グレッグ・イーガンの『ゼンデギ』。
※読んだ上で思ったことを書いています。これから楽しみたい方はご注意ください。
余命を宣告された父親が、孤児になってしまう一人息子のためにヴァーチャル・リアリティのゲームの中に自分のアヴァターを作ろうと目論む。そんなストーリーの、近未来SF。
グレッグ・イーガンの作品を読むのは始めてだったが、科学的ディテールが異様にしっかりしていると感じた*1。物語の前半部の時代設定は、作品が書かれた2009年から3年後の2012年、つまり“ほぼ現在”なのだが、そこではアメリカ在住の若いイラン人研究者が、“Human Connectome Project”と呼ばれるプロジェクトに従事している。全脳のシミュレーションを目指すこの野心的なプロジェクトは、まだまだ道半ばということになっている。鳥類のシンプルな脳ですら解明されていないとか、統計的な性質は分かっても個々の脳の個別性が手に負えていないとか、今の神経科学の現状を良くトレースしていると思われた。
物語中盤で、時間が一気に2027年まで飛ぶ。しかし、そこでもいきなり“Singularity”が訪れたりはしていない。実現しているのは高度なVRシステムや精密な脳測定のみ。なので、主人公たちは、それらの限定的な技術を組み合わせていかに人格をゲーム内にアップロードするという目的を達するかに苦心することになる。一方、主人公たち以外にも、異なる思惑をもつ個人・団体が登場する。学術的成果を求めるアカデミア、不老不死を目指す資産家、ビジネス拡大を目指す企業…。このあたりはいかにもありそうな設定であり、最近出ている人工知能関連のノンフィクションの将来予測と遜色ないようにも思われた。
一方で、やはりフィクションならではの面白さがあると感じた。人工知能利用にまつわる多くの「思惑」の中で、とくに「子供には愛を感じて育ってほしい親心」というもっとも人間的な思惑にクローズアップしてみせる点など。そういう究極的な例を通じて読者の価値観が揺さぶるというのは、SFにしかできないことかもしれない。
本作の終わりで、主人公は意外な決断を下すことになる。このエンディングには、少なくとも僕は救いを感じた。しかし、ゼンデギがこれ以上進化したら…? この物語が現代の科学の延長線の世界をかぎりなくplausibleに描いているだけに、不穏な余韻の残る読後感であった。
*1:なお、本作にはイランの革命を巡る中東情勢の緻密な描写もあるのだが、そちらのリアリティについては判断できなかった。