今日はこの会に参加してきた。
江本伸悟さんが今年から立ち上げた私塾・松葉舎(しょうようしゃ)の、開校記念イベント。江本さんの10年来の学友である森田真生さんなど、ゆかりの人々も集まって、4時間の講演会が行われた。
まずは、江本さんによる塾設立の趣旨説明。続いて、江本さん本人と、塾設立以前から江本さんから学んでいる2人の塾生の方によるプレゼン。最後に、森田真生さんのゲストトークで締められた。
江本さんは「サンゴ礁に心は宿るか?」という話をされた。一見、突拍子もない問いだが、最先端の生命科学や脳科学の知の断片をつないでいくと、だんだんとそれが意味をなす問いに変わっていく。粗削りで試行錯誤感のあるプレゼンだったが、松葉舎が何をするところなのかがよく伝わってきた。心や生命とはこういうもの「だろう」という常識や予断を疑うこと。いろいろな学問分野に学び、自分なりの世界観を組み上げていくこと。そしてそれを仲間に伝え、フィードバックを通して鍛錬すること。
森田さんは、世界と日本の大学制度の歴史を総括し、江本さんや森田さんら自身がいる学問的状況を俯瞰しつつ、江本さんの私塾の意義を位置づけるという、壮大なトークをされた。単に大学の歴史を振り返るだけでなく、Reviel Netz著の“Barbed Wire: An Ecology of Modernity”を手引きに、世界史を「空間の接続・切断」による権力のダイナミクスで切り取り、そのなかに大学制度と学問のあり方の変遷を論じるという、こう書いただけでは何のことかわからないけれども、とにかく圧巻の、どこでも聞いたことのないような「知の歴史」が語られた。
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ここしばらく、「何が人を学問に駆り立てるのか」ということを考えている。(この疑問の別バージョンは「人は何を求めて本を読むのか」。)
江本さんと森田さんの話を聞いているあいだ中、そのことを考えていた。二人とも、大学を離れて学問をすることを選んだ。自分のしたい学問をするのに、大学を離れたほうがベターだとの判断からだ(ちなみに、二人に接したことがある人ならわかるように、彼らが在野を選んだのは「大学でやっていく自信がないから」という理由からでは決してない)。そうまでして求める「理想」はなんなのか? 学問的モチベーションの核は? それを見定めることができないかと思いながら、4時間のトークを過ごしていた。
それは、自分自身、その答えを欲しているからだと思う。現代は「一つの学問的モチベーションをもって、それに突き進む」ということが難しい時代だと思う。夏目漱石も、バートランド・ラッセルも、イヌマエル・カントも、彼らの学問には「目的」があるように見える。確固たる倫理観というかモラルがあって、それを不動の指針として、人生をかけて探究したし、同時代人と切磋琢磨したように見える。しかし、今はどうか。普遍的な学問的ゴールというものはあるか。真理は相対的であるだけでなく、知を志す理由・目的に関しても「人それぞれ」になっているのではないだろうか。でも、もし現代においても、「私塾」が成立して、皆が同じ「何か」を目指すということが成立するとするなら、その「何か」に答えがあるのではないか……。
でも、帰りの電車のなかで、違う、と思った。森田さんも江本さんも、「何が自分を駆り立てるのか」を言語化などしないままに、すでに駆動されている。問いをもってしまっている。動因を持つべき理由を探してからしか探究を始められない人には、私塾での本気の学びは向かないかもしれない。