重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

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読書メモ:川と国土の危機(高橋裕 著)

 

河川利用を専門に研究している、友人の坂本貴啓さんに紹介いただいた本。著者の高橋裕氏は1927年生まれの東京大学名誉教授で、河川工学の第一人者だそうだ。

本書は、現在の日本の水害対策の課題を主軸としつつも、明治期からの日本の治水事業の変遷、各種災害の歴史、治水の考え方の変化、未来への提言と、幅広い話題がまとめられている。読み応えがありながら前提知識なしでも読める、「これでこそ新書」という感じの一冊だった。

以下、内容に関して印象に残った部分をメモしておく。

治水対策には副作用がある

河川工学や治水対策と聞くと、河川氾濫に備えて川の流量を計算し、堤防や水門などの設備を計画する、というイメージをもっていた。しかし、本書を読み始めてすぐにわかるのは、そう単純なものではないということだった。

治水対策には副作用がある。まず、川を溢れないようにする工事自体が、洪水時の被害を大きくする。

明治以降の各主要河川の洪水記録を経年的に比較すると、洪水流量が大洪水発生とともに年代を追って着実に増加していることも明らかであった。すなわち、時代とともに、流域が開発され、それを守るためにより規模の大きい治水事業を進めなければならなくなった。その結果、洪水の規模がしだいに大きくなったのである。(第1章「社会とともに変わる川」)

また、川の流量を減らすための工事にも問題がある。1950年代大学生だった著者は「大河津分水が信濃川と周辺環境に与えた影響」というテーマで卒業研究を行った。信濃川の流量を減らすためにつくった「分水」が、思わぬ後遺症を残した。

洪水流と同時に、洪水が運ぶ大量の土砂も新潟河口には来なくなった。(第2章)

これにより、海岸の浸食が深刻になっただけでなく、

信濃川の河床は徐々に上昇し、周辺の水田から信濃川への排水が困難となった。かつては水田から重力のままに河川や水路などへ自然に排水できたが、河床が高くなると、強力なポンプを備えて排水しなければならなくなった。(第2章)

この研究からキャリアをスタートした著者は、実感を込めて次のようにいう。

戦後の激しかった河川事業は、自然としての河川の自由を奪いすぎた。河川は本来、ときには手足を伸ばして氾濫したいとの強い意志を持っている。(第2章)

しかし、著者のスタンスは決して「自然のままの川がよい」というものではない。

河川技術者は、河川という自然と共存して、その自然力を少しでもその時代に有益に利用できるように努力してきた。河川に技術を加えると、それに伴うマイナスの影響は、多かれ少なかれ必ず発生すると考えるべきである。その兆候を注意深く観察した上で、望ましくない影響に対処するために次の技術を考えなければならない。言い換えれば、河川技術者は、河川という自然と、永遠に詰まない将棋を指しているようなものである。(第2章 川にもっと自由を)

この「詰まない将棋」を続けるうえで著者が口をすっぱく強調するのが、「川を見る」「歴史に学ぶ」という視点だ。

川の辿ってきたさまざまな履歴を知ることで、その川の個性をより深く知ることができる(第1章)

東京の水害リスクをどう考えるか

東京のゼロメートル地点(江東区)に住む一人として、何より気になるのは東京の水害リスクだ。この点に関して常に参照されるのは、1947年に襲来したカスリーン台風である。利根川決壊による、その被害は大きかった。

全国で全半壊・一部破損数九二九八棟、浸水家屋約三八万五〇〇〇棟、死者・行方不明一九三〇人に及んだ。(第1章「社会とともに変わる川」)

この教訓から、「利根川または荒川の破堤はつねに首都圏南部を水没させるので、この両川の治水、および氾濫流対策は国家的にもつねに緊要な課題」(第3章)とされてきた。

現在は対策が進み、カスリーン台風並みの被害は避けられるのだろうか。著者はそう見ない。

大水害が発生していないのは、治水設備が機能している面もあるが、それが真にテストされるような事態がたまたま到来していないためと見るべきである。(はじめに)

次のような試算も示される。

古河・坂東沿川破堤の場合、死者数は最大約六三〇〇人、江東デルタ氾濫では最大約三五〇〇人と想定されている。(第3章)

荒川右岸低地氾濫の場合、排水ポンプなどが順調に運転されれば、三日以上浸水地域の人口は約九五万人から約七四万人に減少できる。(第3章)

具体的な数字が出てくると、昨今の台風被害と比較した際のけた違いの大きさと、かといって「日本壊滅」とまでは言えない数字のリアルさに、背筋が寒くなる。

著者の提言

日本の重要河川では、200年(川によっては150~100年)に一度の洪水に対する安全を目標としている。しかし「治水計画にとって重要なのは、これら計画対象を越える、いわゆる「超過洪水」の場合への対応である」(第4章)という。超過洪水に対しては、「河道外の氾濫原の土地利用規制を含む、地域計画」で対応し、「より強力な堤防やダムなどの構造物を軽々に計画すべきではない」とする。そのほか、以下のような具体的な提案もなされている。

  • ダムに関して、「浚渫」や「嵩上げ」による既設ダムの貯水容量を増やして治水安全度を上げる
  • 耕作放棄地などの水田を一部「遊水池」にする
  • 「大津波の脅威と気候変動による海面上昇」に備えた、臨海部の土地利用の見直し
  • ゼロメートル地帯の当面の対策として、安全度の高いビルを避難用とする

しかし、こうしたハード面での対策にも増して、著者が強調するのがソフト面の対策である。河川管理者に丸投げするのではなく、かつて存在した「水防の伝統」を取り戻すこと、「災害対応の知恵を掘り起こし、新たな災害文化を育てる」ことを強く訴える。

 

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以上は、本書の内容のごく一部であり、まだまだ見どころは多くある。とくに、著者が当事者としてかかわったダム建設に関わる闘争、浸水の責任をめぐる係争などのエピソードなどは、1950年代から現役の研究者として活躍してきた著者ならではの回顧となっており、価値が高いと思われる。

本書を読んで、川について何も知らなかったことを痛感した。普段、何気なく河川敷を走ったり電車で渡ったりしている川は、これまで単なる風景だった。しかし、ひとたび水害の危機が迫れば、家族の生死、そこまでいかなくても向こう数年の生活を左右する存在として、前景に躍り出てくる。一度も意識したことのない上流のダムの貯水量や支流の流量が、いきなり最大の関心事となる。

川について非専門家が知るべきことは、とても多いと感じる。

本書を進めてくれた坂本さんは、日本各地の河川利用を調査し、川について知るためのワークショップを開催されている。本書の「川をみんなで見る」という精神を受け継ぐ一人と言えると思う。

坂本さんのウェブサイト: