認知科学者、下條信輔氏による社会評論。2010年から執筆を担当している朝日新聞デジタル版のコラムをまとめ直したものだそうだ。
扱っているテーマは幅広い。
- 原発事故、Welq問題、五輪エンブレム問題、杭打ち偽装など、その時々に起こった「事件」の論評。なぜそういうことが起こるのか。こうした事件の背後にある、人々の心に起こっている変化をどう読み解けるか。
- 人工知能、ロボット、ビッグデータなど、身の回りで進化を続ける技術への考察。そうした技術の進歩が、人々の心にどんな影響を及ぼしうるか。どんな心構えをすればいいか。
- 科学政策や教育政策への、問題点の指摘と提言。STAP事件などに現れている日本の科学の問題点は何か。英語教育をどうすればよいか、など。
それぞれに数章を割いて、テンポよく論じていく。
その時々に著者が思ったことを書いているので、各章は独立している。これら一見バラバラな論考に「軸」を通すべく、(おそらく)あらたに書き下ろした「まえがき」や第1章のなかで、著者は「ブラックボックス化」というコンセプトを提示している。
使い方だけわかっていて動作原理がわからない状態を「ブラックボックス」ということがある。日常会話でも使われるが、本来の意味は「入力と出力の関係はわかっているが、中身の動作原理がわからない」あるいは「あえて隠されている」、そういう電気回路、機械、あるいは生物系などを指す。
いろいろな技術の進歩が、社会のしくみ、ひいては人間の「心」のブラックボックス化をも促している。現状をそのように捉え、さまざまな「近視眼的な判断」「偽装」あるいは「政治的な分断」を、ブラックボックス化の帰結として理解する。そのうえで、ブラックボックスの中身をもう一度吟味してみようと、(ときに厳しくときにやんわりと)提言する。
個別の評論・提言に説得力があるかは、読者によって意見が分かれると思う。私個人は、たとえば、
- 潜在的認知の専門家として、無意識に働きかけるマーケティングの行き過ぎやポピュリズムを考察している点
- 日・米の科学・教育の現場を知る当事者として(著者の現所属はカリフォルニア工科大学)、漠然とした「欧米のイメージ」ではない、リアルな現状認識に基づいて議論している点
- 脳や心に働きかける介入技術を第一線で開発している張本人として、技術的進歩のポテンシャルを過大評価も過小評価もせずに論じている点
などは著者ならではの視点であり、傾聴に値すると思った。
どのトピックも、白か黒かではなく、「すぐには答えは出ないのでよく考えていこう」という結論になっている(たとえば、間違った科学論文が、明らかに「クロ」の研究不正であることは稀で多くの場合「グレー」であり、それらを丸ごと否定すべきではない、という立場に著者は立つ)。結論ではなく、どう筋道立てて考えていくか。瞬間的に何らかの「ポジション」をとってしまう自分の脳を、いかに「脱・ブラックボックス化」するか。そのことの大事さを教えてくれる一冊であった。