重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

2024年の振り返り

噓のようなスピードで1年が過ぎる。昨年の大みそかが昨日のことのようだ。ただし無理やり振り返れば、この365日にはそれなりに多くの出来事が詰まっている。体感的にはほぼ「点」に縮退してしまっているが、意識的に想起すれば「線」としての時間の広がりがある。30歳を超えてくらいからの年末は、毎年大体こんな感じだ。畳み込まれた記憶を引き伸ばすため、一年を振り返る作業はやはり大事だな…と思うのも毎年恒例のこと。

2024年、何をやったか

一年前の年末エントリーでは、「最初の就職をして以来の、暗中模索の一年になるかもしれない」と書いた。ほぼその通りになった。3月に、3年間務めた職場を辞めて個人事業主になった。この選択の理由は以下のブログ記事に書いた。

まずやると決めていたのは、一般社団法人AIアライメントネットワーク(ALIGN)の事務局業務だった。これには、準備期間3か月を含めて9カ月関わった。その振り返りもブログに書いた。

10月からは、完全にフリーになった。成人して初めて、毎日の時間の使い方を自分で決める生活。当初は営業活動をしようと思っていたが、これまでところ、知り合いの方からのお声がけで仕事が決まっていった。

完了したものを挙げると、

など。継続中のものとして、

があり、2025年1月から始めるものとして、

がある。2025年3月までは、①~④でほぼ稼働時間が埋まっている状況となっている。2025年の第2四半期以降の予定は全くの未定です。(2024.1.9追記:ありがたいことに、Q2以降のお仕事も埋まりました。)

何がしたいのか?

このように「ほぼ受け身」の姿勢で仕事をいただいてきた形だが、一応、自分の中でどういう仕事をしたいのかというイメージはあった。それに沿って受けるかを決めてきたし、受けた仕事の具体的な進め方も、依頼主の方とすり合わせながら進めさせていただけたものも多かった。

何がやりたかったのか。一年前のブログでは以下のようなことを書いた(厳密な引用ではありません)。

日本語圏の知的コミュニティにおける「考えるスペース」を増やすこと。本人たちが心から「それは本当に大事だ」と思える活動に時間を使えるような環境づくりに寄与すること。(★)

抽象的で実際にやった具体的な活動のレベルとギャップがありすぎるので、そこをつなぐ部分の文章化は課題だと思う。自分の中では、今年関わらせていただいたどの仕事も★につながりうるものだったと思っている。

なぜ個人事業主なのか。起業するわけでもなく、長期プランを持たずに、何がしたいのか…というのはよく聞かれることで、確かに説明が必要だと思う。納得してもらえるようなストーリーは用意できていないのだが「こういう気持ちです」というのを書いてみる。

24歳に就職してから12年間、私は企業や行政機関に雇用されてきた。職場は恵まれていたし仕事は充実していたが、★のような目的を置いたときには、この「組織に仕える」タイプの仕事の仕方が、ある文脈においてはゼロサムもしくはマイナスサムゲームのなかでの組織や業界の延命に寄与することにしかならない場合がある、ということだった*1。だったら、違う動き方をしてみたいと思った。

組織に仕えることの限界に気づいたなら、自分で旗を揚げるのが自然なのかもしれない。アントレプレナーとして、起業するなり事業を作る。そうした生き方に求められるのは、とにかく「走り切る」ことだと思われる。手持ちのリソースを元手に「仮説」を更新しながら行動し、どこかに辿り着くことが目指される。「組織に仕える」とは真逆の生き方。

しかし後者の生き方も自分には合わない、というかできない、と感じてきた。無理に人を巻き込むくらいなら…という消極性が自分にはある。同時に「旗を揚げる人が多すぎるのではないか?」という問題意識もあった。プロジェクトや組織の数に比して、そこに「巻き込まれる人」が不足しているのではないか。ビジョンを持って何かを立ち上げたが、オーバーヘッドを担うスタッフ不足に悩む人は多いように見受ける。

そこで、自分としては「組織に仕える」でも「自分のビジョンに人を巻き込む」のでもない「誰かのビジョンに巻き込まれながら、エコシステムに仕える」といった第3の生き方ができないものかと思った(というのが現時点での後付の説明)。その都度、自分が共感するアントレプレナーたちに全力で伴走しつつ、あくまで自分が大事だと思う生態系(エコシステム)を貢献の対象とする。

当然、「どのエコシステムに仕えるのか」が問題になる。多様な人の営みの中から「エコシステム」を分節化して取り出し、本来無形の対象を概念化し、コミュニケート可能にする、まずはその作業が必要になる。自分が関わりたいのは「科学という営み」に関わる人々の生態系。最近、「メタサイエンス・コミュニケーター」という言葉を思いついた。サイエンスコミュニケーターの特殊ケースとして、「メタサイエンス」を対象にコミュニケーションを生み出す役回りだ。

まだまだふとした思い付きの段階だが、メタサイエンス・コミュニケーションを整備することによって、組織や人ではなく「科学のエコシステム」に仕えることが可能になるのではないか。もちろん、科学という営み全体を俯瞰することなど一人でできることではない。それでも、いろいろな人に「巻き込まれながら」見えてくる風景があるのではないか。

2025年末への問いかけ

巻き込まれる在野のメタサイエンス・コミュニケーターとして、2025年もやっていく。右往左往が続くと思う。とくにKPIはないが、年末には次の3点は振り返りたい。

1)生計を立てられるか? 今年度、年収は昨年度の1/3にくらいになる見込みで、このままだと心もとない。今のところ個人事業主を続けたいと思っており、そのために来年はもう少し年収を増やせるとよい。どうすればいいのだろう。ささやかながら、企業人とも起業家とも違う今のキャリアの「競技性」がここにある。

2) 仲間は増えるか? 2024年の自分の活動は、ここに書いたようなことに理解を示し、一緒に活動してくれた方々に支えられた。アカデミストの山本弦さんのように、"Re:Rel"に転身した人さえいた。そうした仲間の輪が広がっていくことが、自分の持続可能性にとっても、それが上記の意味でのエコシステムに寄与するという意味でも不可欠だと思う。新しい出会いがどれくらいあるか。

3)メタサイエンスのどんな風景を描けるか? いろいろな企てに巻き込まれながら、メタサイエンスの風景を目にすることになると思う。それを、適切に言葉にして発信したい。とりわけ、「AI」が来年一年、どのように知的なインフラとして機能するのかについては目を凝らしていきたい。知を生産するはずの科学の土台に、AIという巨大な「無知」が潜り込んでいくかのように感じている。このことの帰趨を、自分なりに言葉にできているとよい。

いつもの荒川

 

*1:デフォルメして言っており、自分の経験にいつも常にそうだったわけではありません。