重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

探究メモ:脳科学は記憶の仕組みをどこまで解明したのか? 〈第1回:フォン・ノイマンの考えたこと〉

見切り発車ぎみにスタートした本連載ですが、何はともあれ書いていきたいと思います。

前回の「第0回」では、やりたいことの概要を説明しました。あらためて、本連載を通して分かりたいのは次のようなことです。

「過去のエピソードなどをヒトの脳が記憶する仕組み」を、いまの脳科学はどれくらい解明しているのか?

前回触れたように、最近では「記憶を操作することに成功した」などとする研究発表が出てきており、そうした研究が何を達成しているのかを知ることが、ひとまずこの問いの答えになると思われます。ゆくゆくは最先端の研究の中身を見ていきたいのですが、その前に、準備というか、回り道をしたいと思っています。

「記憶を解明するとはどういうことか」をもう少し考えておきたいのです。そうしないと、最新の研究成果をうまく解釈できないと思うからです。プレスリリースなどでは、たいてい、「Aという条件でBという結果が得られました」という具体的な実験事実に対して、「初めて記憶の仕組みを解明!」といった分かりやすい見出しがつけられます。しかし、ここで前者から後者がどれくらい言えているかを判断するには、そもそものゴール(=記憶を解明する)がどういうことなのかを、自分なりによくよく考えておく必要があると思います。さもないと「へえ、すごい! でも、記憶一般について何がわかったのか、今一つわからない…」という感想で終わってしまいかねません。

そこで、やや回りくどくなってしまいますが、最初の1,2回(3,4回になってしまうかもしれませんが…)は、やや古めの文献を参考にしながら、記憶の仕組みについての考え方について、少し考えてみたいと思います。

*なお、本記事の趣旨に照らせば、脳についての解剖学や生理学の基本から始めるのが自然なのかもしれません。たしかに、脳の構造とか、神経細胞の性質とか、神経科学の基本的な実験手法について知らないと、最先端の研究の理解はおぼつかないと思います。じっさい、記憶の脳科学を扱う科学書は、すべてそうした説明から始まります。脳は大脳と小脳とがあって、神経細胞には細胞体と軸索と樹状突起があって、シナプスがあって、などです。ですが、本ブログでは、正確に書ける自信がないこと、多くの教科書やウェブサイトで解説を参照できることから、そうした記述は省く予定です。

コンピュータと比較する、という方法

いっそのこと、脳科学について何も知らないと仮定してみてはどうでしょうか。前提知識を持たずに、「脳の記憶の仕組みを解明したい」と思った人は、どこから考え始めることになるでしょうか。

現代の技術的環境の中で生きる人なら、誰しもまずは「コンピュータのメモリ」になぞらえて記憶を理解したくなるのではないでしょうか。私たちは、コンピュータがどのように「記憶」しているのかを「理解している」と言えます。ならば、脳とコンピュータを比較して、コンピュータの仕組みと脳の仕組みを対応づけることができれば、脳の記憶も解明できるのではないかと思えます。

コンピュータの父、フォン・ノイマンもそう考えたようです。彼の遺作に、『計算機と脳』(ちくま学芸文庫、2011)という薄い本があります。ノイマンが1957年に亡くなる1年前、大学での講義用に準備していた未完成の講義録だそうです。この本の前半部でノイマンはコンピュータの基本的な機構の解説をし、後半では、それと脳の機構を比較しています。筆者は本書に出会ったとき、ノイマンが脳に並々ならぬ興味をもっていたということに感動を覚えました。卓越した数学者・計算機科学者であったノイマンも、「心」に強い関心があったようです。

 

計算機と脳 (ちくま学芸文庫)

計算機と脳 (ちくま学芸文庫)

 

この本ではコンピュータと脳の「計算能力」全般が主題となっていますが、そのなかでもノイマンは「脳の記憶装置が何なのか」に強い関心を向けています。ノイマンが考案したプログラム内蔵型(=ノイマン型)コンピュータにとって、記憶装置が本質的に重要だったからです。

ちなみに、ノイマンが本書を書いた1956年は、脳の記憶メカニズムについてほとんど何もわかっていなかったと言ってよいと思います。たとえば、海馬が記憶形成に重要な役割を果たしていることを明らかにした、有名な「患者HM」の論文(Scoville&Milner)が出たのが、その翌年の1957年です。いまでは常識となっている実験事実も得られていなかった当時、天才フォン・ノイマンは、脳の記憶の仕組みについてどんな考察をしたのでしょうか。

フォン・ノイマンの考察

さすがに、神経細胞が脳の動作の基本的なパーツであることは、ノイマンも知っていました。

神経系の基本素子は神経細胞、すなわち「ニューロン」であり、ニューロンの通常の機能は神経インパルスを発生・伝播させることだ。(p.73)

コンピュータの基本的な素子が真空管トランジスタであるのに対し、脳の素子はニューロンです。また、「脳の中に記憶装置がある」ということをノイマンは議論の前提にしています。

神経系内に記憶装置――あるいは、複数の記憶装置かもしれない――が存在することは推測の域を出ないが、人工の計算自動機械(オートマトン)から私たちが得た経験はすべて、その存在を示唆し、裏付けている (p.94)

ところが、それが何かは全く分かっていない。

ギリシア人は心が横隔膜にあると考えたが、記憶装置の特質と位置に関しては、私たちのもつ知識もギリシア人並みに乏しい。(p.94)

そのうえで、ノイマンは「記憶の様々な物理的実体の候補」を挙げていきます。たとえば、

  • 種々の神経細胞閾値が(…)は、その細胞に応じて時間とともに変わるという説がある。(…)これが正しければ、記憶は刺激基準の変動に等しいことになる。(p.94)

そのほか、

  • 神経細胞の接続が時間とともに変化し、それが記憶になる
  • 遺伝にかかわる記憶系が存在する可能性もある
  • ある部位の化学組成の特徴が永続的なもので、したがって記憶素子であることもありうる
  • 互いに刺激しあう神経細胞の系(真空管トランジスタでつくられる「フリップフロップ回路」に相当する仕組み)

などを挙げてみせます。一方のコンピュータはどうかというと、アメリカ初の電子計算機ENIACは一次記憶装置としてフリップフロップ回路のみに頼った。しかし、「「基本的な能動素子でできている記憶装置」と呼ぶにふさわしい記憶装置は、どう考えようと、非常に高くつく」ため、「今日の計算機は … 静電系(陰極線管)、強磁性コアの集合体などが記憶装置になっている」(p.100)と言います。ここで「高くつく」とは、詳しく書かれてはいないのですが、「スペースを食う」とか「エネルギー効率が悪い」とかいうことだと思います。

ノイマンは一連の考察を、

こうした事柄は、神経系の構造を理解する上で非常に重要に思えるが、今のところ、ほとんどが未解明のままになっているようだ。(p.100)

と締めくくっています。

このように、ノイマンはいろいろ考察を巡らせたうえで、結論を出さず(出せず)に終わっているわけですが、上記のような、あらゆる可能性を除外しない考え方は興味深いものだと思います。

ちなみに、ノイマンが挙げている「可能な記憶の実体」の中に、シナプス可塑性に相当するものが含まれていることは注意を引きます。これは、1949年にドナルド・ヘブが提唱した仮説を踏まえたものだと思われます。ヘブの仮説についてはいずれ取り上げることになると思います。

 

 

フォン・ノイマンが亡くなって60年がたった今、どこまで彼の疑問は解決されたのでしょうか。彼が挙げた様々な可能性の中に、正解はあったのか、あるいはまだ決着がついていないのでしょうか。筆者には今のところわかりませんが、それを今後調べていきたいと思います。

次回は、記憶研究のキーワードとなっている「エングラム」を取り上げます。