11/16(水)イベント開催決定!
— 書泉グランデMATH (@rikoushonotana) 2016年11月13日
【『精霊の箱 上・下』刊行記念 川添愛先生講演&サイン会】
『白と黒のとびら』から3年待望の続編の発売を記念して、
著者の川添先生による講演を開催致します!
明日10/22より4階にて受付開始 https://t.co/jPIk5hBCZU
『精霊の箱』も前作の『白と黒のとびら』も読まずに参加したのだが、川添愛さんのお話はとても面白かった。その日の感想ツイートがこちら。
川添愛さんの講演@書泉グランデを聴いて。ある学問体系を自分のつくった物語世界に丸ごと隠喩として写し取るという究極の「分かりかた」があること、教科書に載っている無味乾燥化した学問的対象にもう一度戦慄をもって出会うために「書く」という手段があること。『精霊の箱』、心して読みます…。
— R. Maruyama (@rmaruy) 2016年11月16日
帰りがけに早速『精霊の箱(上)』を購入。前作から入ったほうが楽しめるんだろうなとは思いつつ、オートマトンよりもチューリングマシンのほうが興味をそそられたので、まず『精霊の箱』から読んでみることにした。
上下巻あわせて600ページ近い大著で、しかも謎解きの部分はややこしそうなので、読むのに骨が折れるかなと覚悟した。が、読み始めると止まらず、数日で一気に読破できてしまった。
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どんな本なのか、(ネタバレしないように)簡単に紹介する。
まず、本書はフィクションだ。ファンタジー仕立ての物語になっている。主人公ガレットは見習いの魔術師。修行中の身である彼が、事件に巻き込まれ、ある重要な役割を背負わされ、仲間とともに「敵」と戦う。世界観は「ナルニア国物語」や「指輪物語」に似た雰囲気だが、マニアックな設定の細かさや理屈っぽさは『ジョジョの奇妙な冒険』にも通じるものがあると感じた(著者は『ジョジョ』のファンだそう)。
そして、すべてのストーリーと設定が、計算機の理論のメタファーとなるように作られている。
この物語の世界では、現象の背後には計算の世界があることになっていて、その計算の世界にアクセスする力として「魔法」が存在する。計算の働き方を理解して正しい「呪文」を唱えることで、人や物を操ることができる。魔法を読み解くヒントが、この世界では様々な形の「パズル」として登場し、登場人物たちはそれを解くことで、敵を倒すための力をつけていく。
そして、各章に出てくるパズルの一つ一つが、「オートマトンの状態遷移図」「テープとヘッド」「セルオートマトン」といったチューリングマシンの様々な表現方法や、「停止問題」「万能性」といった計算機理論の主要問題に対応している。これらアナロジーが本当に精巧にできていて、ただただ圧倒される。なぜこんなものが書けるのだろうかと思う。
以上、一言でいうならば、手に汗握る冒険物語を読む間にチューリングマシンの概念を自然に体得することができるという、すごい本だった。
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「パズルが盛り込まれたファンタジー小説」としても、「物語を通して情報数学を解説した教科書」としても楽しめる本書。でも、個人的には、そのどちらでもない部分に、深く共感してしまった。
一つは、現実の世界における「計算」の威力を見事なメタファーで描いていること。もう一つは、「勉強」をすることの、第一人称的な切実さに立ち返らせてくれたことだ。
「計算=魔法」の比喩
「計算」を「魔法」になぞらえるのは、話を面白くする比喩であるだけではなくて、計算の本質を言い当てていると思った。ガレットの世界ほどには直接的でないにせよ、僕らのこの世界でも、計算には魔術的な力があるといえるのではないだろうか。たとえば、チューリングの「暗号解読」の計算は実際に世界大戦の勝敗を占った。21世紀の今、ますます「アルゴリズム」は力を増していて、いかに「アルゴリズム」を改良するかということに、世界中の企業や大学がしのぎを削っている。さらに言えば、僕らの体を細胞の中にも絶え間ない「計算」のプロセスがある。遺伝子という「コード」を読み解き、書き換える技術すら実現している。計算を「魔術」になぞらえることも、大げさとは思えなくなる。
そういうふうに考えると、今度は、一人前の魔術師を目指す主人公ガレットの姿が、この世界の研究者・技術者やそれを目指す学生たちに重なる。「計算」という魔法を、僕らは日夜勉強して身に着けようとしているように思えてくる。
「真の力を身につけよ」
でも、勉強の道は険しい。みんなが当然のように知っていることが理解できなかったり、教科書の最初のほうで躓いたりすると、「勉強したってどうせ自分はものにならない」「時間の無駄かもしれない」という思いに駆られはじめる。学ぶべきことの膨大さと、自分の頭の鈍さに、嫌気が差す。勉強のプロセスがだんだん無味乾燥になっていく。
そんな気分に身に覚えのある僕にとって、本作品は身につまされた。
ガレットが習得する魔法は、彼の世界のごく選ばれたものしか体得しえない奥義だ。また、彼が魔法の原理を理解できるかどうか、たとえば「オートマトンの動作原理」を解読できるかどうかに、世界の運命がかかっている。この本の世界に浸った読者は、本を閉じた後、自分にとっての「勉強」がちょっとだけ重要さを増したように思えてくる。
中二病的な自己暗示にすぎないだろうか?
そうかもしれない。
でも、「学ぶ」というのは、そういうものだったのではないか。人間の知を習得し、フロンティアを切り開いて、新しい力を得るということ。
いかに歩みが遅くても、いまはどんなに簡単な「演習問題」しか解けなかったとしても、いつかはある分野のフロンティアに追いついて、独創的な仕事ができるようになるはずだ。
そんな風に読者を勇気付けてくれる本として、『精霊の箱』を読んだ。
物語のなかで、ある人物がガレットに語る台詞がある。
「世界がお前を軽んじている間に、真の力を身につけよ」
きっと長い研究者生活のなかで「真の力」を身につけ、この物凄い作品を生み出してくれた著者からのメッセージに、心をぐらぐらと揺さぶられた。