来の現象を正しく予測する (ex. 何時何分に太陽フレアからの磁気嵐が到来する、など)
  • ものを作ったり制御できるようにする (ex.この素材の半導体を組み合わせれば、何Hzの電磁波を放出するLEDが作れる、など)
  • 物事を、深く、直感的に理解できるようにする

最初の二つを目指すのであれば、現状の量子力学で基本的には問題なく、「解釈」すら必要がないかもしれません。3つ目の「深い、直感的な理解」を目指すからこそ、論争が生まれます。

そして、何が「よりより理解か」というところで意見が分かれるために、様々な解釈が登場します。

どんなコミュニケーションを?

今回、いろいろな文献を読んでいて感じたのは、複数の立場を見比べることの大切さでした。

一つの文献を読んでいる限りでは、その著者の立場が唯一のものであるかのような印象を受けます。「みんなわかってないけど、実はこうなんだよ」というスタンスで書かれているものが多いからです。

でも、もし、量子力学をめぐる立場の違いの大部分の理由が「価値観」の違いなのだったら、もうちょっと違う言い方ができる気もします。「Aという価値観を大事にするなら、αが妥当だけど、Bの価値観ならβです」など。あまりこういうスタンスで書かれたものは見ませんでした。

ただ、もちろん、あるのは見かけ上の対立で、まともな科学者から見たら正しいのはどっちかだ、という可能性もあります。「地球温暖化懐疑論」「インテリジェント・デザイン説」などの例があります。しかし、私が見たところ、量子力学にはそれらの「疑似論争」と比較すれば、リアルな対立があるように思います。

以上、長々と書いてきましたが、要点をまとめておきます。

まとめ

  • 量子力学の解釈問題には、「どの解釈をとるか」とは別のレベルで、意見の不一致がある。
  • その意見の不一致は、科学者の価値観の違いによる
  • 量子力学の解釈をめぐる論争は、価値観とセットで考えたい

 

佐藤文隆さんの言葉を、もう一度引用しておきたいと思います。

〔私〕は、解釈問題には大事なものがあるという立場だが、それで量子力学の数理理論そのものが変わるというよりは、端的に言って科学を外から位置付ける話に関係しているというものである。それは、自然科学の専門的研究とは何をやっているのか、あるいは、社会の様々な営みのなかで科学は何を担っているのかといった、こういう科学のメタ理論に関係するという立場である。『佐藤文隆先生の量子論』より

時代ごとに、量子力学がどんな語られ方をするのかは、その時代の「科学観」を反映しているのかもしれません。今後も、5年後、10年後と定点観測する価値はありそうです。 

参考文献

Penrose, Roger. Fashion, faith, and fantasy in the new physics of the universe. Princeton University Press, 2016.

Fuchs, Christopher A. "QBism, the perimeter of quantum Bayesianism." arXiv preprint arXiv:1003.5209 (2010).

Von Baeyer, Hans Christian. QBism. Harvard University Press, 2016.

「物理学70の不思議」日本物理学会誌付録,2017.

デヴィッド・リンドリー.『量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ』,松浦俊輔 (訳),青土社,1997.

デヴィッド・リンドリー.『そして世界に不確定性がもたらされた―ハイゼンベルクの物理学革命』,阪本芳久(訳),早川書房,2007.

吉田伸夫.『量子論はなぜわかりにくいのか 「粒子と波動の二重性」の謎を解く』,技術評論社,2017年.

清水明.『新版 量子論の基礎』,サイエンス社,2004.

森田邦久.『アインシュタイン vs. 量子力学: ミクロ世界の実在をめぐる熾烈な知的バトル』,化学同人,2015.

佐藤文隆.『佐藤文隆先生の量子論 干渉実験・量子もつれ・解釈問題』,講談社ブルーバックス,2017.

佐藤文隆.『量子力学は世界を記述できるか』,青土社,2011.

木村元. "情報から生まれる量子力学 (特集 量子の地平線)." 日経サイエンス 43.7 (2013): 46-53.

*1:ちなみにこの文章は「物理学会編」となっていて起草者の個人名が特定できません。