重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

読書メモ、探究メモなど。

読書メモ:NeuroScience Fiction(Rodrigo Quian Quiroga 著)

 

 

著者のロドリゴ・キアン・キロ―ガ氏はアルゼンチン出身神経科学者。大のSF好きらしく、最新刊NeuroScience Fictionは、SF映画を題材に最新の脳科学や哲学的話題を紹介していく一冊となっている。

人間と見分けがつかないアンドロイド、自由に脳に出し入れできる人工記憶、背中にプラグを指して入れるVR世界……。SF作品は、そうした「技術」が世界をどう変えうるか、どのような現実観を人々にもたらしうるかを、フィクションとして提示する。また、SF的設定のなかでは、「現実とは?」「私はだれ?」「人間とは?」などの哲学的難題が、ごく普通の人々に対して迫ってくる。だから、科学だけでなく、哲学にとっても、SFは重要なシミュレーションとなり、発想の源になるのだろう。

では、過去のSF作品は、現在の科学(とくに神経科学)に照らして、どれくらいリアルなのだろうか? SF的想定から生じる哲学的・倫理的問題のうち、いま本当に考えるに値するのはどういう問題なんだろうか? 

本書NeuroScience Fictionでは、こうした問いに対して、一人のプロの神経科学者としての眺望を描いたポピュラーサイエンスである。

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各章で取り上げられている作品と、それを入り口に議論されるテーマは次のとおり(コロン以下はブログ筆者による見出し)。

各映画はあくまで「枕」としての扱いであり、本格的な作品論を期待している人にはやや期待外れかもしれない。また、科学や哲学の入門的な解説は、人によってはどこかで聞いた話ばかり、と思うかもしれない。

本書の最大の見どころは、著者自身の発見である「コンセプト細胞」が果たす位置づけにあると思う。キローガ氏は、コンセプト細胞の存在が人間の脳の特性について教えてくれることを、大胆な憶測も交えてその役割を解説している。そこが、面白い。

コンセプト細胞は、「ジェニファー・アニストン細胞」というキャッチ―な呼称でも知られる。キローガらが2005年のNatureの論文で初めて報告し、その後研究を重ねてきた現象だ。彼らは、てんかん患者の脳の海馬に電極を刺し、神経細胞の活動記録をとるなかで、次のような興味深い細胞を見つけた。

こうした性質から、この細胞はある「概念(コンセプト)」を表現しているのだ、と考え、キローガ氏はこれを「コンセプト細胞」と名づける。

また、次のようなことも分かった。

キローガ氏は、海馬にあるこの「コンセプト細胞」こそが、人間と他の動物、そして人間と現代の機械知能を分けるものなのだ、と主張する。

I dare to postulate that the concept cells I identified a few years back might be the neural substrate that gives way to our most elaborate and abstract thoughts, those that make us human and differentiate us from other animals and from computers. (Introduction)

コンセプト細胞があることによって、人間はすべての経験を記憶する必要がなく、そのなかから抽象化(abstract)し、情報の意味を理解(understand)することができる。そして、このコンセプト細胞による抽象化のはたらきが、意識的な表象を生成するのではないかというのだ。

The processes of abstraction and attribution of meaning are not easy to implement in a computer — since deciding what information to use and what to set aside is not obvious — and these processes lead to a construction of analogies, to the transfer of knowledge, and to the development of general intelligence. Moreover, the process of abstraction generates internal and subjective representations. This is precisely what is coded by our concept cells : abstractions — concepts that are closely tied to our consciousness, since these neurons fire only when we are aware of seeing something. (Chapter 2)

このような大胆な仮説をもとに、著者は各章で提示する問いに対して、暫定的な答えを与えていく。その一部だけ、簡単に紹介すると次のような感じだ。

  • 機械知能はどこまできたか →まだ「理解」する機構を備えていない。
  • 機械は意識をもてるか →コンセプト細胞による抽象化の作用を取り入れないと、機械意識は生まれないだろう。
  • ヒト以外の動物の意識はどのようなものか →人間以外の動物の海馬には「場所細胞(place cells)」があるがコンセプト細胞はない。このため、動物の意識は人間の意識と大きく違ったものだろう。
  • マトリックス」のような仮想現実をつくれるか → ダニエル・デネットが指摘したように、本物に見せるようにすべてのディテールをプログラムで生成するのは不可能だろう。私たちが「水槽の脳」である可能性は低い。しかし、コンセプト細胞をはじめ脳はそもそも「現実を生成する」機能をもっており、それを理解するアナロジーとしては「マトリックス」は有用だろう。
  • 記憶は操作できるか → 記憶を改変するには、何らかの方法でコンセプト細胞間の連合を人為的に変更するだけで済むかもしれない。細かなディテールはむしろ脳が生成してくれるだろう。

このように、キローガ氏の議論では(すべてではないが)コンセプト細胞の存在感が大きい。「コンセプト細胞」がどのように生じるのか、どのような機能をもっているのかについての研究はまだまだこれからだろうから、著者の見立てがすべて当たっているとも思えない。それでも、人間の知能について、何か大事なことを教えてくるピースには違いないと思える。

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以上、「コンセプト細胞」まわりの話を中心に感想を書いたが、その他さまざまな切り口から楽しめる本になっていると思う。とくにキローガ氏は、神経科学的に脳に介入する技術の進展とともに浮上する、「記憶とアイデンティティ」の問題が、21世紀の哲学にとっての重要課題だと指摘する。SFが揺さぶる私たちの現実観・人間観・自己観が、フィクションを越えて、リアルな哲学的問題として私たちに迫っている。第一線の神経科学者に言われると、説得力がある。