大学事情に多少通じている人なら知っているように、国立大学の(偉い)先生は、定年になるとたいてい私立大学に移籍する。金融工学の第一人者である著者も例外ではなく、60歳で東工大を定年になったのち、中央大学に移って70歳の「第2の定年」まで教授を務めている。今回の「ヒラノ教授」はその10年間のお話だ。
学生時代、アメリカ留学時代、筑波大学助教授時代、東工大教授時代と、研究者人生のあらゆるステージを「ヒラノ教授シリーズ」に記してきた著者だが、今回の「中央大学奮戦記」で、またピースが一つ揃ったことになる。
中央大学は、著者にとっては理想的な再就職先だったらしい。後楽園の理工学部キャンパスは家からも近いし、研究費にも不足はないし、学生も「半分くらいは」優秀だったそうだ。とはいえ、そのポジションを得るまでには紆余曲折があり、赴任後もやはりもろもろの事件が勃発する。そうした顛末が、いつもの「ヒラノ教授節」で披瀝されていく。
「定年教授の再就職」に加え、今回は「日本の大学政策(の失敗)」がテーマの一つになっているように感じた。著者が中央大に移った2000年代前半というのは、まさに国立大学の「独立行政法人化」に代表されるような、大学改革が本格化した時期。そのころ国立大と私立大の両方の大学運営を経験した著者は、人一倍、文科省の大学政策に矛盾を感じたようだ。
たとえば、当時文科省が推し進めた「特許政策」。中央大の「知的財産本部」の長に任命された著者は、「利益相反問題」など一部の課題には手をつけたが、大学教員に特許取得を推奨するという文科省の方針は「ナンセンス」であると判断して無視したとのこと。その後を見ても、この特許政策が功を奏した形跡はないという。一時が万事で、最近の「スーパーグローバル大学構想」なども含めて、「わが国の大学政策は問題だらけである」と著者はいう。
東工大や中大だけではない。全国各地の大学風呂は、文科省の釜焚き政策のおかげで、かなり加熱している。このまま加熱が続けば、中にいる人間は、遠からず茹で上がってしまうのではなかろうか。(あとがき)
大学の現場からもよく聞く声だ。ただ、従うところは従い、抗うところは抗ってきた著者だからこそ、ことさら重い警鐘に聞こえる。
本書で一番印象深かったのは、中央大学への転籍が内々に決まっていたとき、中大の3年生が東工大までやってきたエピソードだった。彼は新任の教授が著者であると当たりをつけて訪問し、見事、新研究室への配属を勝ち取り、その後著者の指導のもとで金融工学の研究者になったそうだ。すごいガッツだ。
というわけで、本書はぜひ、中央大学の関係者の方と、大学政策に関わる官僚の方と、研究室選びをしている大学3年生に読んでほしい。