重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

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読書メモ:機械翻訳と未来社会(瀧田、西島、羽成、瀬上)…壁はなくならない、でも言語は変わるかも

 

機械翻訳と未来社会 -言語の壁はなくなるのか

機械翻訳と未来社会 -言語の壁はなくなるのか

 

いま、機械翻訳が熱い。

ここ数年、翻訳エンジンの性能は飛躍した。気づいてみたら、私たちの身の回りでも、機械翻訳が当たり前のように組み込まれている。海外のtweetをワンクリックで日本語に変換できるし、YouTube動画にリアルタイムで日本語字幕を出せるようにもなった。それだけ、分野が進んだということだ。

まるで「桜」の休眠打破のように、日本語の機械翻訳は、花芽のまま長い厳しい冬を経験し今まさに春が来て満開になろうとしている。(『機械翻訳未来社会』p.28)

上記は、今日の機械翻訳研究の第一人者である隅田英一郎氏の言だ。

言語の壁はなくなるのか

もし、このペースで技術が進歩したら? 日本語だけでも海外でまったく不自由しなくなったり、外国語の本を瞬時に日本語で読めるようになったりするのだろうか。

言い換えれば、「言語の壁はなくなる」のか?

素朴な問いだが、これに答えるのは難しい。

まず、機械翻訳技術の今後の進展を予測するのが困難だ。現在の深層学習ベースの「ニューラル機械翻訳」では、その精度は対訳データの量に依存すると言われる。でも、今後、データを集める画期的な方法や、ニューラル機械翻訳を超える新手法など、さらなるブレイクスルーが待っているかどうかは誰にも分からない。

しかし、それにも増して「言語の壁」とはそもそも何か、「翻訳」とは一体どういうことなのか、という根本問題がある。どういう状態が「言葉の壁がない」と言えるのか、機械翻訳の究極的な目的は何なのかなどは、決して自然言語処理の研究者だけでは決して答えを出せない、深い問題だ。

議論を始める一冊:『機械翻訳未来社会』

機械翻訳が浸透する未来社会に、どう備えるべきか。 『機械翻訳未来社会』は、このテーマについて、「文系」研究者たちが本気で考え始めた一冊である。

社会言語学アメリカ文学、政治哲学という異なる専門を持つ3名が論文を寄せている。2017年に行われたワークショップがもとになっており、3人の登壇者による本論とそれへの批評、さらなる応答が収められている。本論のほかにも、座談会や、(上で引用した)隅田氏によるコラムなども収録されており、ワークショップの熱気が伝わるようなつくりになっている。

本論は次の三つの章からなる。

  • 第1章:機械翻訳とポライトネス(羽成拓史) 社会言語学で議論されてきた「ポライトネス」の概念に着目し、今後の機械翻訳を円滑なコミュニケーションに耐えるものにするために、ポライトネスに関する理論をどう応用できるかを考察している。
  • 第2章:機械翻訳の限界と人間による翻訳の可能性(瀬上和典) 機械翻訳は人間による翻訳を不要にしない」という主張を、トランスレーション・スタディーズという分野でなされてきた議論をベースに展開する。人間ならではの翻訳として、「創造翻訳」や「厚い翻訳」を挙げ、また人間にとって翻訳という営みが固有の価値をもつことも指摘する。
  • 第3章:機械翻訳は言語帝国主義を終わらせるのか?(西島佑) 現状、英語を母語とする人は、英語が世界の共通言語であるがゆえの優位性を享受している。この状況(言語帝国主義的な状況)は、機械翻訳によってどう変わるか。一見、機械翻訳によって言語間の力関係はフラットになるかと思いきや、対訳データの量の非対称性により言語帝国主義(英語の一強状態)は「潜在化」するという論を展開する。
感想

個人的には第2章が面白かったが、その他の章や「座談会」からも、いろいろと考えさせられた。

機械翻訳についてはtwitterなどでもよく話題になるが、そのなかで個人的にとても気になるのが、「機械翻訳しやすいように書こう」といった発言だ。はじめから機械翻訳でエラーが出にくい日本語で書けば、それを正確に英語(あるいは中国語、その他)に訳せる。たしかに合理的なのだろう。でも、機械に合わせて書いているうちに、自分の「文体」はどうなってしまうのだろう。みんながそれを始めたら、日本語全体が、言語としてプアなものになっていきやしないだろうか。

…といったあたりが、私個人が「機械翻訳未来社会」について気になっている論点の一つだ。本書を読んで改めて思ったのは、機械翻訳と人間による翻訳は混ぜないほうがいいのでは?ということだった。機械翻訳で出力した文章には、必ず「機械翻訳マーク」をつける。そうすれば「ポライトネス」の問題は回避できるし、「言語帝国主義の潜在化」といったことも起こらなそうだ。「機械翻訳マーク」の有無は、ある文章を読むときの最も重要なメタ情報になりうるのではないだろうか。

個人的にはそれを望むが、現実はそうはいかないだろう。自然言語処理の研究者たちはどこまでも「人間による訳と区別のつかない機械翻訳」を追求するだろうし、ユーザー側でも「機械翻訳と人間の翻訳を互換的に使う」という経済的要因もあるだろう。本書の「座談会」のなかでは、中国が機械翻訳の導入に非常に積極的だということが紹介されている。翻訳支援のシステムの活用を専門に学ぶための修士課程までできているというので驚く。知識の吸収と発信のスピードアップのために、もはや機械翻訳は不可避の技術となっているのだ。

などなど、考えるべきことは山ほどある。

いずれにしても、「機械翻訳未来社会」についての議論は、始まったばかりだ。

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日本語の運命を考えるうえで外せない本。機械翻訳が水村氏の言う「日本語の滅亡」を促すのか、あるいは食い止める方向に働くのかはすぐにはわからないが、少なくない影響を及ぼすことだけは確かだ。

機械翻訳の限界を考えるうえで、川添愛さんの作品はとても多くのことを教えてくれる。「解説」の部分だけでも、一読をおすすめしたい。