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読書メモなど

読書メモ:記憶をめぐる人文学(アン・ホワイトヘッド 著、三村尚央 訳)

 本ブログでは、折に触れて「記憶の脳科学」を扱ってきた。

  • 脳科学は記憶の仕組みをどこまで明らかにしたのか?
  • 記憶を「書き換える」技術は、もうすぐ実現されるのか?

そんな素朴な疑問から出発して、連載ブログを書いたのが1年と少し前。

そのときにたどり着いた私なりの結論は、「記憶観のアップデート」が必要ではないかということだった。ともすると、私たちは「コンピュータのメモリ」になぞらえて記憶を考えがち。でも、どうやら人や動物の記憶は、その素朴な比喩ではうまく記述できそうにない。ならば今後の「記憶の脳科学」や「記憶の改変技術」は、「コンピュータメモリ」ないし「貯蔵庫」のアナロジーを覆すような実験なり理論によって前に進むのではないか――そんなふうに、ひとまずは考えた。

その後、「単純な貯蔵庫モデルはやめよう」という趣旨のレビュー論文を見つけて、読んでみたりした:

探哲学者たちは究メモ:脳科学は記憶の仕組みをどこまで明らかにしたのか〈番外編1:論文紹介 Neuron 2017 "Memory Takes Time"〉 - rmaruy_blog

神経科学者たちも、「記憶観のアップデート」の必要性を感じていることがわかって嬉しかった。

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そうしたなかで、ずっと気にかかっていたことがあった。

それは、「哲学は、記憶について何を考えてきたのか」ということ。人々は「脳科学」(あるいは「心理学」)が登場してから、慌てて記憶の正体について考え始めたのか? そんなはずはない。昔から、哲学者たちは記憶について思考を巡らせてきただろう。そこから脳科学が学べることはないのだろうか。

古今の哲学者たちは、どう記憶を捉えてきたのか?

それを真正面から書いた本が、昨年出ていることに気づいた。

記憶をめぐる人文学

記憶をめぐる人文学

 

原題は単に"Memory"だが、日本語版は「~をめぐる人文学」をつけている。

その邦題どおり、西洋の哲学と文学のなかで「記憶」がどう扱われてきたかを俯瞰的に描いた1冊となっている。

序章の次の一節が、著者のアプローチを要約している。

本書は、このように記憶という概念についての歴史的な変化を記述する。この作業のなかで私が強調したいのは、記憶がもつ意味や価値は時代によって劇的に変化するものだということである。p.17

「記憶という概念」は、歴史を通して変化してきている。そのことを、古代ギリシア時代から20世紀まで、多くの歴史上の哲学・文学のテキスト、そして近年の研究者によるその読解を紹介することによって証明していく。

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記述の難易度は高く、残念ながら私には読みこなすことができなかった(人文学の素養の要求度も高く、プラトンアリストテレス、ロック、ルソー、ベルクソンなどの一次文献については、少なくとも概要は頭に入っていることが前提にされているようだった)。

本書で取り上げられる多彩な「記憶観」をいくつか挙げると、

  • 古代ローマの、弁論術の一環をなす「アート=技術」としての記憶
  • ロックやヒュームの時代に登場した、アイデンティティや自己を成立させるものとしての記憶
  • 20世紀はじめころに「病」として認められ始めた、コントロールできない過剰な記憶
  • 家族、民族、国家単位で保持される、「集合的記憶

など。ただ、本書ではこれらの記憶観が「AからBになった」というような単純なストーリーでは説明しておらず、それも本書の難しさ(本格的な学術書らしさ)の一因になっている。

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消化不良で終わってしまったが、収穫も大きかった。

まずは、人文学(とくに欧米の人文学?)で「記憶」が一つの重要なテーマとなっているのがわかった。“memory studies”という分野があり、盛り上がっているらしいことを初めて知った(検索すると、多くの論文や講演動画が出てきた)。主にホロコーストや戦争記憶の政治性などが問題意識になっているような印象だが、脳科学の記憶理論へ示唆を与えたり、記憶改変技術をどう使うかという倫理的問題とも無縁ではないはずだ。

また、本書で垣間見ることができた記憶観の変遷は興味深かった。文学や哲学ならではの、「記憶は脳のなかだけにあるのではない」という記憶観は重要。つまり「身体がもっている」と言ってよい記憶もあるし、「人間の集団がもつ」記憶もある。また、古代ギリシア、ローマの人々が考えたように、人間の思考力にとって実は記憶が重要なパーツであるという見方も面白い(CPUとメモリは、コンピュータのようには分けられないのかもしれない)。

最後に、訳者のあとがきから引用:

今後の記憶研究においては、科学的な知見と人文学的な表象という双方のアプローチの深まりと広がりを比較しながら密接に関係づけてゆくことで、記憶と精神活動の神秘についての知見がこれまで以上に濃密なものとなっていくことが期待できるだろう。(訳者あとがき より)

完全に同意するし、私も同じ方向性で一素人なりにあれこれ考えていきたいと思っている。