世の中には、男の人と女の人がいる。
普段は当たり前だと思っているこの事実が、たまにすごく不思議になる瞬間がある。
性別は何のためにあるのか?
簡単な答えは、有性生殖のため、というものだろう。男女が性行為をして、女の人が子供を産む。遺伝子をミックスさせて子供を生むことが、種の生存に有利になる。
でもなぜ、性は3種類でなくて2種類なのか。どうして、性別の片方が卵をつくるメスになり、もう片方が精子をつくるオスになるのか。こんなふうにいろいろと疑問が出てくるわけだが、それらについては下のブログに分かりやすくまとめられていて面白い。
この伊庭先生のブログのように、「性の存在」に関する謎だけでもたくさんある。しかし、さらにもう1つ大きな謎として、「愛」とは何か、というのがある。
つまり、人間は誰でも良いからセックスするわけではなくて、ある特定の相手が好きになり、カップルになって結婚したりする。これは当たり前のようでそうではなく、人間のよう特定の異性とのパートナー関係を結ぶ、いわゆる「一夫一婦」制の動物はそれほど多くない。
生物学的にみて、「愛(性愛)」とは一体どういう現象なのだろうか。
他のどんな嗜好性と同じように、愛を生み出すのは脳の働きだと考えられる。だから、「性」の存在理由が進化論のレベルで説明されるのに対して、「愛」のメカニズムの説明のためには、脳をみていく必要がある。
本書『性と愛の脳科学』は、脳とホルモンの働きから、性愛のメカニズムに迫った1冊だ。著者のラリー・ヤングは性行動に関わるホルモン研究で有名な人らしい。本書は科学系ライターとの共著で書いている。
本書の扱う話題は幅広い。
- 胎児の生物学的性別、および性同一性を決める生理現象は何か?(第1章)
- どんなホルモンが、性行為へと駆り立てるか?(第2章)
- フェティシズムを生み出すメカニズムは何か?(第3章)
- 母子の絆を生み出すメカニズムは何か?(第4章)
- セックス後のパートナーとの絆が生まれるメカニズムは何か?(第5、6章)
- パートナーと離別が辛いのはなぜか?(第7章)
- なぜ浮気しやすい人とそうでない人がいるのか?(第8章)
もちろん、これらの疑問はどれも解き明かされているわけではない。本書で示されているどの説明も、あくまで仮説の段階にある。また、得られている証拠の多くが特定の動物(多くはネズミの仲間)での実験によるもので、それが人に当てはまるかどうかもすぐには分からない。それでも、遺伝子操作などの技術の進歩や、人での心理実験と組み合わせることにより、かなり多くが分かってきているようだ。
驚くのは、「特定の個体を識別して長期的関係をもつ」などという相当複雑な一連の行動が、「ホルモンの分泌量」という一見とても単純な因子によって、劇的に切り替わることだ。しかもそのホルモンは、人間とネズミなど、異なる種間で共通に使われている。こうしたことから、本書の著者は、ホルモンこそが性や愛の謎を解き明かす鍵であるとみている。本のなかでは何種類ものホルモンが登場し、それらが動物の性や愛にどう効いているかが示される。
なかでもハイライトは、異性愛とホルモンの関係を示した二つの章だろう。
一つ目はオキシトシン回路についての第5章。ここでは、男女間の絆形成のうち、女性(メス)側のメカニズムについての、独自の仮説が紹介される。
オキシトシンというのは、いくつかのアミノ酸の連なりからなる「ペプチドホルモン」の一種だ。出産の際に、女性の身体を分娩に向けて準備させるホルモンとして知られていたらしい。だがその後、このホルモンが母親の子育て行動にも関わっていることが、ラットの研究で明らかになる。オキシトシンを処女ラットに注入すると、母親としての行動をとるようになるという(ペターゼンの実験、1979年、本書 p.160)。
さらに、オキシトシンには、本書がいう「愛」の働きがあるという。それを明らかにしたのが、プレーリーハタネズミを使った実験だ。プレーリーハタネズミは、げっ歯類で唯一、オスとメスでつがいをつくる「一夫一婦」制の動物だそうだ。彼らは普通、交尾をした相手と、共に過ごすようになる。だが、オキシトシンをメスに注射すると、交尾をしていなくても、目の前にいるオスに対して選好性をもつようになるというのだ(カーターの実験、1994年、本書 p.212)。
こうした先行研究を受けて、著者ヤングもいろいろな実験をして、オキシトシンが「愛のホルモン」だとする仮説を補強している。たとえば、つがいをつくらないアメリカハタネズミに比べ、プレーリーハタネズミのメスのもつオキシトシン受容体の数が多いことなどを明らかにしている。
では人の場合はどうなのか?
既婚の女性にオキシトシンを注射して夫婦関係の経過を追って… などということはもちろんできないが、よりマイルドな実験が存在する。それは、なんと「鼻腔内スプレー」でオキシトシンを注入するもので、実際に効果が出るのだという。ネズミの場合ほど劇的なものではないが、相手の感情を読み取る能力の向上など、コミュニケーションを促す効果が認められるらしい(ちなみに、この効果は男女ともに出る)。
こうしたことから、著者は、もともと母子の絆をつくり出すメカニズムを担っていたオキシトシンが、人やプレーリーハタネズミなどにおいては、パートナーとの関係をつくることにも使われているという仮説を打ち出している。
女性にとって、私たちが情熱的な愛と呼ぶものは、実のところ、母子の絆を生み出す神経回路に、進化の過程でおきた適応――微調整――の結果だということだ。(p.293)
一方、男(オス)はどうなるのかというと、それにも答えを用意されている。それが、本書の2つ目のハイライトである、ヴァソプレシンについての仮説だ。
ごく簡単に触れておくと、オキシトシンに似たペプチドホルモンであるヴァソプレシンは、もともとは「抗利尿ホルモン」として知られていたらしいが、オスをセックスに駆り立てる働きももつ。著者らは、ヴァソプレシンの(量自体ではなく)受容体の分布構造が、プレーリーハタネズミのつがい形成に関与していることを突き止め、驚くべきことに、ヴァソプレシンの受容体の発現パターンを改変することによって、本来は一夫一婦制をとらないはずのアメリカハタネズミに、パートナーへの選好性を持たせることに成功している。
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まだまだいろいろと面白い話はあるのだが、本の内容はこれくらいにして、思ったことを少し書いてみる。
科学をすることは、少なからず「自分を知ること」に関係している。とくに、専門家でもない普通の人が科学啓蒙書などを読むときの動機は、かなりの部分がそこにあると思う。一見、自分と結びついていないような素粒子物理や宇宙物理なども「我々はどこから来たのか」などといって「自分は誰」問題に結び付けられたりするくらいだから、生物学、脳科学、医学、心理学など、人間の心や体に直接関係のある学問ならなおさらだ。
自分について知らないことはたくさんあるが、中でも「性」にまつわる謎は大きい。個人的な体験を振り返ってみても、思春期の自分の身体に現れる変化は、自身にプログラムされた「生物性」を意識する強烈な体験だった。そうした「自分の性とは何か」という根本的な疑問に対して、この本では、相当踏み込んで答えてくれている。もちろん分かっていないことも多いし、どれだけ本書の仮説が真実か、ということは注意しなければならないけれども。
この本に書かれているような説明に対して、僕らはどんな態度でいればよいのだろう?
「自然主義的誤謬」への注意を喚起するのは大事だと思う。「生物としてそうなっている」からと言って、何をすべきかを選ぶ自由は僕らに残されている。ホルモンが「正常」に出ていなくても、それは「良い」ことでも「悪い」ことでもない。
では、それさえ気をつけて、「科学は科学として愉しめばよい」とか「自分の生物性についてちょっと分かった気になって嬉しい」で済むかと言えば、そんなこともなさそうだ。
なぜなら、今後、本書で書かれているような脳の研究が進んでいったとき、僕らがもつ「性」への介入が始まるのかもしれないからだ。「パートナー間での性生活の不一致をなくすような処置」なり、「特殊な性的嗜好を抑えるような脳への刺激」なりが出てくるかもしれない。折れた足を直したり鬱病に向精神薬を処方したりするように、「愛」を医療処置で補完したりできるようになったとしたらどうなるのだろう?
そういうことになったとき、何を指針に性というものを考えればいいのか、どんどん分からなくなっていきそうだ。
そうした問題提起も含め、いろいろと考えさせてくれる本だった。
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実はこの本は、知り合いの@sumidatomohisaさんに紹介してもらって読んだのだが、あわせてジャレド・ダイヤモンドの『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』も紹介いただいた。こちらは、婚姻形態や婚姻形態や子育ての仕方、ペニスの大きさ、といった性にまつわる行動・形態を生物種間(主に霊長類間)で比較し、進化論的に説明してみせる内容だった。こちらもたいへん面白かった。