重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

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読書メモ:哲学の誕生(納富信留 著)…無知の知から、不知の自覚へ

無知の知」という言葉に、ずいぶん助けられてきたように思う。

私は、極度にものを知らない人間だ。ものごころついて以来、わけがわかったためしがない。25歳くらいまで、なぜか「バジル」と「しそ」が同じ野菜だと思っていた。小学生のころからお前の服装はなんだと言われ続け、いまだにどんな服を着ればいいかわからない。トイレで遭遇した同僚とどんな会話を交わせばいいかもわからない。採用面接で「あなたはどんな人間ですか?」と聞かれて、心の底から「わかりません」と答えた。常識がない。かといって学術的知識もない。人生の意味なんてわからない。とにかく、何から何までわからない。20歳ごろの私は、毎晩布団に入ると薄暗い天井を仰ぎ見て、「わけがわからないよ」と心の中で叫んでいた気がする。

一方周りの友人たち、先生たち、親、きょうだいその他は、もっとものを知っている感じで暮らしている。こんな声が聞こえてくる気がする。何が不思議なの? そんなことも知らないの? お前さあ、それはないよ。そんなに深く考えなくていいんじゃない?

「わかっている感じ」で生きている人たちのあいだで、ひとり何もわからない自分*1。いつしか、哲学史の最初の最初に出てくる「無知の知」という言葉が、心の支えになった。知らないという自覚こそが、哲学の出発点になっている。自分の無知を肯定してくれる言葉のように感じてきたのだ。

だから、Twitterで「ソクラテス無知の知とは言っていない」という内容の投稿を見たときには、なんということだ、と思った。読んで確かめずにはいられなかった。

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 『哲学の誕生』は、古代ギリシアの文献を丹念に読み込み、ソクラテスと、ソクラテスについて書いた人々を描き出した一冊である。ソクラテスについて一番多くを書いたのはプラトンだが、それ以外にも多くの同時代人が、ソクラテスの言動について書き残していて、書き手によって描かれるソクラテス像は大きく違ったりもする。それぞれがソクラテスに自身の思想を投影し、虚実織り交ぜて書く。本書の著者が「ソクラテス文学」と呼ぶその文献群から読み取れるのは、歴史上の人物ソクラテスの実像だけでなく、当時のギリシアの人々が彼の人生に何を見出そうとしていたかだ。

そして最後の章が、「無知の知」を主題にしている。リード文から引用する。

 「無知の知」という有名な標語は、昭和初期から急速に広まり、今日でもソクラテス哲学を代表する理解となっている。しかし、プラトン対話篇にはそのような標語が登場しないばかりか、プラトンはそういった理解の危険性さえ指摘していた。西洋における屈折を受容し、無知を知る「知者」としてソクラテスを信奉する日本人の態度は、ソクラテス哲学に反するものとして、反省されなければならない。(p.266)

この章で著者が問題にしているのは、 「無知の知」のなかの二つめの「知」だ。通説では、「無知の知」が一つの「知」であり、それをもっているソクラテスが知者であるとみなされる。違う、と著者は強調する。ソクラテスは(とくにプラトンの描くソクラテスは)「不知であると思う」のような表現しか使っていないのだという。ソクラテスは「知らないこと」を「知る」ではなく「自覚」していた。そのうえで、本当に知りたいと願った。自分を一段上に置くことなく、他の同時代人たちと同じレベルで、知を欲していたのだ、と著者は読み解く。プラトンは、「無知(アマテイア)」という言葉を「本当は知らないのに知っていると思う」という意味で使っていたそうで、そのため著者はソクラテスのいう「知らない」に、「不知」の訳語を当てる。

無知の知」ではなく、「不知の自覚」なのだ。

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幸い、私が心の支えにしてきた「無知の知」は、本書の「不知の自覚」に差し替えても違和感のないものだった。「無知の知」と「不知の自覚」。その差分は何かといえば、前者には(少なくとも知らないことを知っているという)知からくる「偉さ」が付随していることだろう。今風に言えば、「(無知の)知によるマウンティング」だ。哲学的思索は、いかなるマウンティングからも無縁なところから始めなければならない。少なくともプラトンはそう考えたし、本書の著者もそう考えたし、私も深く同意する。

*1:と書くと、私を個人的に知る人は納得できないかもしれない。私自身、仕入れたばかりの知識を披瀝したり、他人の無知をそしるような態度をとることがある。ただ、それは、自分の無知へのコンプレックスの裏返しなのだと思う。