重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

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読書メモ:デスマーチはなぜなくならないのか(宮地弘子 著)

 

デスマーチはなぜなくならないのか IT化時代の社会問題として考える (光文社新書)

デスマーチはなぜなくならないのか IT化時代の社会問題として考える (光文社新書)

 

タイトルと帯のインパクトで思わず手にとったこの本。すぐ棚に戻すつもりが、「意外と面白いかも」「これはじっくり読みたいかも」となり購入した。

 

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無茶な納期・人員が足りない・途中で何度も仕様が変わるなどにより、ソフトウェア開発のプロジェクトが激務化していく現象を指す「デスマーチ」。本書によれば、2000年前後からITの世界で出てきた言葉らしい。

悪条件で長時間働かされる職場を「ブラック」と呼ぶわけだけど、私の周りの話を聞いても、今のソフトウェア開発の現場はブラック化しているイメージがある(「○○は激務で体を壊して3年でSEを辞めたらしい」等々)。

しかし、「デスマーチ」という言葉まで出来たのに、そうしたブラック労働が放置されているのはちょっと不思議な気もする。デスマーチになりそうな案件はそもそも受けなければよいのだし、そんな仕事を受けるような会社は社員がやめていくのではないだろうか。業界全体でそれが起これば、(飲食店チェーンなどでたまに起こるように)待遇改善が進むのではないだろうか。

外からはそんな風にも思えるのだが、中から見る風景はまた違っているようだ。この本の著者は、ITエンジニアがもつ独特なメンタリティと、それが作り出す独特な「文化」に光を当て、それがソフトウェア開発がデスマーチ化する理由になっていると分析する。

著者は、数年前に博士号を取得した、企業出身の社会学者だ。自身がかつてITエンジニアだった著者は、デスマーチが「業界のブラック化」の問題として片づけられてしまうことへの漠然とした違和感をもっていて、その感覚をきちんと裏付けるために「社会学」の門をたたいたのだそうだ。本書は、ソフトウェア開発という仕事がデスマーチを生み出してしまう構造に、社会学の概念や方法で迫った一冊となっている。

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著者が使う研究手法は「エスノグラフィー」という方法で、具体的には外資系のソフトウェア開発会社の現役・元社員からのインタビューを行っている。ポイントは、中堅エンジニアの若手時代、つまりデスマーチが問題化する前の時代の話から聞いていること。著者によれば、ソフトウェア開発の現場では「誰からの指導やアドバイスを受けずに、自分の腕だけを頼ってプロジェクトを仕上げるのが“当たり前”」という、独特の「常識」がある。エンジニアのインタビューからは、この風習を生み出した存在として、高校生のころから趣味で電子工作やプログラミングに没頭する「遊びの延長としてプログラムを書いてきた若者たち」の姿が浮かび上がる。

ベンチャー気質の若者たちが、寝る間も惜しんでソフトウェアをつくりあげるというやり方は、かつては上手く機能した。しかし時代が変わった。(1)新興のソフトウェア会社を支えてきた若者たちも、子育てや介護の世代となり、昔と同じ働き方ができなくなってきた。(2)2000年くらいからソフトウェア開発のプロジェクトはどんどん大きくなって「すべて一人で抱え込む」式のやり方が合理的ではなくなった。(3)SEなどを仕事に選ぶ若者にとってプログラミングはもはや「遊びの延長」ではなく「仕事」になった。そうした状況の変化があるにも関わらず、まだ「現場レベルでは個人の卓越した力によってこそソフトウェアが作り上げられるのだとする常識が、根強く残り続けている(p.222)」。そのことが、デスマーチを生み出す本当の理由であると、著者は分析している。

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IT土方」「SE不要論」など、どぎつい言葉が飛び交うこともあるITエンジニアの労働環境について、新しい論点を提供している点で貴重な本だと思う。激務労働の渦中にあるエンジニアの方にとっても、役に立つと思う。

なお、この本に紹介されるのは、ある会社のエンジニア3名のインタビューであり、その会社は有名な外資系企業(名前は明かされていない)らしいので、そこから導かられる分析がどれくらい現代のIT企業一般について言えるものなのか、という指摘はあるかもしれない。それでも、本書の分析には単なる経験談やオピニオン以上の説得力があって、これが学問の力なのだろうなと思った。