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読書メモなど

探究メモ:脳科学は記憶の仕組みをどこまで明らかにしたのか〈番外編1:論文紹介 Neuron 2017 "Memory Takes Time"〉

以前、本ブログでは「脳科学は記憶の仕組みをどこまで明らかにしたのか」と題した一連の記事を書きました。

その後も、記憶研究の動向は気にするようにしているのですが、先日ちょっと面白い論文を見つけたので、ここで紹介してみたいと思います*1

Nikolay Vadimovich Kukushkin, Thomas James Carew. Memory Takes Time. Neuron, 2017; 95 (2): 259 DOI: 10.1016/j.neuron.2017.05.029

ニューヨーク大学神経科学者2名によるレビュー論文です。科学系ニュースサイトやwired誌でも取り上げられています。

二つの紹介記事ではセンセーショナルな感じに取り上げられていますが、論文の中身はわりと地味で、玄人向けともいえる内容でした。また、日本語版wiredの記事のタイトル:「記憶のメカニズムの詳細が明らかに」は、けっこう語弊があるのではないかと思います。この論文は何か新しい「発見」を報告しているものではないからです。むしろ、既存の研究を広範にレビューしたうえで、「記憶をこんな風に捉えて、こんな風に研究していきませんか?」という、あくまで新しい見方を提案している論文です(レビュー論文というのは本来そういうものではないかと思います)。

論文のあらまし

2段組みで20ページにわたる、長めの論文です。本論の部分で、著者らは単一ニューロンにおいて、その応答性(シナプス入力を受けて発火するかどうか、など)を左右する様々な生理現象を列挙しています。著者らは便宜上、それらを五つのカテゴリーに分けています。

こうした多段階にわたる生理現象について、「こんなのもあります、あんなのもあります」という紹介がなされていきます。詳細はともかくとして、ポイントは、こうしたすべての現象が、トリガーされた時点から一定時間持続するものだということです。たとえば、シナプスで伝達物質を受けとったニューロンでは、活動電位が数ミリ秒持続して、細胞外の分子Aが数百ミリ秒間流入して、タンパク質Bが数秒間活性化されて……、などなど、それぞれ固有の時間幅をもった生理現象を引き起こします。こうした時間幅のことを、著者らは時間窓(time window)と名づけます。

ニューロン内の現象は、多くの時間窓の複雑な相互作用とみなすことができます。つまり、ニューロンのなかでは「Aというプロセスが持続しているという条件のもとでBが起こるとCが始まるが、Dが起こるとCは終わる」というような、「時間窓どうしの相互作用」が数多くあります。ひるがえって、こうした時間窓の存在は、過去の出来事が現在のニューロンの応答性が変えている、ということを意味します。記憶を「過去への適応」(adaptation to the past)のことだと捉えれば、時間窓をもつことはある種の「記憶」を持つことにほかなりません。しかも数ミリ秒から数日(~数年?)までにおよぶ時間窓をたくさん備えていることは、ニューロンが記憶に適したメカニズムを備えていることを意味します。

we argue that the nervous system's extraordinary ability to represent time at multiple timescales is a prerequisite for its unmatched capacity for information storage

〔訳〕神経系は、複数のスケールにまたがる時間を表象することにかけて並外れた能力をもっており、そのことこそが、神経系の類まれな情報貯蔵力を可能にしているとわれわれは主張したい。(introductionより) 

ここで"neuron"ではなく"nervous system"という言葉が使われていることからわかるように、著者らは「時間窓の相互作用=記憶メカニズム」という見方を、単一ニューロンレベルだけではなく、神経ネットワーク、果ては脳全体まで拡張できるはずだ、と見ています。そして、このように記憶を捉えなおすことによって、シナプス可塑性一辺倒」の記憶研究から脱却しようというのが、著者たちの提案のおおまなか概要となります。

「貯蔵庫モデル」から「余韻」モデルへ?

以上がだいたいのあらましです。本論文による問題提起を、私なりに次のように言い換えてみたいと思います。

  • 記憶の「貯蔵庫モデル」を捨てて、「余韻モデル」を採用しよう

「貯蔵庫モデル」というのは、要するに、脳内の記憶が「どこかにしまわれている」という見方です。過去の記憶が、図書館の蔵書のごとく分類・整理され、書庫で保管され、必要に応じて取り出される。フォン・ノイマンの記憶装置(連載の第1回参照)も、エングラム(第2回)も、おおまかにはこの発想に立った見方だと思います。そういえば、「インサイド・ヘッド」という映画では主人公の女の子の記憶が脳内世界ではボウリング玉のようなものとして描かれていましたが、まさにあんなイメージです。

一方、本論文では、過去の出来事が脳内の生理現象の「時間幅」として保存されている、という見方が提示されています。これを、過去のどこかの時点で脳のなかで鳴り始めた〈音〉が、〈余韻〉として響いているというイメージでとらえることができると思います。1秒前に鳴り始めた〈音〉、10年前から鳴っていてかすかに残存している〈余韻〉、そういったものの重ね合わせとして現在の脳があり、今の行動を決めている。この見方に立つと、「記憶は『どこに』あるの?」という問いはあまり意味をなしません。その答えは「あらゆるところに」だからです。むしろ問うべきは「『いつの』余韻(=時間窓)が、どの行動に結び付いているのか?」に変わります。

前回の連載の最終回では、今後の記憶研究に期待することとして、「(細胞レベル、全脳レベルなど)異なる階層をつなぐような理論が出てくること」と「素朴なエングラム観を乗り越える見方が出てくること」を挙げました。「素朴なエングラム観」というのは上記の「貯蔵庫モデル」のことです。今回の論文は、ある意味でこの両方をかなえる方向性が示されていたので、「わが意を得たり!」という気持ちで興味深く読みました。

おわりに

従来の記憶研究の盲点をつく重要な指摘だとはいえ、しかしながら、この「余韻モデル」(と私が勝手に名づけたもの)は、万能とまではいえなそうです。

まず、この見方は、「細胞にとっての記憶」と「個体のとっての記憶」を同じレベルで扱っています。究極的には「過去の出来事を情報を保持して現在の状態を決めるもの」をすべて「記憶」と呼んでいます。これは心理学の意味での「記憶」とはかけ離れており、これはこれで無用の混乱につながるかもしません。

また、細胞レベルの記憶現象であれば、何とか「時間窓の重ね合わせ」という描像で解析できるかもしれませんが、ニューロン集団、ましては全脳の「記憶」に当てはめるのは無謀といえるかもしれません。「今朝、納豆ごはんを食べた」という記憶は、「どこにエングラムとしてしまわれているのか?」ならまだイメージできますが、「どんな『時間窓』の重ね合わせとして表現されているのか?」となると、途方に暮れてしまいます。

とはいえ、それが記憶の本来の姿なのかもしれません。「脳の記憶装置は何か?」と問うたフォン・ノイマンは、自ら発明したコンピュータとのアナロジーに捕らわれて、問題を簡単化しすぎていたのかもしれません。

記憶研究の本来的な難しさに気づかせてくれる意味でも、味わい深い論文でした。

*1:素人が原論文を読んでわかった気になる危険性は十分にわきまえたいと思います。この記事は論文に対する論評ではなく、「こんな考え方もあるそうです」という紹介程度に読んでいただければと思います。