読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

rmaruy_blog

読書メモなど

読書メモ:情報社会の〈哲学〉(大黒岳彦 著)

 

月刊誌『現代思想』(青土社)などに発表された五つの論考に、書き下ろしの章を加えた単行本。「ビッグデータ」、「SNS」、「人工知能/ロボット」など、各章で情報技術のトピックを一つずつ取り上げ、それらが社会をどう変えているのかについて、哲学的に考察していくという内容である。

現代思想』のビッグデータ特集(2014年6月号)と人工知能特集(2015年12月号)は既読だったのだが、僕からすると大黒岳彦氏の論考は深さ・面白さで群を抜いていて、異彩をはなっていたのが記憶に残っていた。今回、一冊の本にまとまったものを読んだことで、著者のなかで一貫した大きなテーマがあること、各論考が決して「流行のトピックを哲学的に論じてみた」だけではなかったということがよく分かった。

とはいえ、濃厚な「現代思想」的な文体・語彙もあいまって、とても骨のある本だった。もう2、3回読めば理解が深まりそうな予感もあるが、まずはざっと読んだ段階での印象をメモしておきたい。

***

この本がやろうとしているのは、「情報社会とは何か」を一番深いレベルで理解するということだ。

ビッグデータ人工知能、データサイエンス、SNS、VR/AR、ウェアラブル、IoT…。ビジネスでも、学問のトレンドとしても、一生活者の話題としても、ITの「次のビッグウェーブ」は常に関心の的になる。こんなにも次々と新しい「ウェーブ」が出てくるのはなぜなのか? それによって世界はどう変わるのか? 僕らは何に気をつけなければいけないのか?

これらの問いには、いろいろな答え方が考えられる。「Googleがお金儲けのために…」などと、矢継ぎ早に登場するイノベーションをビジネス文脈で説明することもできるだろうし、「政府が国民の管理のために…」とか「計算機の性能がニューラルネットワークの構想に追いついて…」などと、政治的意図や技術進化の経緯に説明を求めることもできるだろう。

著者はこうした語られ方のすべてをよくフォローしたうえで(各章冒頭の総括の仕方が見事だった!)、その「深層」を、別の仕方で描こうとする。手掛かりは、マクルーハンのメディア論とルーマンの社会システム論。いきなり「現代思想」っぽい香りがして嫌厭されてしまいそうだが、マクルーハンルーマンを知らない(僕のような)読者でもスムーズに入っていけるように導入が工夫されているし、なぜ「マクルーハンルーマンを持ち出さなければいけないのか」も説明されている。

メディア論と社会システム論で、著者は情報社会をどう描いているのか。ここで本論の骨子を紹介したい…ところなのだけど、残念ながらうまくまとめられるほど咀嚼できていない。大事だと思ったことを2つだけメモしておくと、

  • 社会の変化を「メディア」の変化によって説明する「メディア史観」は、今こそ有用。それは、テレビからインターネットへのシフトに伴う、さまざまな変化の実感を掬いとるのに役立つ。
  • 「コミュニケーション」(会話やメールだけでなく、放送とかツイートとかデータ通信を含む)を主役にした「社会」の見方。社会の構成要素として「人」や「組織」ではなく「コミュニケーション」に着目することで、社会論のなかに人工知能やロボットを位置づけることが可能になる。

などだろうか(これだけでは何の紹介にもなっていないけれど…)。

まあ、とにかく難しい本で、とくに最後の「情報倫理」についての章は、一読しただけでは何がポイントなのか読み解けなかった。ただ、一つ本書から学ぶことができたことがあるしたら、それは「ビッグデータやAIは『社会』の問題だ」という見方だった。

この点について(本書から少し離れて)自分なりにパラフレーズして終わりにしたい。

しばしば、ビッグデータやAIは人間について知ることに役立つということが言われる。「データによって人間の行動原理が明らかになる」とか「人工知能を研究することで、逆に人の知能の本質が明らかになる」など。たしかにそういう面もあるが、実は「ビッグデータやAIによって『人間』や『知能』が別のものに変わってしまう」ということがあり、むしろそちらの効果のほうが大きいのではないか。どうしてかというと、「人間とは?」「知能とは?」への答えは、他の人間や知能との関係(=社会)によって決まるからだ。ビッグデータやAIは、社会を変えることを通して、「人間」や「知能」の理解のされ方を変えてしまう。では、あらかじめ「社会」なるものの実態を理解しておけばよいかというとそうもいかなくて、なぜなら「社会」とは抽象的概念であり、社会の内部にいる僕らが仮想的に作っているものだから。ここにはシステム内部からシステム自体について語ることの困難さがあり、結局、「人間とは?」「社会とは?」へ答えるのは構造的に不可能っぽい、ということになってしまう。そうした原理的な難しさを十分自覚したうえで何かを言おうとしているのが、まさに社会システム論であり、著者なのだろう。

…というのが、本書を読んでおぼろげながら感じ取れたことだった。

 科学者・工学者の人が持ちがちな、「僕らがまだ知らない『人間の本性』『知能の本性』というものがあり、技術を使ってそれらに迫れる」という観念はナイーブすぎて、そんなことを言っている間に、ビッグデータやAIによって「自分」が変わってしまうかもしれない、ということにこそ注意を向けなければいけないのかもしれない。これは、近頃多くの人文系の論者が言っていることのように思われる(『脳がわかれば心がわかるか』や『大人のためのメディア論講義』など)。ただしそのメッセージを一般人や科学者・工学者に届けるためには、本書の内容を数段階かみ砕いた著作が求められるような気がする。