重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

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簡易開催記録:メタサイエンス勉強会

本日、「メタサイエンス勉強会:科学哲学から科学政策・研究公正を考える」と題したオンライン勉強会が開催された。

科学哲学者の野内玲さん、清水右郷さんとお話しした折に、いずれ「メタサイエンス」をテーマにした研究会をやりたいというお話を聞き、ではまずはオンラインでどんなネタがありそうか話してみましょうか、せっかくだったら公開の勉強会形式にしますか、ということで、開催が決まったものである(というのが少なくとも私の認識)。

開催案内は以下のように書いた。

科学史・科学哲学・科学社会学など、科学という現象や営みを研究の対象とする学問を総称して「メタサイエンス(メタ科学)」と呼ぶことができます。これらの分野は独自の専門性の体系を構築している一方で、「科学政策」や「研究公正」など、科学の営みに介入し、よりよい状態を目指す実践・分野との連携は十分にみられるとは言えない状況があります。

そうしたなか、2010年代末頃より、再現性の危機を中心とする科学の機能不全への問題意識から、米国・欧州を中心に「メタサイエンス運動」が盛り上がりつつあります。ここでの「メタサイエンス」は、科学の記述にとどまらず、研究者資金配分のあり方、学術情報の流通、評価の方法、研究者の多様性、研究カルチャーなどの各面での「社会的営みとしての科学」の改善を主眼におくものです。

この文脈での「メタサイエンス」を活用し、専門分化した研究者・実務者がゆるく集まり、その視点を交換する場として、試行的に「メタサイエンス勉強会」を企画しました。初回は科学哲学を起点に、メタサイエンスというコンセプトを媒介して、科学政策や研究公正といったより実践的な分野との対話の経路を模索する研究事例の紹介、および参加者の皆様での議論を行います。

上記の趣旨でSNS等で参加を呼び掛けたところ、当日は25名くらいの方が参加してくださった。

開催日時は2024年8月29日15時~17時とし、プログラムは以下の通り。

  • 勉強会の趣旨説明:清水右郷 5分
  • 丸山隆一「話題提供:メタサイエンス運動の紹介」(スライド)10分
  • 清水右郷「科学哲学×科学政策」25分
  • 野内玲「科学哲学×研究公正」25分
  • 希望者4名による自己紹介・活動紹介
  • オープンディスカッション:トークについて、次回勉強会の方針など。

まず、丸山より、私が前職で面白く見ていた欧米の「メタサイエンス運動」のあらましを紹介した。「メタサイエンス」が、科学を考える諸学問や科学をよりよく営むための実践をつなぐよい「旗」になりうるのではないかという、私が昨年来抱いている期待を述べ、とくに科学哲学がその一つの屋台骨になるのではないかという(勝手な)期待を述べさせていただいた。

清水右郷さんと、野内玲さんの発表については、後日資料の公開などもあるかもしれないので、ここではほんの触りにとどめる。基本的には、お二人とも、科学哲学者として、「科学政策」や「研究公正」といった実践的なフィールドとの相互作用を積極的に求めていこうというスタンスであり、今回の勉強会では、そうした相互作用を考えるにあたって「これまで科学哲学は科学政策や研究公正について何をやってきたのか」をざっとサーベイして紹介する、という色合いの発表だった。

清水さんからは、科学哲学が、狭い意味での科学の実践における個人の科学的知識の形成というスコープから、集団としての知識形成や、ファンディングや評価といった広義の科学的実践にスコープを広げてきたという背景のもと、「オープンサイエンスの哲学」や「特許の哲学」のように、個別の科学政策的トピックに照準を当てた哲学の著作が出てきていることが紹介された。

野内さんからは、メタサイエンスのアジェンダが時代ごとの科学の状態や科学への期待に応じて変化していくなかで、一方で、科学の変化によらず存在してきた息の長い科学哲学的な議論から与えうる視点があるはずだとの見通しが述べられた。野内さんの専門である「科学的実在論」の議論が科学政策のコアの想定に関係しているのではないかとの見立て(この議論は面白そうだが、個人的にはまだ頭が整理できていない)や、科学哲学の概念分析が議論の見通しを良くする可能性の例としての「再現性 replicability」概念の学問分野の違いによる多様性が取り上げられた。

その後、有志の4名の方による発表では、AI研究、研究支援職、オープンサイエンスの政策的推進、科学人類学、研究実践に関する哲学的分析など、メタサイエンスに関連する様々な活動や関心について自己紹介を兼ねた共有が行われた。

最後のオープンディスカッションは、各発表が延びたこともあって、30分ほど延長して行われた。この議論を逐一メモしておくことはしないが、代わりに私が今日の議論を通じてなんとなく理解したと思ったことを書いておく。

  • 科学哲学の強みの一つは、概念の精緻化。たとえば一口に「研究の自由」「研究公正」と言っても、その意味は場面や学問分野によって千差万別である。そこを細かく腑分けしたうえで、もう一度おおもとの概念に戻って、概念をよりリッチにしていくといった役割が科学哲学にはあるのだろうと思った。
  • 科学哲学者の中には「こうあるべき」というスタンスを持ち、それに向かって議論を組み立てる人もいる。これは研究者の「色」とみればよく、その色が気に入らなければ別の色で立論すればよい、という清水さんの指摘には頷いた。
  • 科学哲学でもSTSでも、制度設計なりなんなりの指針を得ようと思うと、人によって何に価値を置くかが違うという「価値の多元性」に行きつく、という指摘があった。これはその通りで、個人的にはどのような価値とどのような実践が結びつくのか、そのパスウェイが見えてくることがまずは大事なのではないかと思った。

総じて、今日は「科学哲学×○○○○」のポテンシャルの一端をかいま見るという内容だった。実際にポテンシャルを感じたかどうかは参加者によるだろう。取り上げられた文献についても、一つ一つ読んでいくとまた別の風景が開けるだろうと思う。今日のような勉強会の活かし方の一つは、今日聞いたキーワードや文献情報を頼りに、自分で探究を始めてみるというもの。もう一つの、「メタ」な活かし方は、自分の頭の中の専門家データベースに参加者の名前を入れておき、いざとなったらその人の論考や発表に頼る、というもの。「このような内容は誰がどの辺まで考えていそうか」という脳内地図を作っていくことが(こういうのを「トランザクティブ・メモリー」と呼ぶと聞いたことがある)、メタサイエンスのようなその学術的な外延すらよくわからない茫漠としたテーマを追っていくには特に必要なことに思われる。

次回発表したいという方も出てきていただいているので、ゆるく、深く、広く、ニッチに、勉強する場所として続いたら素敵だなと思う。