本日、早稲田大学で行われた科学基礎論学会のシンポジウム「AIは科学をどう変えるのか?」を聴講した。
オーガナイザーは大塚淳氏、提題者は橋本幸士氏、高橋恒一氏、呉羽真氏の3名。AIによる科学のパイオニア、あるいはAI科学を哲学から論じてきた研究者として、おそらく日本でAI科学を最も深く考えてきたこの4名*1が一堂に会するイベントであった。
3名からの30~50分の提題と、それに続く大塚氏を司会としたパネルディスカッションからなる全体で3時間超。盛りだくさんで、頭の整理が追い付かない。断片的にでも、メモにしておこうと思う。
勘違いや記憶の補完が混じっている可能性がある、私的なメモであることをお断りします。このメモだけでシンポジウムの内容をなるべく議論されないよう、お願いいたします(本ブログが不要な誤解を招いている事象が見られたら削除するかもしれません)。
3名の講演
橋本幸士氏は、まず人工知能(機械学習)と物理学の関係を概観した。機械学習の歴史をさかのぼれば、「物性物理」のイジングモデルや「拡散模型」物理学が貢献してきた。その出自ゆえに、今、逆に物理学がAIに再輸入され、大いに役立っていることはある意味で自然。ただし、どのような領域なら機械学習が有効なのかに関する「現象論」しか今はまだ存在しない。しかし、一見異なる理論が思わぬ形で統一されてきた物理学史のように、物理学と機械学習が再び融合する可能性を橋本氏は指摘する。
今、物理学者のなかで機械学習を使いたいという人は多い。橋本氏が率いる「学習物理学」のプロジェクトでも多くの研究成果が出ている。数値計算を機械学習で高速化するような応用だけでなく、ニューラルネットと物理理論の間に見られる数学的な同一構造に着目する研究もあるのだという。過去の研究の再現したり、ある程度の予言能力を持つことに成功し始めている学習物理学の次のステップは、機械学習を仮説生成(アブダクション)に使うことだといい、そのために哲学者との対話を始めている。京都大学でかつて交友があった西田幾多郎と湯川秀樹も引き合いに、いまや没交渉になっている理学部と文学部が、「AI」という共通テーマで協働できる時代になっていること、その旗印として「機械自然哲学」というラベルを提案された。
髙橋恒一氏は、冒頭から「科学をするとはどういうことか」を原理的に切り込んでいく。科学的発見とは、現象を記号的知識に「翻訳」することだが、そこでの翻訳とは具体的にどういうことなのか。マーカス・ハッターが提案した汎用AIの理論モデルAIXIでは、最も短い記述を見つけること、つまり「情報圧縮」が任意の環境に対してパレート最適な戦略であるとされた。しかしこの研究の最近の進展によると、AIXIの性質(パレート最適性)は「エージェントが環境から切り離されていること」が前提になっており、さらにそこからハッターらの研究は環境と主体とのカップリングを扱う「エナクティビズム」の定式化に進んでいる。高橋氏は、AIXIをめぐるこの展開が、20世紀から言われてきた「環世界」や「内部観測」など、生物が環境の中に埋め込まれていることを重視するフレームワークと軌を一にしているとみる。
続いて、科学AIの自律性レベルについて解説した。自律性なしの「レベル0」から、研究テーマまでAIが決める「レベル6」までの段階のなかで、今現在実現しているのは、仮説生成を一部行う「レベル3」。ここから、仮説の形式自体の探索を伴う「レベル4」に進むのが今後の課題であり、生物学のラボという限定的な環境で動く実験ロボットによる記号接地に可能性があると高橋氏は見ている。
最後に、高橋氏が5年ほど前から展開している「科学と技術の離婚」というビジョンについて。科学で何かを「理解」することが、「技術」にとって役に立つ、という関係性は、近代に登場した新しい事態であって、AIは再び技術を(人間の)科学から切り離し、アートの領域に戻すのではないか。一方で、あくまで人間による「理解」を目指す「人間の科学」がなくなるとも考えにくい。そこで重要性を増すのは「理解するとはどういうことか」の探究であり、これからの「人間の科学」の中心にくるのは認知科学ではないかと、高橋氏は話す。
呉羽真氏は、2017年ころからAIの科学への影響を包括的に科学哲学の方面から分析してきており、「科学の創造性」や「科学的理解」とAIの関係性、さらにAIが科学に入ってくることの社会的・制度的影響について、2020年の論考に包括的にまとめている。そこで考察した論点の多くは、過去7年で予想通り重要性を増してきた。一方で、LLMがここまで科学に使われるようになることは予想外であったという。研究者がここまでLLMを活用するようになったという事実は、考えることがいかに「書くこと」に強く結びついているかを示しているのではないか、と呉羽氏はみる。
後半では、リックライダーによる①共生、②拡張、③自動化という3類型を援用しつつ人間科学者とAIの関係の見方や、最近の科学哲学の動向として、AIによる科学的理解の外形的な基準を検討する議論があることなどが紹介された。
パネルディスカッション
休憩を挟んだパネルディスカッションは、オーガナイザーの大塚氏が用意した、「AIは科学にどう浸透していくか」「AIは科学をどう変えるのか」「科学と哲学の関係性は」という3つの話題と、フロアからのテキストでの質問を関連付けながらのディスカッションが行われた。以下、出た話題をランダムに記載しておく。
- 橋本氏:物理学では機械学習の利用以前より、「理解を断念する」という感覚や、「一部の人は理解していると思っているが、別の人からは理解できていると呼べない」という状況は存在した。その意味で、学習物理学と従来の物理学の断絶はない。
- 髙橋氏:「理解とは何か」は何らかの操作的な定義をするしかない。その定義によって、たとえばAIXIにとっての「知能」と近いものにも遠いものにもなる。
- 大塚氏:理解とは何かは歴史的にも変遷している。
- 髙橋氏:自分は、技術が経済を変え、それが人々の価値観を変えるという唯物論的な見方をしがちな自覚はあるが、価値観から語ることも必要だという思いはある。
私からは、「人間の科学にとって認知科学が必要だということだが、理解のあり方は人間の身体の制約だけで決まるわけではない。新しい理解のあり方を編み出すこともしてきたはず。そこは科学哲学から貢献できる部分も多いのではないか。」という質問をした。それに対しては、「科学哲学はその役割ではないが、”自然哲学”の役割としては考えられる」という回答をいただいた。
感想(は書く時間がなかった)
何か月も前から楽しみにし、予習のための勉強会まで行って臨んだ本シンポジウム。期待にたがわず素晴らしい会だった。が、中身が盛りだくさんすぎて、まだ咀嚼しきれない。とりあえず、「AI科学を議論するときのtips(案)」的なものを、今日の議論から拾ってみたので、これを今日時点での自分のtake homeとする。
AI科学を議論するときのtips(案)
- 科学へのAIの導入度合いを「レベル」に分けて議論する。
- いくつかの方向に、パースペクティブを「ズームアウト」してみる。
- 科学者個人を、科学者の集団と切り離せないものとしてみてみる。
- 科学的知識を、人間の身体構造と切り離せないものとして考えてみる。
- 機械学習の技術的発展を、物理学などの諸科学からの影響と不可分なものとして捉える。
- 科学という営みを、経済など人間社会の活動の一部としてみてみる。
- これまでの科学を駆動してきた「価値」に思いを馳せてみる。
最後に一言、私自身は今日のどの話とも違うAI科学の発展の予想を持っているようだという、漠然とした気持ちがある。この「気持ち」をちゃんと言葉にできるようにすることは、次の半年か1年の課題になりそうだ。結果、自分の間違いに気づくかもしれないし、何か言えるかもしれない。
*1:呉羽氏とともにAI科学の哲学的検討を進めてきた、久木田水生先生(会場にいた)を加えれば5名。