将棋の現役プロ棋士に将棋AIにまつわる意見を聞いたインタビュー集。
自分はとくに将棋ファンでもなく、電王戦を熱心に見ていたわけではないが、この本は「すごく良い」という評判を聞いたので読んでみた。
20代前半の若手からベテラン(羽生氏含む)まで、11名の棋士が登場する。「ソフトはプロ棋士を超えたと思うか?」「ソフトに追い抜かれたとき、棋士の存在意義はどうなると考えるか?」「将棋の研究のためにソフトを活用しているのか?」など、決して答えやすいとは言えない質問を彼らにぶつけている。同じ質問でも、棋士によって答えが180度違っているのが面白い。ソフトを積極的に活用して、実力向上を図ろうとする棋士。「コンピュータに頼りすぎると自分の頭で考える能力が落ちてしまう」と、ソフト活用に慎重な棋士。ソフトとの対戦への積極性に関しても、「やってみたい」という棋士と、「人間同士の対局とは別物だから」と関心を示さない棋士がいた。
著者が(IT系のライターなどではなく)将棋の記事を専門に書いている記者だということもあり、通り一遍ではないプロ棋士の本音を引き出していて、読み応えがあった。プロ将棋の世界にどれくらいAIが浸透しているのかを知る意味でも、プロ将棋がそもそもどういう「産業」なのかを知る意味でも、学ぶことが多かった。将棋を普段フォローしていない自分でも楽しめたので、将棋ファンにはたまらない一冊ではないかと思う。
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本書を読んで、ちょっと考え方が変わったことがあったので、少しだけ書いてみたい。
将棋AIという題材は、昨今の「人工知能ブーム」にまつわる言説のなかで必ずといってよいほど取り上げられる。「将棋ではAIが人間を負かしつつある。でもこれは序章にすぎない。次は○○だ。」などという、危機感をあおる言い方も目につく。けれど個人的には、この議論はずれていると思っていた。
- ルールが明確に定義されていて、有限の選択肢から手を選ぶことができて、勝敗の条件もはっきりしている将棋は、そもそもコンピュータが得意なゲーム。その将棋で起こったことが、人間の活動全般にすぐに広がっていくとは考えにくく、将棋(や囲碁やチェス)を、これから他の職業で起こることの前触れのように語るのはミスリーディングでは?
- 「AIに負けたから将棋棋士の価値がなくなる」かのような言い方にも違和感があった。「人間の知能」で戦っている姿に価値があるのであって、自動車とマラソン選手を比較する人などいないのと同じように、将棋AIとプロ棋士を比べるのはナンセンスでは?
だから、「AIが将棋棋士を負かしたことは、将棋界にとっても、それ以外の産業・職業にとっても、言われているほど大した話ではない 」と思っていた。
けれど、この本を読んで、ちょっと浅はかだったかな、と感じた。
確かに、本書に登場する棋士の多くも「ソフトはソフトであって、自分は人間同士の対戦に集中するのみ」ということを言っている。一方で、「ソフトの影響は全くない」という棋士もまたいなかった。たとえば、対局相手がソフト研究で見つけた新手を指してくることがあり、それに対応しなければならなくなったという。普通だったら「怖くて指せない」ような手でも、ソフトのお墨付き(評価値という数値)を根拠に堂々と指してくるようなことが増えたらしい。
そう考えると、対人間の対局でも、敵は人間というよりは「人間+AI(ソフト)」と戦っているのに近い感覚になっていくのかもしれない。そして、それに対応するためには、自分もソフトに頼らざるを得なくなる。「自分の頭だけで考えるゲーム」だったはずの将棋が、別のものに変わっていく可能性がある。
そして、このことは、案外ほかの分野でも起こっていくのかもしれない。将棋AIほど開発は簡単ではないにせよ、スポーツでも、ビジネスでも、プレイヤーのとる「次の一手」の「評価値」を、AIが算出する世の中になっていくだろう。そして、その競技・商売の「競争相手」もまた、「人間の身体・知能+AI」で勝負してくるだろう。そうなったときに何が起こるか。将棋を、そのケーススタディの一つと見るのはそれほど的外れではないのかもしれない。