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読書メモ:Galileo's Error (by Philip Goff)…なぜ意識の科学に「汎心論」が必要か

 

Galileo's Error: Foundations for a New Science of Consciousness

Galileo's Error: Foundations for a New Science of Consciousness

  • 作者:Goff, Philip
  • 発売日: 2019/11/07
  • メディア: ペーパーバック
 

心の哲学や意識の科学をフォローしていると、最近「汎心論」という言葉をよく聞く。心の哲学における汎心論とは、「意識とは何か?」、もう少し詳しく言えば「(物質)科学的な世界像のなかに、意識をどう位置づけるか?」という問題に応える、一つの哲学的な立場だ。

本書Galileo's Error: Foundations for a New Science of Consciousnessは、いま汎心論の旗振り役として活躍している哲学者フィリップ・ゴフ氏が、一般向けにその要諦を解説した一冊である。本書でゴフ氏は、唯物論でも二元論でもない「第3の選択肢(third option)」として汎心論を提示し、それを擁護しようと試みている。

分かりやすく書こうとされており、実際に読みやすい。とはいえ、かなり哲学的に込み入った議論もあり、すべてを理解するには結局専門書を紐解かなければいけないかもしれない。私自身、咀嚼しきれたとは到底言えないが、汎心論という哲学的立場が出てくる背景やそれをめぐる議論のアウトラインを知る一冊として、読む価値があったと思う。

以下は、極めて断片的な、ブログ筆者の備忘録としての読書メモである。

(時間がない方は、以下の講演動画がおすすめ。ほかにも、ゴフ氏によるYouTube動画やポッドキャストが複数公開されている。) 

第1章  How Galileo Created the Problem of Consciousness

まず第1章では、意識の問題の難しさの本質が、「ガリレオの誤り(Galileo's error)」というキャッチーなフレーズとともに印象的に語られる。

意識とは何か? 多くの人は何となく、神経科学がこのまま進歩すれば「そのうち解明されるだろう(we'll get there in the end)」と考えているかもしれないが、これは甘い。なぜなら、神経科学を含む科学は、そもそも意識を度外視することによって成功してきたからだ。

現代の科学が依拠する方法のルーツを、著者は17世紀のガリレオに見る。「数学の言葉」で物理現象を捉えることにしたガリレオは、世界の「量的な側面」にその探求を絞り、「質的な側面」を捨象した。

by stripping the world of its sensory qualities (color, smell, taste, sound), and leaving only the minimal characteristics of size, shape, location, and motion, Galileo had—for the first time in history—created a material world which could be entirely described in mathematical language. (p.17)

私訳:大きさ・形・位置・運動といった最小限の性質だけを残し、(色、におい、味、音といった)感覚的な質を世界から剥ぎ取ったガリレオは、歴史上初めて、数学という言語で完全に記述できる物質世界を作り出したのだ。

the success of physical science in the last five hundred years is due to the fact that Galileo narrowed its scope of inquiry.  (p.20)

私訳:ここ500年間の物理科学の成功は、ガリレオが探究の幅を絞ったおかげなのである。

そして、この捨象についてガリレオ自身は自覚的だったと著者は見る。

If Galileo traveled in time to the present day to hear that we are having difficulty giving a physical explanation of consciousness, he would most likely respond, “Of course you are, I designed physical science to deal with quantities not qualities!” (p.21)

私訳:もしガリレオが現在にタイムトラベルし、われわれが意識の物理学的な説明に悩んでいると聞いたら、きっとこう応えるだろう。「当然だ! 私は物理科学を、質ではなく量を扱うものとして設計したのだから。」

さらに、こういう。

Galileo’s error was to commit us to a theory of nature which entailed that consciousness was essentially and inevitably mysterious. In other words, Galileo created the problem of consciousness. (pp.21-22)

私訳:ガリレオの誤りは、意識が本質的・必然的に謎となるような自然界の理論にわれわれをコミットさせたことだ。つまり、ガリレオが、意識の問題を作り出したのだ。

ガリレオが拵えた「意識の問題」。これを解決するためには、意識を扱えるように科学そのものを再構想(reimagine)しなければならない。そして、著者に言わせると、その最も有望な方法が汎心論だということになる。

もちろん、「意識の問題」への解は汎心論だけではない。むしろ、哲学の歴史としては「二元論」と「唯物論」が主流であり、長らく両者の対立が続いてきた。第2章と第3章では、それぞれの概要とその問題点が辿られていく。

第2章  Is There a Ghost in the Machine?

第2章では、二元論のうち、とくにデイヴィッド・チャーマーズが提唱する自然主義的二元論(naturalistic dualism)が取り上げられる。これは世界には物質だけでなく心理的な側面が存在しており、何らかの「心理-物理的法則(psycho-physical law)」によって、心と物が相互作用を及ぼすと考える。

naturalistic dualist postulates special psycho-physical laws: basic principles of nature—as fundamental as the laws of gravity or electromagnetism—that govern the interactions between the nonphysical mind and the physical world.(p.32)

著者は、そうした物理の外からの因果関係に関する科学的な証拠の欠如や、「オッカムの剃刀」などの視点から、二元論を批判する。

第3章 Can Physical Science Explain Consciousness?

一方、第3章で取り上げられる唯物論(materialism)は、物質的な存在だけで世界の記述は尽きているという考え方であり、哲学者のなかではダニエル・デネットチャーチランド夫妻たちが唯物論者の代表格として挙げられている。唯物論を反駁しようとする試みは、心の哲学内での何十年にもわたる議論があり、この章でも「メアリーの部屋」、「哲学的ゾンビ」、「中国語の部屋」といった定番の議論を紹介しながら、唯物論の問題点を突いていく。

第4章 How to Solve the Problem of Consciousness

いよいよ、著者の推す汎心論(panpsychism)が登場する。汎心論は、二元論のように物質的な存在の外に「心」の存在を認めるのでもなく、唯物論のように(物理)科学だけで世界の記述が尽きていると考えるのでもない、第三の発想をとる。それは、あらゆる物質には心の側面があらかじめ備わっている、という考え方だ。

一口に汎心論と言っても非常にたくさんの種類がある(ゴフ氏自身が執筆しているスタンフォード哲学事典「Panpsychism」の記事を眺めればよく分かる)ようで、本書で著者が提示するのはある特定の理路から出てくる汎心論である。著者によれば、これは20世紀の哲学者バートランド・ラッセルの「中立一元論」に基づいて、同時代の物理学者アーサー・エディントンが提唱したものだそうである。「物質のintrinsic nature(内在的本性?)としての意識」という考え方なのだが、ここは重要なところながら咀嚼が難しかった。原文を引用だけしておく。

Eddington’s proposal is that consciousness is the intrinsic nature of matter. It is consciousness, for Eddington, that breathes fire into the equations of physics.
Here is the idea. Physics characterizes mass and charge “from the outside” (in terms of what they do) but “from the inside” (in terms of their intrinsic nature) mass and charge are incredibly simple forms of consciousness. Moving up a level, chemistry characterizes chemical properties “from the outside,” but “from the inside” they are complex forms of consciousness derived from the basic forms of consciousness found at the level of fundamental physics.  (p.132)

ともかく、汎心論をとると次のようなことになる。まず、「量的・客観的に記述される物から、質的・主観的の意識がどう出てくるか」という当初の「ハードプロブレム」はなくなる。なぜなら、すべての物質はあらかじめ質的・主観的な側面をそのintrinsic natureとして持っているから。代わりに出てくる問題は、「では、素粒子などがもつミクロレベルの単純な意識から、人間の脳のレベルの複雑な意識をどう説明するのか」というものになる。この「組み合わせ問題(combination problem)」が、汎心論者のハードプロブレムとなる。

Rather than trying to account for consciousness in terms of nonconsciousness, the panpsychist aspires to explain the complex consciousness of human and animal brains in terms of simple forms of consciousness, simple forms of consciousness that are postulated to exist as fundamental aspects of matter.(p.115)

私訳:汎心論者は、無意識から意識を説明しようとする代わりに、人間や動物の脳の複雑な意識を、より単純な意識(物質の根本的な側面として存在していると仮定された意識)から説明することを目指す。

著者は、汎心論者のハードプロブレムのほうが、唯物論のハードプロブレムよりも解ける見込みがあると考える。ただし、そのためには「科学とは何か」を再構築(reimagine)し、ガリレオがつくったパラダイムを更新しなければならない。それは、主観的な意識をれっきとした一つの「データ」として扱うこと意味する。単純な意識から複雑な意識が出てくる機序を説明していく一つの道筋として、「創発論的汎心論(emergentist panpsychism)」の立場から情報統合理論(IIT)を援用した議論などが紹介される。

第5章 Consciousness and the Meaning of Life 

第5章は、汎心論の世界観が、私たちの倫理や「人生の意味」に対して与えうる影響を論じている。意識の有無で人間と自然界を峻別する二元論より、汎心論は気候危機の時代に適しているかもしれないとか、人生の意味を見失っている現代人にとって、汎心論は宇宙に意味を吹き込みなおす契機になるかも、などという所見が述べられていく。

感想

冒頭で書いたように、文章の読みやすさと、論旨の飲み込みにくさのギャップの大きい読書体験となった。

その最大の原因が、著者による「二元論/唯物論/汎心論」という三区分がそれでいいのか?という疑問が最後まで残ったことにあると思う。たとえば、二元論の一種である「性質二元論(property dualism)」と著者の汎心論との違いが(解説はされているものの)完全には理解できなかった。

思うに、心の哲学においては(もしかしたら哲学全般に言えることかもしれないが)、「誰か〇〇論者」かというのはとても難しい。現に著者自身が「唯物論者の多くは隠れ二元論者(closet dualist)だ」というようなことを書いているし、著者の師匠に当たるガレン・ストローソンは、本書の汎心論は唯物論ではないかと批評している*1。「二元論/唯物論/汎心論のあいだの論争」以前に、「論者間の対立構造をどのようにマッピングするかをめぐる論争」が本質的に重要なのだと思える。

また、著者は汎心論が科学の「ポスト・ガリレイパラダイム」を拓くというが、実際に汎心論が科学の実践面に何か違いをもたらすのか、という疑問が湧いた。単純な意識がから複雑な意識を説明するといっても、やることは結局、いままでどおりの自然科学的な理論・実験研究なのではないかとも思える。個人的には、哲学者が科学の実践に影響を及ぼすような事例を見てみたい気持ちが強いが、ゴフ氏の汎心論がそうなるかどうかは、判断を保留したい。

最後に、第5章で話される倫理や「人生の意味」などの議論も、私には少し虚しく聴こえる。というのも、哲学者たちが分析的な方法で打ち立てた汎心論というのは、科学的な世界記述と主観的な意識体験をどうにかこうにか統合的な絵(unified view)に収めようとした結果出てくるものだ。しかし、仮にそんな「絵」が首尾よく描けたとしても、それに自分がコミットして生きるか(生きるべきか)は別の問題ではないだろうか。個人の実存と心身問題の関係性に関しては、私自身は大森荘蔵の「重ね描き」*2や、ジョン・ホーガン氏の見解*3がしっくり来ている。むしろ、自分がコミットする人生観を得るのが目的なら、別のアプローチの哲学のほうが適しているのではないかという気もする。

…とはいえ、私のこうした感想も、心の哲学の最前線で活躍し、アウトリーチも活発な著者にとっては、すべて「良くある反応」の一部だろう。こうしたツッコミも含めて考え始めるきっかけを与えてくれるという意味でも、すぐれた入門書なのではないかと思う。