重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

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読書メモ:解離をめぐる2冊(柴田雅俊『解離性障害』、岡野憲一郎『解離新時代』)

解離性障害にまつわる本を二冊読んだ。 

解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)

解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)

 

 

解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合

解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合

 

2冊とも、精神科の医師による解説書。

柴山著は、2007年にちくま新書から出ている。2015年刊行の岡野著は少し専門色が強いが、事前知識がなくても興味深く読めた。解離性障害の本はこれ以外にも数冊あるようだが、少し調べた限りでは、この2名の著書が多かった。刊行物の状況から、この二人が日本における権威ではないかと思われたため、一冊ずつ読んでみることにした。

柴山著は、解離性障害について、その症状、診断、治療法などについて平易に解説している。さらに、「解離の世界を主観的な視点から、つまり患者自身の視点から彼女たち(彼ら)の体験世界を具体的に描き出したこと」(p.10)に特徴を置く。

一方、岡野著は、タイトルに「新時代」とあるように、最新の学説や新しいアプローチにより多くのページを割いている。まだ確立していない治療法や、著者自身の憶測も含めて、解離性障害へ新しい光を当てることを試みている。なお、柴山著が解離性障害全般を扱っているのに対し、岡野著は、中でも解離性同一性障害(DID)にフォーカスした内容となっている。

以下、2冊を読んで知りえたことをメモしておく。細かい点では二人の著者には見解が異なる点もあるかもしれないが、両者は互いの論文を(肯定的に)参照し合っているし、ブログ筆者が読み比べた限りでは大きな不一致はないと思われる。

解離とは何か

解離性障害(dissociative disorder)とは何か。まず、厚生労働省のウェブサイト(解離性障害|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省)から引用しておく。

私たちの記憶や意識、知覚やアイデンティティ(自我同一性)は本来1つにまとまっています。解離とは、これらの感覚をまとめる能力が一時的に失われた状態です。たとえば、過去の記憶の一部が抜け落ちたり、知覚の一部を感じなくなったり、感情が麻痺するといったことが起こります。ただ、解離状態においては通常は体験されない知覚や行動が新たに出現することもあります。異常行動(とん走そのほか)や、新たな人格の形成(多重人格障害シャーマニズムなど)は代表的な例です。これらの解離現象は、軽くて一時的なものであれば、健康な人に現れることもあります。
こうした症状が深刻で、日常の生活に支障をきたすような状態を解離性障害といいます。原因としては、ストレスや心的外傷が関係しているといわれます。

柴山著では、「解離の病態を理解するための基本的な分類」として、「離隔(detachment)と区画化(compartmentalization)」という概念を提示する。

離隔とは事故、自己身体、ないしは外界からの分離感覚によって特徴づけられる意識変容を表す…。…区画化とは、通常ならば取得できる情報に意識的に気づくことができなくなり、そのために認知過程や行動過程を制御したり自発的な行動をとったりすることができなくなることを指す。症状としては、健忘や交代人格、さらには手足が動かないとか、眼が見えないなどといった転換症状もこれに含まれる。(柴山2007、p.34-35)

「隔離」に関しては、「自分が離れたところから傍観者のように、世界や自分を見ているような感覚を伴う」(p.66)、「ひとりでいるとき誰かがいるという気配を感じる」(p.67)などとも表現されている。

なぜ解離になるのか

先の厚労省のページでは、解離には「ストレスや心的外傷が関係している」とあった。岡野は、「子どもが解離を起こすきっかけは、ある意味では生活の中にあふれている可能性がある」と言い、「節分の鬼」や「ナマハゲ」を見た子どもたちの反応を例に、次のように述べる。

恐怖におののき、涙を流し、「もう悪いことはしません」という反応は、「正常」でもある。その中にボーッとして、一点を見つめるだけの子どもがいたら、その子の中では解離が起きているのかもしれない。子どもに一度や二度解離反応が起きたからといって、とくに問題はないのだが、それが長引く形で繰り返されることより、解離性障害が形成されていくのである。(岡野2015、p.10)

解離とPTSDは、ともに心的なトラウマに対する脳の反応といえるが、そこではおおむね逆のことが起きているものとして説明し、理解するのが最近の傾向である。(岡野2015、p.19)

その一方で、次のようにも言う。

「解離はトラウマにより生じる」という見方は、すでに過去のものになりつつある、というのが私の考えである。(岡野2015、p.8)

柴山も、原因を心的外傷だけに帰すことはできず、もともとの素因(なりやすさ)もあると指摘する。

同じ出来事によっても大きく影響を受ける者もいれば、それをたいした衝撃と感じない者もいる。…解離性障害における外傷問題は基本的に…外(=外傷)と内(=素因)の絡み合いといった全体で捉える必要がある。(柴山2007、p.114)

外傷を受ける以前の幼児期から、彼女たち(彼ら)は知覚をあたかも表象であるかのように、また逆に表象を知覚であるかのごとくありありと感じる傾向があったのかもしれない。…活発な空想や表象能力、表象・知覚の混同傾向などと外傷のいずれが時間的に先行しているかは簡単には決めることができない。(柴山2007、p.124)

柴山は、「「解離以前」の体験」という章にて、「健常人にも見られる解離的傾向」に触れている。

夢見がちで空想傾向のある彼女たちは作文や物語を作るのが好きで芸術的才能があることが多い (柴山2007、p.62)

解離の陽性面

柴山著には「解離とこころ――宮沢賢治の体験世界」という章がある。ここでは、「精神医学とは病の学問であり、それを作家にそのままあてはめて論じることはできない」としたうえで、宮沢賢治の「作品のところどころに解離の主観的体験と類似したものが見出されるように思われてならない」という。

賢治の作品には、体外離脱体験、疎隔・離人症状、表象幻視、幻視など多くの解離の症候を読み取ることができる。(柴山2007、p.185)

宮沢賢治の作品に象徴されるように、柴山は、「解離の周辺には、病としての陰性面のみならず、人間を根本的に人間たらしめる意識の陽性面もまた存在する」(柴山2007、p.186)という。このように、解離にプラスの側面を見る視点は、岡野著でも共通している。また、文章の端々から、二人の精神科医が解離という症状に、ある種の魅力を感じていることもうかがえた。

治療はどうあるべきか

解離性障害で最も目立つ症状は、複数の人格(交代人格、人格部分、parts of personality)がかわるがわる現れる、いわゆる「多重人格」である。そうした交代人格(人格部分)の出現に際して、治療者や周囲の人はどう対処したらいいのか。

周囲は交代人格の同定にはのめり込まず、その出現にはさらりと受け流し、あくまで患者の心の一部の表現として受け取り、冷静に対処することがすすめられる。ただし、交代人格から眼をそらしてはいけない。交代人格の存在を無視したり、まったく気づいたりしなければ、治療はまたそれで停滞・難渋する。(柴山2007、p.198)

解離性の人格交代は基本的には必要な時以外はその誘導を控えるべきであるということが原則である。しかしそれは人格部分が出現する用意があるにもかかわらずそれをことさら抑制することを意味しない。(岡野2015、p.101)

このように、治療者は、交代人格をむやみに引き出してはいけないが、必要に応じては応対しなければいけないという。一方、周囲の人へのアドバイスは比較的明快だった。

多重人格の本を読むこと、宗教的ないしオカルト的領域との接触、また男性パートナーによる交代人格に対する過剰な確認作業などは好ましくなく、これらはむしろ禁止とする。(柴山2007、p.190)

周囲の人たちが陥りやすいあやまちのひとつは、出版されている多重人格の書物をたくさん読み、患者とともに知らぬ間に解離の世界へと没入していることである。(柴山2007、p.195)

他の精神障害に比べ、解離性障害はよくなるケースが多いという。

解離性障害は社会適応の余地を十分に残し、また年を重ねるにつれて症状が軽減する傾向にある。(岡野2015、p.123)

DIDを持つ患者のかなりの部分は、大きなストレスがない保護的な環境に置かれれば、次第に人格部分の出現がみられなくなり、「自然治癒」に近い経過をたどることが観察される。(岡野2015、p.139)

なお、DIDの治療の「最終的な目標」は、「患者がより「統合された機能を獲得すること」であるといい、「解離されている人格部分の統合までは必ずしも目指さないわけである」という(岡野2015、p.137)。

解離と脳科学

解離の起こるメカニズムについて、脳科学が明らかにしたことはまだまだ少なそうだ。
岡野は、次のような自説を展開する。

脳において…わずかな神経回路の疎通が、ある種の記憶や思考内容の全体の質を変えるということが起きるのではないか。そしてそれが記憶の再固定化で生じているのではないか (岡野2015、p.58)

解離現象とは、「神経回路どうしのつながりが不完全な場合」の特殊例として理解することができるであろう。すなわち解離現象はネットワークPとQのつながりが一時的に、ないしは半永久的に断たれた状況として考えることができる。(岡野2015、p.63)

解離はある状況ないし刺激が与えられ、現在機能しているネットワークPが突然停止することにより生じると考えられる。そしてその代わりにQが出現する。QはPTSDの場合はフラッシュバックとしてよみがえる過去の記憶でありDID〔解離性同一性障害〕の場合はそれが一つの人格部分状態である。…問題なのはPとQの間に補助線が成立していないことである。だからこそPとQは同時に興奮することができず、互いをコントロールすることもできず、人格部分の場合は互いのことを思い出せなかったりするのである。(岡野2015、p.64)

おおむね「そうなんだろうだろうな」と思わせる説だが、そのぶん具体性に欠けるとも言えそうだ。一方、岡野の指摘する脳科学の意義には首肯できる。

脳の活動の可視化により臨床がどのように変わったのか? 脳科学の発展は基本的には臨床とは別個のものであるという立場もあるかもしれない。しかし私の考えでは、患者の訴えがそれだけ症状として認識される傾向が高まった…。それは裏を返せば、患者の訴えを、偽りや誇張を伴ったものと捉えることへの反省が促されたということでもある。(岡野2015、p.164)

その一例として、たとえばDIDに関しては、「異なる人格部分の〔出現の〕際の脳波コヒーレンスは低値を示し、役者を用いて異なる人格部分を演じた場合とは明らかな差異がみられた」とする研究もあるという。「脳活動」が、症状がリアルであることの傍証として使えるということだろう。

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「トラウマ」に関していくつかの解説書を読んで書いたまとめ。