ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学
- 作者: アレックス・ペントランド,矢野和男,小林啓倫
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2015/09/17
- メディア: 単行本
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MITのメディアラボに勤める著者が,「社会(ソーシャル)物理学」の名のもとに10年ほど行ってきた研究について,一般向けに解説している.
「社会物理学(social physics)」という用語自体は,新しいものではないらしい.分子や原子を記述するように社会の動きをとらえてみようという試みとして,1800年代にすでに存在していたのだそうだ.しかし,さすがに100年前には,そうした研究を行うのに十分なデータは手に入らなかっただろうと思われる.ビッグデータ時代が可能にした分野なのだろう.
社員にウェアラブルセンサーをつけてもらって,その会社内で起こることを丸ごと記録したり,あるいは,株式の売買パターンやスマートフォンの利用履歴など既存のデータを集めてきて解析したり,本書ではそうした実験の事例が山ほど紹介される.
本書の構成は,おおまかに,社会物理学の方法とそれが明らかにしたことを説明した第1部,その知見を会社やコミュニティをより良いものにすることに応用する方法を述べた第2部,そして,データ取得の範囲を都市のレベルまで広げることで,社会を改善していく構想を提言する第3部からなっている.
テーマは面白い反面,本書の根幹に関わる概念の定義がぼやけていると思われるなど,分かりにくい本に感じられてしまった.手法の部分を付録に分けていることなども原因かもしれないが,「結局何がポイントなのか」が掴みづらかった.
自分なりには,本書の議論の骨組みを次のように理解した:
- 社会物理学は,「会社の中の個人」や「市場の中の個人」という従来の見方は不十分だと考え,個人と個人のつながりを重視する.なぜなら「誰とつながっているか」こそがその人の行動を左右するからだ.
- 人々が影響を与え合う様子を,ベイジアンネットワーク(そのものではなく,拡張版?)を利用してモデル化し,実測データを使ってモデルのパラメタ(AさんがBさんへ与える「影響度」など)を学習する.
- 学習したパラメタを使って,ネットワークの特徴付けを行う.とくに,ネットワークの「アイディアの流れの速さ」という量を定義すると,その社会ネットワークの良さ(「生産性の高さ」など)とよい相関があることが明らかになった.
- そこで,集団内の「アイディアの流れ」を改善するための介入をすることが考えられる.会社であれば他部署との交流を促す,都市であれば交通の利便性を高めるなど,社会物理学ならではの処方箋が提示できる.
間違っているかもしれないが,本に書かれていたことから読み取れたのはこのようなことだった.
いろいろと疑問がわいてくる.
「アイディアの流れ」が速い組織のほうが「良い」ということが分かったとしても,だからといって無理矢理「アイディアの流れ」をつくることが良い結果になるといえるのか? 流通しないほうがマシな「悪い」アイディアもあるのでは? 会社ごとにも事情が違うだろうし,まして企業や都市など,性質も規模も異なる社会ネットワークを同じモデルで解析できるのか?
などなど,ぶつぶつ文句を言いながら読んでいたのだが,読み終わって気づいたことがある.それは,プライバシーの観点からはこのやり方が有効なのかもしれないということだった.社会物理学は確かに「粗すぎる」かも知れないが,プライバシーを確保した上でビッグデータを活用するには,この粗さがギリギリなのかもしれない.個性のない分子をミクロからマクロへ自在に視点をずらしながら記述する物理学の本領が,ビッグデータ時代のパーソナルデータを扱う際には生きてくるのかもしれない.そうした視点でもう一度読みなおしても良いかも,と思っている.