重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

読書メモ:「科学コミュニケーション」関連書籍4冊

今年度、北大CoSTEPを受講している。(集中演習についてこの前少し書いた。)

CoSTEPは「科学コミュニケーター」を養成することを目的とするプログラムなのだが、この「科学コミュニケーター」あるいは「科学コミュニケーション」という言葉は、ちょっとわかりにくいところがある。

科学コミュニケーターという資格があるわけではないし、求人欄に「科学コミュニケーター」を掲げている会社は(たぶん)ない。どんな分野でも「伝える」ことは大事なはずなのに、「音楽コミュニケーター」とか「文学コミュニケーター」ではなく、あるいは科学をさらに細分化した「生命科学コミュニケーション」や「機械工学コミュニケーション」でもなく、「科学コミュニケーション」というくくりで養成プログラムが作られる必然性は何なのだろうか、という疑問が浮かぶ。

CoSTEPでは「科学コミュニケーションとは?」ということも含めて、講義で教えてもらっている。科学コミュニケーションはなぜ必要か、どこが難しいのか、どうすればより良く実践できるのかということについて、それなりにわかってきたつもりではいる。それでもやや消化不良が残っていたため、この分野に詳しい方に相談してみたところ、「良い本が何冊か出ているので、まずはそれらを読んでみては?」とのお言葉をいただいた。

アドバイスに従って、以下の4冊を読んでみた。

 

①『はじめよう!科学技術コミュニケーション』
はじめよう!科学技術コミュニケーション

はじめよう!科学技術コミュニケーション

 

CoSTEPの初期の講師陣による「科学コミュニケーターになる人のための入門書」というコンセプトの本。科学コミュニケーションが必要とされるようになった歴史的背景から、科学館の運営・ジャーナリズム・広報など様々な科学コミュニケーションの実際、ライティング・ウェブサイトづくり・サイエンスカフェ実施等の実践方法までが、コンパクトにまとめられている。

②『科学コミュニケーション論』
科学コミュニケーション論

科学コミュニケーション論

 

東大の講義用のテキスト。国内外で「科学コミュニケーション」が議論・実行・評価されてきた経緯や、「科学教育」や「科学者の社会的責任」といった概念との関連も含め、詳しく整理している。膨大な文献を集中的に読み込んでまとめたものだそうで、緻密に論点が網羅されている。イギリスに見られるような科学者と市民の緊張感のある対話に比べて、日本の科学コミュニケーションは「生ぬるい」という、厳しい指摘もなされている。

③『科学コミュニケーション: 理科の<考え方>をひらく 』 
科学コミュニケーション?理科の<考え方>をひらく (平凡社新書)

科学コミュニケーション?理科の<考え方>をひらく (平凡社新書)

 

物理学をバックグラウンドとし、今は科学コミュニケーションを専門に執筆・教育活動をする著者による単著。先の2冊とは異なり、科学コミュニケ―ションの歴史や概況全般というよりは、著者個人の中で熟成されてきた考え方が示されている。科学コミュニケーションは、「科学はつまらない」という前提で行わなければいけないという。身の回りの出来事の理解の仕方には科学以外にも方法があって、それを踏まえないと「科学に無関心な人々」と対話することができないから。科学コミュニケーションで何を・なぜ・どうやって伝えるべきなのか、著者が試行錯誤してたどり着いた答えには、説得力があった。

 ④『もうダマされないための「科学」講義』 
もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書)

もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書)

 

 3.11から半年後に出された本。いろいろな科学情報とどう付き合うべきなのかを、放射能に関する知識の啓蒙をしている物理学者、疑似科学の問題に詳しい科学哲学者、食品の安全性などに詳しい科学記者、科学コミュニケーション論の専門家らが分担執筆している。第4章では、「科学コミュニケーション」概念をコンパクトに解説し、3.11後の科学コミュニケーションの課題をまとめている。この本自体が、すぐれた科学コミュニケーションの実践になっていると思える。

 

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4冊を読んでみて、科学コミュニケーションという概念がどう出てきて、どういう人々がその議論・実践に関わってきたかがよくわかった。また、「科学コミュニケーション」を推進することが――科学に興味のない人々を含む――社会全体の利益にかなうことであるという議論の道筋も理解することができた。

とはいえ、すぐに「科学コミュニケーションをどんどんやろう!」「科学コミュニケーターになりたい!」という気持ちにはならない。一つには、最初にも書いたように「科学コミュニケータ―」という職種はないので、それをアイデンティティとして生きていくことは難しいだろうと思う。また、「科学コミュニケーション」はいろいろなものを含むために、それが功を奏しているかを図るはっきりとした尺度がないために、「科学コミュニケーションを頑張っています」ということを言いにくい点にも難しさを感じる。

むしろ、今までのフィールドで、それぞれの利害関係に基づいて行動していればいいのかと思う。つまり、「売れる本を作りたい」、「新技術の危険性を見極めたい」、「自分の組織の業績をアピールしたい」といった個別の問題意識や利害に基づいて活動を続けることでいいのではないかと思う。

では「科学コミュニケーション」という概念が不要になるかというとそうはならなくて、自分たちの関心が「科学コミュニケーションの促進」という「大義」につながっていることを知ったり、異なる分野の科学コミュニケーターとつながるきっかけを与えてれるという意味で、頼りになる概念なのではないかと思う。