重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

読書メモ:The Undoing Project (by Michael Lewis)

前から、ダニエル・カーネマンのことが気になっていた。

それは、おもに『ファスト&スロー』の著者としてだった。『ファスト&スロー』は2011年に出た本だが、当時印象的だったのは、これを読んだ人が、皆得意げに「システム1」だとか「○○バイアス」だとかいう、独特な言い回しを使い始めたことだった。

このたび文庫版で読んでみて、周りの人たちが熱狂していたのも納得できた。カーネマンはこの本で、人間の心がいかに多くの偏見やバイアスによって誤った判断をしがちかを示している。人々の判断や意思決定は合理的ではなく、その間違え方には傾向と理由がある。そうした人の心の性質を踏まえて、よりよい意思決定をするにはどうすればよいか。そこまで踏み込んでいるので、たんに面白いだけはなく、とても実用的な本だと感じた。

この本に出てくる多くの研究はカーネマン自身の手によるものだが、もちろんすべてを彼一人で行ったわけではない。とくに、ある人物の名前が頻出する。同じくイスラエル出身の心理学者、エイモス・トヴェルスキ―だ。カーネマンは、主要な研究のほとんどをトヴェルスキーの共同で行っており、2002年のノーベル経済学賞も、もしトヴェルスキ―が早くして亡くなっていなかったら、二人で共同受賞しただろうと言われている。

カーネマンは著書で何かにつけ「エイモスは…と言った」だとか「エイモスと私は…してみた」とか書いている。科学の歴史には共同研究がつきもの(代表例はワトソン&クリック)だとはいっても、カーネマンとトヴェルスキ―の親密さには、ちょっと尋常ならざるものを感じる。

彼らの共同研究は、どのようなものだったのか。二人は、いかにして心理学や経済学の革命をもたらすほどの業績を生み出すことができたのか。

 

"The Undoing Project"は、その経緯を克明に描いている。

The Undoing Project: A Friendship That Changed Our Minds

The Undoing Project: A Friendship That Changed Our Minds

 

著者は、映画『マネー・ボール』や『マネー・ショート』(原題"The Big Short")の原作者として知られるMichael Lewis氏。『マネー・ボール』は、メジャーリーグの弱小チームが、勘や経験ではなくデータに基づいたスカウトの仕組みを導入して強くなるまでを描いたノンフィクションだが、Lewis氏は、その後「マネーボール的な考え方」の背後にカーネマンらの業績があることを知ったという。それをきっかけにカーネマンに出会い、やがて彼のトヴェルスキ―との関係に興味をもつ。そして、二人の物語を書くことにしたというのが、本書執筆の経緯だそうだ。

それぞれの生い立ちから、二人の出会い、共同研究の日々、そしてトヴェルスキ―病死による別れまでを、多くの人の証言をもとにして描いている。ストーリーテリングは流石で、最初から最後までひきこまれた。

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エイモス・トヴェルスキ―という人物の印象は強烈だ。カーネマンより3歳年下だが、イニシアチブをとっていたのは常に彼だった。とにかく大胆不敵な性格で、「手紙は読まずに捨てる」「やりたいことしかやらない」タイプ。それでいて、みんなから好かれていたという(この人物像で自分の脳裏に浮かんだのはリチャード・ファインマンだった)。兵役時には第一線で奮闘するようなフィジカルの強さも持っていたし、研究では論敵を徹底的にやっつけるような負けん気の持ち主だった。そして何より、頭がよかった。「トヴェルスキ―の賢さにどれくらい早く気付けるかが、その人の知能の高さを示す」と言った同僚の言葉が紹介されている。

一方のカーネマンは、どちらかというと疑心暗鬼で、気難しい性格だった。彼のことを「ウディ・アレンみたいな人、ただし、ユーモアはない」と表現した同僚がいたそうだ。しかし、直観力にすぐれていて、他人の理論の穴に気づいたり、核心をつく質問をする能力に長けていた。

まさに陰と陽で、真逆の二人。誰も彼らが一緒に何かをするとは予想もしていなかった。それでも、ある日を境に二人は共同研究をはじめ、お互いを補完する関係性になっていく。多くの場合、研究の種となるアイディアをカーネマンが出し、それをトヴェルスキ―が持ち前の明晰さで分析する。二人で実験を設計し、出てきた結果をもとに一緒に論文を書く。二人は研究室にこもると何時間も出てこなかったそうで、部屋からは始終大きな笑い声が聞こえてきたという。カーネマンが「もうアイディアが枯渇した」と嘆くと、トヴェルスキ―は「ダニーは誰よりもアイディアをもっているよ」と言って笑い飛ばす。"We were sharing a mind."(p.182)とカーネマンが振り返るような、とても濃密なコミュニケーションがそこには生まれていた。

前半部の二人の関係がすごく幸せそうなだけに、後半で二人がすれ違い始めるのが切なかった。著者はその原因を、カーネマンのトヴェルスキーに対する気おくれの感情に帰している。トヴェルスキ―だけが賞をもらったり、教授職のポストを打診されたりすることが重なるなかで、彼はトヴェルスキ―から距離をおく決断をする。

しかし、その矢先の余命宣告…。

本書のラストは、トヴィルスキー亡きあと、とある場面でのカーネマンの心理描写で締められている。そこに、タイトルの"Undoing Project"にちなんだ仕掛けがあって、著者の狙いどおり、思わず涙腺が緩んでしまった。

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著者のカーネマンへのまなざしは始終温かいのを感じた。自分を信じて物事をスパスパと切っていくトヴェルスキ―と対照的に、カーネマンは自分自身への疑いの目を向け続ける。自分とは違う見解に出会ったとき、トヴェルスキ―なら闘いを挑むところを、カーネマンは"What might that be true of?"と問うのを常としていた。この"What might that be true of?"が、著者が本書で何度も繰り返すキーセンテンスの一つだ。つまり、「どんな前提に立つとそれは真とみなせるのか」。カーネマンのこのような態度が、人間の心の本性をつかむことを可能にしたのだろうと思わされる。

カーネマンたちの業績は、今では、心理学や経済学を超えてあらゆる分野に影響を与えている。そんなパラダイムチェンジングな学術成果が、一人の天才の脳からでもなく、ゆるくつながった研究者集団からでもなく、「緊密に連結した二つの脳」から生み出されたという事実。何かとても良いことを知れたような気分になっている。